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──動機は、嫉妬だった。
かつて同級生であった四條さんが自分に比べて若く美しく、それでいて独り身でありながら裕福な暮らしを送れる程度には稼ぎを得ているキャリアウーマンであることに──嫉妬したことからの、嫌がらせ行為であった。
無言電話を掛けていた犯人が自首したと、後日警察を通して事情を伝えられた四條さんから聞いたぼくはため息を漏らす。ぼくの背後では、四條さんには視えぬメリーちゃんがくすくす笑っている。メリーちゃんも貞子ちゃんと同じく、実体化できる程度には力があるらしいけれど……今は姿を消している。ぼくには視えているけれど。
「ありがとうございました。真田羅さんが盗聴器を見つけてくださったばかりか……相手を特定してくださって……」
「いや、ぼくは何もしていないよ。友人が協力してくれたおかげだから……」
「けれど真田羅さんが叱咤してくださったおかげで、彼女も猛省しているとのことです」
叱咤……叱咤、ねぇ。メリーちゃんがフランス人形モードで脅しただけなんだけれどね。あの硝子の目で見つめ下ろされるのはマジで怖い。大阪でのアレだって、ぼくメリーちゃんを後ろから見守っているだけだったのに、怖すぎて泣いたもん。メリーちゃん怖い。
「本当にありがとうございました。依頼料は今日中に振り込みますので」
「あ、はい。よろしくお願いします。いろいろ大変でしたね、また何かあれば遠慮なくご連絡ください。お気をつけて」
頭を下げて事務所を去って行く四條さんを見送って、ぼくはふうっと大きく息を吐く。
「此度のご活躍、心より称賛いたしますわ」
「お疲れ様ぁ、斑ちゃ~ん」
「きゅい!」
「…………ぼくの事務所があやかしハウスになっている気がするんだけど」
……鬩のあやかし友ってまだいるの?
【いや、いない。知人はたくさんいるが……友人は貞子ちゃんとメリーちゃんだけだ】
ダイニングテーブルでぼくの焼いたパンケーキをもっきゅもっきゅ頬張っている鬩が、ご機嫌なステップで文字を躍らせる。おいしいらしい。
メリーちゃんの活躍によって無言電話事件が解決した翌々日、朝から我が事務所にはあやかし組が勢揃いであった。暇なのかな。
貞子ちゃんとメリーちゃんもダイニングテーブルに着いたので、パンケーキを出してあげる。トッピングにはちみつやバター、ツナサラダにハムエッグも用意してある。鬩と知り合ってから料理の腕がめきめき上がってきててさぁ、作るのが楽しいんだよねぇ。
自分の分と椿狐の分もテーブルに並べて、さあ食べるかと席に着いたのと同時に、スマホが着信を知らせる。
非通知ではないけれど、見慣れない電話番号だ。
「おっと。──はい、もしもし。こちらまだら相談事務所の真田羅です」
『縊 りま しょぉ♪ 縊 りま しょぉ♪』
「──え?」
スマホの向こうから聞こえてきたのは、とても楽しそうに唄う幼子の声だった。
『クビ♪ つりま しょぉ♪ クビ♪ しめま しょぉ♪』
童謡を唄うような調子で、電話口の向こうの幼子は声を弾ませている。楽しそうに。それは楽しそうに。心の底から、楽しそうに。
『縊 りま しょぉ♪ 縊 りま しょぉ♪ ──クビ、つりましょ』
ひうんっ、と空気を切る音が鼓膜を引っ掻く。
と、次の瞬間にはぼくの首に紐が巻き付いていた。紐が。硬質な、若干ゴムっぽい紐が。ぼくの首に。首に。クビに。
「がっ……!!」
ぐんっと紐を吊り上げられて体が持ちあがる。首が締まる。首が。息が。
「わたくしの目の前でお電話を使って縊り殺そうだなんて、無礼極まりないですわよ」
ふっと首に圧しかかっていた自重が消えて、締まりかけていた首が軽くなる。げほげほと咳き込みながら慌てて首に絡みついている紐に指を通す。
【斑、そのまま電話線を掴んで締まらないようにしておけ。僕が浮かしておく】
──ああ、軽くなったのは鬩が浮かしてくれているからか。助かった。
「せめぐぅっ……なにがっ」
【縊鬼に魅入られたのさ】
縊鬼。人間を縊死──首吊り自殺させようとする鬼。
鬼とはいっても、元は亡者だ。地獄に堕ちた亡者が輪廻転生の輪に入るべく、自分の後がまとして生者に首吊り自殺させて引き摺り込む。元々、あのストーカー主婦に取り憑いていたのがぼくに引き寄せられてしまったらしい。はた迷惑なことこの上ない。
ああ、結局今日もぼくは泣く。涙ちょちょぎれる。
「電話線で縊り殺そうとするだなんて野蛮ですこと。やはり殺すならば、直接憑き殺すのが一番ですわね」
「同意するわぁ」
ぼくには全然わかんないですその感覚。
メリーちゃんはくすくす笑いながらぼくの首に絡みついている紐を──電話線を、勢いよく引っ張り上げた。
