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(1/3)── 弐 ── マガイモノ


「ぉんっ!」


 ぷに、と額に生暖かく柔らかく、けれど弾力があってもっちりと吸い付く感触が載ってぼくは目を覚ました。


「……おはよう、椿狐」


 きゅい、とぼくの挨拶に椿狐がぱたぱたと九本のしっぽを嬉しそうに振る。


「んん……今日は確か、古書店の整頓手伝いだったなぁ」


 今日も今日とて〝まだら相談事務所〟は大絶賛営業中である。と、言っても今請け負っている依頼はひとつだけだけれど。

 手早く準備を済ませて、汚れても問題ない作業着を身に付けてショルダーバッグを背負う。ぴょん、とぼくの頭に椿狐が乗って、出陣の用意は完了である。

 あれから一ヶ月──椿狐にはすっかり懐かれてしまった。八本の朱尾あけのおと一本の金尾こがねのおを持つ、九尾の狐。元々が神さま、というか精霊のようなものであるからか食事は必要としなくて、おまけに普通の人間には見えない。椿狐に懐かれて引っ付かれてしまってから一ヶ月──ずっとこうやって椿狐を連れていたけれど、誰にも突っ込まれたことがない。みな、見えていないのだ。鬩風に言うならえていない。


 ──神社鬩。


 一ヶ月前、ぼくの身に起きたあの大惨劇。

 ぼくが命を落としかけて、けれど鬩が死力を尽くして助けてくれたあの大惨劇。あれのせいで写真がトラウマになってしまったけれど、でも鬩のおかげでぼくは命拾いした。比喩でもなんでもなく、鬩がいなかったらぼくは間違いなく死んでいた。

 鬩はここからほど近い高松市立聾学校に通う中学三年生の女の子で、生まれつき耳が聞こえない。けれど鬩は〝憑訳者〟と呼ばれる霊能力者で、思念を文字として飛ばして会話することができる。鬩は〝音〟の概念を知らないから、音声による思念のやりとりはどうしても分からなかったとかで、文字変換する方法を編み出したみたいだ。鬩との会話は基本的に鬩がぼくの心を文字変換して読み取って、鬩が思念を文字としてぼくの視界外(意識)に送ってくるスタイルが基本で、最初こそ頭の中にポップしてくる文字に戸惑って読むのもままならないばかりか、文字情報の処理に脳が追いつかなくて頭痛を覚えることが多かった。けれど今では慣れて問題なく会話できている。と、思う。

 そんな鬩だけれど──血濡れた紅い虹彩が綺麗な、セーラー服がとても似合うかいらしい女の子……からはちょっと遠い性格をしている。なんというか、いつだったか京都で住職が〝容赦ない〟と言っていたけれどその通りの子だ。


 自分に厳しく。

 他人にも厳しく。

 世界に対しても厳しい。


 そんな、子なのだ。悪い子じゃない──ぼくを命懸けで助けてくれるような子だ。けれど、容赦ないのだ。とにかく──容赦ないのだ。


「本を作者ごとに、五十音順に仕舞っておいてくれな」

「分かりました。中身がばらけている本はどうします?」

「別にまとめといてくれ。そっちも五十音順にな」

「はい。じゃあ作業を始めますね」


 高松中央商店街の程よく外れた路地裏、そこに建つ古書店。古書特有の饐えてカビ臭くもほのかな芝生の香りが匂い立つ、とても心落ち着く空間──そこで初老の主人に整理整頓を任されたぼくは、古書を一冊一冊──手垢や手汗で汚してしまわぬよう白手袋を嵌めた手で本棚から下ろしていく。今日の仕事は本棚の掃除と本の整理整頓である。埃臭いからマスクで気管を守りつつ、眼鏡をしているとはいえ埃を被ってしまわぬよう気を付けながら本棚から本を下ろしては埃を(はら)っていく。

 頭上では相変わらず椿狐がくんくん鳴きながらぱたぱたしっぽを振り回している。何が楽しいのか、こうしてぼくの頭でくつろぐのだ、椿狐は。好かれたな、と珍しく笑いながら鬩が言ってきたけれど──でもこの椿狐、一応神社の祀神さまなんだよね? 神社放っておいて大丈夫なのかなあ……。


「うわっ」


 ばさっ、と色褪せ通り越して黒ずんでしまっている古書の背から中身が外れてしまって床に落ちる。やらかした、と慌てて拾い集めてみればなんてことない──それは本ではなかった。いくつもの絵図を束ねただけの、綴じていない画集であった。カバーの背から外れてしまったと思っていたのも、よくよく見てみれば束ねた絵図をまとめて入れていただけの木箱で、底が抜けていた。


