(1/3)── 玖 ── メリーさん
無言電話に困っている。
警察にも相談したけれど、すぐ切って無視するよう言われただけだった。
そんな相談をメールアドレス宛に受けて、とりあえず詳細を、と日程を決めて依頼人を事務所に呼び寄せた。
激しく後悔した。
「今回の依頼人は四條まひろさんって言うんだけどね、無言電話に困っているからって、とりあえずできる対処はしようって請けたんだけどね──」
【あやかし関連だったわけか】
「そうなんだよぉ!! 彼女の家に一日待機して、固定電話に掛かってくる無言電話の記録をしていたんだけど──」
【履歴が残っていない、と】
「そうなんだよぉ! 着信履歴を確認してもないんだよぉ! 確かにかかってきて、無言電話であることを確認したのにっ! おまけにね、コンセントを抜いてもね」
【掛かってきたわけだ、普通に】
「そうなんだよぉぉぉお!!」
今日ずっと、朝八時から夜八時まで四條さんの家で電話機に張り付いていた。無言電話への対処はまず拒否から始まる。無言電話を掛けてくる電話番号を拒否して、非通知であっても非通知からの着信そのものを拒否して。それでも電話番号を変え変え掛けてくるのであればその電話番号を控えて記録して、固定電話番号を変えて、といろいろやりようがある。
まあ、結果は前述の通りである。電話機の電源そのものを落としても電話が掛かってきたのだ。これがあやかし関連じゃないなら何だというんだ。
一日の調査を終えたぼくは泣きべそをかきながら、〝今日と明日は友人の家か実家に帰るように〟と言い付けて事務所に帰って来て、鬩に泣きついているわけである。字念で。
「とりあえず鬩、来れる?」
【すまん、無理だ。こっちも依頼がある。──それに電話関連は不得手だ】
聞こえないからな、とさらに付け加えられて、ぼくは絶望で死にそうな気分になる。せめてもの慰めにと椿狐を抱き締めているけれど、心許ない。鬩にしがみつきたい。
「じゃあぼくどうすればいいの?」
【電話には電話で、だ。友人を今から向かわせる】
……友人? と、首を傾げているとローテーブルの上に置いてあったスマートフォンが鳴った。着信だ。
【ああ、すまん。呼ばれた。また後でな】
鬩の方も何やら忙しいみたいで、視界外から文字がフェードアウトしていく。途端に心細さと恐怖で心臓がキュッと縮むけれど、椿狐のもふもふでどうにか平常心を保ちつつスマホを手に取った。
相手は──非通知。何だろう、依頼かな。
「はい、もしもし。〝まだら相談事務所〟の真田羅です」
『もしもし、わたくしメリーさん。今、フランスのリュクサンブール公園にいるの』
「──え」
ぷつり、と電話は切れる。
──え?
今のは──今の、は。と、また手の中でスマホが震える。また非通知の着信。けれど通話ボタンを押す気になれなくて、着信音を遊ばせる。
ピッと、通話ボタンを押していないのに電話が繋がった。
『もしもし、わたくしメリーさん。今、オデオン駅にいるの』
さっきと同じ声。
あどけなくも美しい、鈴の鳴るようなかろやかな少女の声。
また通話が、切れる。掛かってくる。繋がる。
『もしもし、わたくしメリーさん。今、パリ=シャルル・ド・ゴール空港にいるの』
切れる。繋がる。
『もしもし、わたくしメリーさん。今、空の上にいるの』
電源を落とす。掛かってくる。繋がる。
『もしもし、わたくしメリーさん。今、成田空港にいるの』
スマホを放り投げる。繋がる。
『もしもし、わたくしメリーさん。今、羽田空港にいるの』
息が出来なくなる。体が震える。鼓動が早くなる。
『もしもし、わたくしメリーさん。今、高松空港にいるの』
椿狐を抱き締める。椿狐は呑気な顔でしっぽを振っているだけで、警戒している様子はない。
