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「あれ?」
迎えが誰もいない、と太田南中学校の校門を見ていちずちゃんがスマホを弄り出す。休日だからか校門は閉まっていて、学校も心なしか平日のような活気が感じられない。校門脇に守衛所があるけれど、誰もいない。なんでいないの?
《返事、こない》
「…………」
《どうしよう? 勝手に、入っちゃっても、いいのかなあ》
「…………」
うん。
おばけアンテナ大絶賛暴走中ですよ。
《斑さん、一緒に、来てください》
「……ハイ」
あああああああああああああああ嫌だなもおおおおおおおおおお!!
鬩ぅ~、せめぐぅ。せめぐ来てよぉ。せめぐぅ。
「お~い、はるかちゃ~ん」
誰もいない玄関で勝手にスリッパに履き替えて、三階に上がり三年東組に向かう。聾学校には居住地交流というのがあって、年に数回地域の普通学校で交流することがあるらしい。だからいちずちゃんの足取りは慣れたもので、迷うことなく三年東組の教室に着いた。
からり、といちずちゃんの手が迷うことなく教室の扉を開く。迷おう、そこは思い留まろう。
「……はるかちゃん?」
──ああ、やっぱり。
やっぱり。やっぱり、こんな展開か。分かっていた、分かっていたけどちくしょう。なんで毎度毎度ぼくはこう。
「こっくりさんこっくりさん、お帰りください」「お願いします、お帰りください」「お願いします、お願いします」「もう質問はないのでお帰りください」「お願いします」「お願いします」「お願いします」「こっくりさん、こっくりさん、どうか、どうかお帰りください」
四人の女の子。
それが四方から机を囲んで、涙を流しながら紙上の硬貨に人差し指を添えていた。
「はるかちゃん!」
「いちずちゃん! 助けて、こっくりさんが帰ってくれないの!」
女の子たちのうち、一番背が高くて髪の長い女の子が涙ながらにいちずちゃんに助けを求める。いちずちゃんは戸惑ったようにぼくを見上げてくる。見ないで。ぼく今むちゃくちゃ震えてる。でもここで逃げるわけにもいかない。
「きみら、落ち着いて──深呼吸して」
「落ち着けないわ!」「帰ってくれないの!」「もうずっと帰ってくださいってお願いしてるのに!」「どうしよう!」「こわいよ、助けて!」「もういやあ!」
口々に悲痛な声を上げる女の子たちに、ぼくはとりあえず再度落ち着くよう声をかける。
こっくりさん。こっくりさんという神さまを喚んで質問をする占いのようなもの。けれど、実際のところ意図的な力、あるいは集団心理による無意識の力によって硬貨が動いているだけのものだ。
──けれどこの場合、ぼくがいることを忘れてはいけない。
そう、ぼく。ぼくだ。渡ってしまって、あやかしを惹き付けやすいぼくだ。ぼくがこれを依頼された以上、インチキあるいは勘違いで終わるわけがない。哀しいことに、そう想える程度には場数を踏んできている。
「はるか……ちゃん、だったけ。それに他の三人も。落ち着いて。ぼくは真田羅斑──霊能力者ではないけれど、こういうのにちょっと知識があるから」
「何を言っているの!?」「お願い助けて!」「怖いよ、怖いよ!」「私たちどうなっちゃうの?」「ふざけないでください!」「こっくりさんお願いだから帰って!」
はるかちゃんは怯えたようにぼくを見て怒鳴っている。他の三人は相変わらず、涙を流している。
こっちが泣きたいから本当に落ち着いてほしい。鬩がいないから、大人としての矜持を守らないとって踏ん張っているけれどぼく今にも卒倒しそうだからね? 生まれたての小鹿のように震えているからね? 今すぐにでも鬩に飛び付いて安心したい。
「とりあえず、こっくりさんに語りかけるのを一旦止めて。深呼吸、大きく息を吸って、吐いて──ほら、きみらも」
「無理! 助けてよぉ!」「でも帰ってくれないんですよ!?」「もうずっといいえしか言わないの!」「──だから誰に話しかけているんですか!?」「どうしたらいいの!?」「帰りたいよぉ!」
ふと、違和感を覚える。
怯えたようにぼくを見るはるかちゃん。泣き叫んでいる、他の女の子たち。
「──まだらさん、はるかちゃんいがいに、だれかいるんですか?」
──ああ。
と、ぼくの口から諦めたようなため息が零れる。
ギュルッ、とはるかちゃん以外の少女たちの首がねじれて一斉にぼくを向く。顔は、どれも眼窩から眼球が抜け落ちていた。空洞の眼窩と、若く美しい女子中学生の体躯にはおよそ似つかわしくない、不自然にひび割れて皺だらけの顔。それに、ひしゃげている顎先。翁のような醜い顔を半分に分かつように、口が耳まで裂けている。その唇からは赤黒く汚れた牙が生え揃っているのが視える。
心臓が痛い。
体が氷のように冷たい。
呼吸ができない。
胃が畏縮して、食道がじくじく侵食されていく。
指先が痙攣して思い通りに動かせない。
「まだらさん?」
鬩はいない。ここにいるのは、ぼくだけだ。ここで視えているのは、ぼくだけ。
逃げるな。泣くな。喚くな。後ろにはいちずちゃんがいる。アレの傍にも、はるかちゃんがいる。
こっくりさん。確かお狐さまを喚び出すもののはずだ。じゃあこの子たちは、お狐さまなのか?