「こんなのも古書に入るのかなあ……かなり古い絵だなあ」


 浮世絵だろうか。絵には詳しくないけれど、紙質からして相当古いのが分かる。こういうのは丁寧に保存しておかないと紙が乾燥して崩れるものだと思うのだけれど。

 破れないようそうっと丁寧に端を揃えた紙束を改めて眺めてみると、最初の一枚には墨だけで描かれた……と、いうか刷られた……かな? いわゆる木版(もくはん)墨摺絵(すみずりえ)ってやつだと思うけれど……松の木っぽいのと女性の絵が描かれている。それと一緒に、〝木魅(こだま)〟という見出しがある。見出しの横にはとても綺麗な筆跡で一文が認められていた。


 百年の樹には神ありてかたちをあらはすといふ。


 ──こだま。木霊。それを聞くとカタカタと揺れる白くて小さい物体が脳内で再生されるけれど、でも、この絵図に描かれてるこだまは女性の恰好をしている。百年経った樹木には神さまが宿る、みたいな意味だってのは分かるけど……。


「椿狐、お前も木魅ってやつなのかなぁ~」

「くぅん?」


 知らないらしい。

 まあいいか、と束ねた紙を底の抜けた木箱に戻そうとした、時だった。ぞり、と指に奇妙な感触が走る。


「え?」


 ぞぞ、ぞぞぞぞ、ぞぞぞぞぞぞ。

 絵図に刷られているくすんだ墨が、蠢いている。

 蠢いて──ぼくの手に、絡みついている。がうっ、と椿狐の短い威嚇が鼓膜を突く。

 けれどそれよりも前に。

 それよりも先に。


 ぼくは、絶叫していた。




「──せめぐぅぅうぅうぅぅぅぅ!!」




 ── 弐 ── マガイモノ




【──〝画図百鬼夜行〟か。それも贋作(がんさく)──また、珍しいものをき寄せたな。斑】

「冷静に見ていないで助けてぇぇええぇ!!」


 ぼくが絶叫してから数分もしないうちに鬩が転移してきた。〝転移〟も鬩の能力のひとつらしくて、ぼくが呼ぶとこうして転移してくれる。この一ヶ月でどれだけお世話になったか。

 ──大抵こんな風にしばらく観察されるけどね!! 見ていないで助けてよぉぉお!!

 突然蠢き出した絵画の〝墨〟──それは蛇のように僕の全身に絡みついて、ずぶりずぶりとぼくを絵図の中に呑み込もうとしている。捕食、しようとしている。足掻こうにも体を拘束してくる墨の塊は少しも動かない。力には結構自信があったのだけれど、どんなに力を込めても振り払うことができない。

 ずぶり、と左足が紙の中に呑まれる。右足は根元まで呑みこまれてしまった。ぼろり、と涙がまた溢れ出る。


「せめぐっ、せめぐっ……せめぐぅっ」

【本当に泣き虫だな、お前は】


 鬩はふよふよと宙に浮いて足を組んだまま、ずぶずぶと呑みこまれていくぼくを見下ろしている。その血濡れた虹彩には何の感情も、浮かんでいない。ぞりっ、と墨が百足(むかで)のように蠢いてぼくの顔を覆う。ずぶずぶと、呑みこまれていく速度がさらに上がる。だというのに鬩の顔には焦りどころか、憐れみひとつさえない。ただ無感情に。ただ無表情に。ただ無機質に──ぼくを、見下ろしている。

 ぼろりと、また涙が零れる。


「せめぐっ……」

【そのまま呑みこまれろ】


 その冷淡で無慈悲な一文を視界外(意識)に収めたのを最後に、ぼくの視界は墨で黒く塗り潰された。




 ◆◇◆




「えぐっ、ひぐっ、ぅぐっ……」

【…………】


 三点リーダーがさも鬱陶しいと言いたげに並んだけれど、無視する。無視して、鬩の小さな体躯を抱き込む。抱き込まずにいられるかっ。


「ひ、ひど、ひどいよぉせめぐっ、ぇぐっ……せめ、せめぐも来るんだったらっ。そうとっ。ひぐっ、言ってよっ」

【…………】

「ぼ、ぼくっ。ぼく、見捨てっ、見捨てられた、かとっ。ぼく、もう、もうだめかとっ」

【…………斑】

「ぼく、ぼくっ。こわ、こわか、こわかったっ。こわか、った」

【斑】

「も、もう、あんな、あんなのやめ、やめてよっ。せめ、せめぐにおいて、おいていかれたらぼくっ」


「みゃたら」


「ふぇ?」


 ──少女というよりは少年のような、低くもあどけなさから抜けきっていない声が唐突に鼓膜を揺らして、ぼくは思わずぱちくりを目を見開いてしまった。涙が引っ込んでしまった。

 今の、って。


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