ギィッという悲鳴とともに、小さな子鬼が釣り上げられる。電話線にまみれていて見づらいが、山姥のようにおどろおどろしい形相の、毛髪がぼうぼうに生えている子鬼だ。
ぎょろっと眼窩から飛び出ている目を向けられて、ひっと息を呑む。
「せ、せめぐっ」
【大丈夫だ。メリーちゃんと貞子ちゃんがやってくれる】
メリーちゃんがぱんっとパラソルを開いて、僕に背を向ける。
「縊鬼。わたくしの許可を得ずお電話をお使いになったことにつきまして、何か申し開きはございますでしょうか?」
ひやりと、肌を冷気が伝う。
パラソルに隠れて見えないけれど──怒っている。メリーちゃんが、怒っている。
「縊り殺すのは結構、お好きになさいな──鬩さまが退治されると申し出ない限り、わたくしは放置いたしましょう。けれど貴方さまは縊り殺すのにお電話をお使いになりました。この、わたくしの、お電話を」
わたくしの領域である、電話を。電話線を。音と電波を。
貴方はわたくしの許可も得ず侵しました。わたくしの模造品でもないくせに、侵しました。
この、わたくしの、領域を。
「っ……」
底冷えするメリーちゃんの声に全身が凍り付いたように動かなくなる。もしかしたら、本当に凍っているのかもしれない。かちかちと歯が鳴りそうになるのを必死に堪える。涙がつうっと頬を伝い落ちるけれど、すぐきんっと頬に張り付いて動かなくなる。もしかしたら、凍っているのかもしれない。
【斑、電話線外せ】
「あっ……」
いつの間にか首に絡みついている電話線が緩んでいた。慌てて首から外せば、鬩が床に降ろしてくれた。がばっと鬩にしがみつく。毎度のことだけれど、縋るぼくをそのままにしてくれる鬩は本当に優しい。
……時々はたき落とされるけれど。
「貴方さまがお盗みになった電話線。人と人の繋がり。わたくしがお預かりいたしますわね。──よろしくて?」
それは問いかけのようで、けれど恫喝でしかない。脅迫でしかない。命令でしかない。決定事項でしかない。
縊鬼もまた、凍り付いたようにメリーちゃんを見上げたまま固まっていた。
「返してくださりありがとう存じます。──くすくす。わたくしとしては電話線さえ取り戻せたのならばそれでよろしいのですけれど、鬩さま?」
【縊鬼は発見次第抹消するのが取り決めだ】
「──と、いうことだそうですわ。残念でしたわね、縊鬼」
「じゃあ、わたしが喰べちゃってもいいのかしらぁ?」
【ああ】
そのひとことで、終わりだった。
貞子ちゃんの腰がねじれてしだれ枝のように折れ曲がったのを見て、びくっと体を震わせて声にならぬ悲鳴を上げる。けれどぼくが体を震わせたその時にはもう、縊鬼の小さな体躯は貞子ちゃんに呑まれていた。
貞子ちゃんの口がぶちぶちと皮膚を引き千切りながら大きく裂けて、剥き出しになった上顎と下顎でそのまま縊鬼を挟み込み──ゴリゴリボリボリと、咀嚼する。咀嚼する。咀嚼する。咀嚼する。ごりごり、ぼりぼり。骨が折れる音。皮膚が千切れる音。筋肉が弾ける音。ぶちぶち、べちゃべちゃ。眼球が潰れる音。脳髄が啜られる音。内臓が飛び散る音。
──気を失うかと、思った。
いや、気を失いたかった。気絶したかった。けれどぼくの頭は残念なことに、気を失わない。ただただ震えて、歯を鳴らして、嗚咽を零しながら鬩にしがみつく。漏らしそう。下半身に力が入らない。腰が抜けている。鬩により強く縋る。鬩の手が、ぼくの背を優しく叩いてくれた。優しい。鬩優しい。その優しさでぼくごと何処かに転移してほしい。
「──ごちそうさま」
時間にすれば数分も経っていないだろうが、ぼくには数十分にも数時間にも感じられた。貞子ちゃんの猟奇的すぎる食事シーンが終わった頃には、すっかりメリーちゃんが振りまいた冷気も消えていて、ぼくを絞め殺そうとした電話線どころか──今の今まで貞子ちゃんが咀嚼していた〝ブツ〟の痕跡さえない、元の事務所に戻っていた。
「おいしくないわぁ。斑ちゃんのパンケーキで口直ししなくっちゃねぇ」
「ええ。無粋な子鬼のせいで食事中に席を立つなどというはしたない真似をしてしまいましたわ──鬩さま、斑さま。冷めてしまったお飲み物はわたくしが淹れ直しますわ。どうぞ、お席に着いてくださいませ」
【ああ、ありがとう。──斑。立て……ないか】
すっかり腰が抜けてしまったぼくを見下ろして、鬩は苦笑する。
あんな咀嚼シーン見せられて平気な一般人いるわけない。てか食欲完全に失せたよ。パンケーキ食べる気になれないよ。
【じゃあお前の分、僕が食べてもいいか?】
……どうぞ。
……嬉しそうに笑わないでほしいんだけど。ぼく、今むちゃくちゃ死にそうな気分なんだけど。あああああ……絶対夢に出る。あの音トラウマだ……。
──そんなこんなで、今日もぼくは不幸だった。
── そんなことをする人には視えない人間は怖い ──