と、考えたぼくの頭上で椿狐がきゃんと鳴く。違う、と否定している。違う。この子たちは、お狐さまじゃない。じゃあ、何だ? こっくりさんじゃないのか? あおん、と返事がある。違うみたいだ。この子たちはこっくりさんじゃない。こっくりさん自体は、成功していない? じゃあ、この子たちは──このあやかしは、何でここにいる?
──そうだ、鬩が言っていた。人の想像から生まれたあやかしは、人の感情に引き摺られやすい。こっくりさんは成立していない。けれどこっくりさんを始めようとしたはるかちゃんの、感情に引き摺られている? あるいは、はるかちゃん以外の誰かの?
「はるかちゃん、手を離してゆっくりぼくの後ろに来て」
「────」「────」「────」「無理!」「────」「こっくりさん」「────」「帰っていない」「────」「のに」「────」「離したら」「────」
老人のような、しわがれた囁きがノイズのようにはるかちゃんの言葉を遮る。死にそう。ぼくの心臓死にそう。
「こっくりさんは来ていない。こっくりさんは失敗している。だから、こっちに来るんだ」
「──」「無」「──」「理!!」「──」「怖い」「──」「よ」「──」「あな」「──」「た」「──」「何」「──」「みて」「──」「るの」「──」
「……いちずちゃん」
後ろを振り返って、戸惑いに瞳を揺らしているいちずちゃんにはるかちゃんに呼び掛けるようお願いする。
「は……はるかちゃん! こっち、こっちおいで! まだら、さんが、まもって、くれるから!」
無理。むり。ぼくそんな力ない。どうしたらいいの? 鬩助けて。ぼく泣きそう。涙出てるかも。鬩ぅ……。
「でもいちずちゃ」
「!! 危ない!!」
それまで囁いているだけだった老いた少女たちが、いちずちゃんに呼び掛けられてほんの少しだけ冷静さを取り戻したはるかちゃんを向く。眼球のない眼窩。けれど、すぐ分かった。その眼窩には──悪意が満ちている。
考えるよりも先に、はるかちゃんの腕を引っ掴んでぼくの後ろに引き摺り込む。カランッと十円玉硬貨が床に転がる。老いた少女たちの若く美しい腕が、ぼくに伸びる。おぞましい悪意を纏って。
──あやかしと遭った時、僕の名前を攻撃に使うようなイメージで叫べ。〝鬩〟という漢字を思い描くのも忘れずにな。
「〝鬩〟!!」
パァン、とぼくの首に絡みつく寸前だった老いた少女たちの腕が何かに弾かれる。続けて、叫ぶ。
「〝鬩〟!!」
パァン、とまた弾ける。老いた少女たちが仰け反って背中をしならせる。けれど倒れない。また、叫ぶ。
「〝鬩〟!!」
パァン、と今度は少女たちの足元が掬い上げられて転倒する。また叫ぶ。
「〝鬩〟!!」
パァン、次は少女たちの頭が撃ち抜かれたようにひしゃげる。けれど少女たちはすぐ、首を時計回りに一回転させてぼくを見上げた。
心臓がギリッと締め上げられて一瞬喉が痙攣する。その一瞬が、命取りだった。
目の前に、大きく裂けた、上顎も下顎も牙で犇いている、大きな大きな──大きな口。
ああ、と涙が零れ落ちる。
諦めの涙? いいや、違う。
安堵の──涙だ。
【〝狐火〟!!】
大きく開いた口、その向こう側に──巫女装束に身を包んだ鬩の姿が、あったからである。鬩の放った青白い炎が老いた少女たちを襲って、少女たちは絶叫を上げながら転げ回って悶える。
「──せめぐっ!!」
ぼろぼろと止まらなくなってしまった涙をそのままに、鬩の腕の中に飛び込む。鬩は左腕に狐火を纏いながらも右腕でぼくを受け止めてくれて、よしよしと頭を撫でられる。その温かさに、また涙が零れる。