『もしもし、わたくしメリーさん。今、高松築港駅にいるの』
がたっと足が椅子に当たる。足がもつれる。うまく動かせない。
『もしもし、わたくしメリーさん。今、電車の中にいるの』
来る。来る。来る。来る。来る。
『もしもし、わたくしメリーさん。今、瓦町駅にいるの』
来る。
『もしもし、わたくしメリーさん。今、三ひきのこだぬきの前にいるの』
『もしもし、わたくしメリーさん。今、ドラッグストアの前にいるの』
『もしもし、わたくしメリーさん。今、しんべえうどんの前にいるの』
『もしもし、わたくしメリーさん。今、角を曲がったの』
『もしもし、わたくしメリーさん。今、まだら相談事務所の前にいるの』『もしもし、わたくしメリーさん。今、階段を上がっているの』『もしもし、わたくしメリーさん。今、ドアの前にいるの』
『もしもし、わたくしメリーさん』
「──今、あなたの後ろにいるの」
あどけない声の、フランス人形。
硝子の無機質で美しい眼球を持った、あどけない少女の頭部を持った人形。
陶器特有のつるりとした肌と、固められて決して動かぬ微笑みを携えたくちびる。
春の芽吹きを彷彿とさせる常盤色の、潤沢で繊細なレースがとても可愛いドレス。
──ぼくの体よりもずっとずっと、ずぅーっと大きいそれが──ぼくの顔を、背後から覗き込んでいた。
感情のない無機質な硝子の珠が、ぼくを見つめ下ろす。
ぼろりと、涙が零れ落ちる。
「──せめぐぅううぅぅううぅぅぅううぅ!!」
── 玖 ── メリーさん
「メリーちゃんってばやりすぎよぉ~」
「くすくす、ごめんあそばせ。わたくし、斑さまにお会いするのを楽しみにしておりましたの」
半狂乱になっているぼくの腕をがっしりホールドして、貞子ちゃんが和気藹々とフランス人形と談笑する。
「はじめまして、斑さま。わたくしメアリ・オセリアと申します」
「ひっぐ……えぐっ、ぐず……」
貞子ちゃんにホールドされているせいで逃げられないぼくは、毎度の如く涙と鼻水を垂れ流しながらひたすら鬩を呼んでいた。来てくれなかったけど。
しばらく泣きじゃくったおかげで幾分か落ち着いた頭で、改めてフランス人形に視線を向ける。人形ではなく人間になっていた。いや、あやかしだけども。
先ほどは硝子のようだった目が今は輝くような翡翠色の美しい目になっている。陶器の肌も、人間の皮膚そのものの質感になっている。大きさも、今は百五十ほどで小さく愛くるしい。流れるような蒲公英色の髪が常盤色のドレスの上で揺蕩っている。くるぶしまである常盤色のドレスと呼応させて、手のひらほどしかない常盤色のシルクハットを頭に載せている。
あやかしでなければとても愛くるしい少女だと、見惚れていただろう。
「……きみも、鬩の友だち、なの?」
「ええ、そうですわ。貞子さまほど長い付き合いはございませんが、畏れ多くも鬩さまと昵懇の仲を結ばせていただいております」
どうぞメリーとお呼びください、とフランス人形のような少女は美しく微笑む。
「メリーちゃんはちょぉっと男嫌いなところがあってねぇ。男の人に対してはいつもこうなのよぉ」
「くすくす。ですが斑さまはとても誠実な殿方だと鬩さまから伺っておりますわ。ですから、お会いしたいとかねてより楽しみにしておりましたのは本当ですのよ」
と、そこでようやく貞子ちゃんから離されたので、とりあえず抱き潰しかけていた椿狐を解放する。ぶるぶると体を震わせてからきゅいきゅいと少女の──メリーちゃんの元に駆け寄っていく。それを見て、本当に友だちなのだと安堵する。
「ひどぉい。わたしの言ったこと、信じてなかったのぉ?」
「貞子ちゃんいつもおどかしてくるし」
てか貞子ちゃんに掴まれたところ真っ赤通り越して青紫なんだけど。あと氷で冷やされたみたいに感覚がない。やっぱり貞子ちゃん怖い。




