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「……貞子ちゃんもそうだったけれど、あやかしとひと口に言っても色々いるね」
【まあな。百目木さんだってそうだ──お前もいい加減、適応しろ】
「むり」
こわいもん。
【……そんなんだから毎度、貞子ちゃんにからかわれるんだ】
「アレ本当に心臓に悪いからやめさせてよ……」
貞子ちゃんと知り合って以来、時折貞子ちゃんが遊びに来ては鬩に着させろって服を置いていくようになった。それはいいんだけど……いや、よくないんだけど。ぼくの家に女子中学生の服が増えていくって問題だと思うんだけど。まあそれはともかく。
貞子ちゃん、普通にこんにちはって来ればいいものを毎回毎回ホラー要素てんこ盛りで登場してくる。この間なんか、スマートフォンにノイズが迸ってバグかなって思ったら、貞子ちゃんの眼球ドアップが映し出されて心臓止まるかと思った。
スマホ放り投げて鬩の名前叫びながらトイレに籠城したよ……。鬩来てくれなかったけど。
「てかぼくのクローゼットにどんどん鬩の服が増えていくんだけど」
【焼き尽くせ】
「貞子ちゃんに殺される」
てか鬩、ほんとなんでセーラー服以外着ないの? スカートが嫌いって女の子は時々いるけれど……貞子ちゃんが持ってきた服にはズボンだってある。女の子らしい、かいらしいレース付きのスキニーパンツとか。どれも鬩にすごく似合うだろうなあってくらい、貞子ちゃんのチョイスは的確だ。ぼくも鬩の私服姿、見てみたい。
【お前は……本当に、鈍いというか馬鹿というか……】
「なんでぼくけなされてるの?」
【はあ……】
ため息吐かれた。なんで。
──と、鬩と駄弁っているうちに土佐さんたちの修羅場が終わったらしい。終わったらしいというか、室戸くんがぶん殴って終わらせた。涙を流す土佐さんの腕を掴んで室戸くんがずんずんとこっちにやってくる。
「真田羅さんっ! 憑訳者さまっ! ──帰りましょう! もうここにいる必要はないです!!」
【そうか。ならば帰るとしようか】
鬩は基本、人同士の問題には口を出さない。ぼくも仲介依頼でもない限りは口を挟まないけれど、鬩は徹底している。人とあやかしの間には立つけれど、人と人の間には絶対に立たない。
それについては、〝大惨劇〟の時にこう言っていた。
──おばけはいない。
──在るのは、人間。
──僕は人間が、何よりも恐ろしいよ。
人間の恐ろしさ。
それはぼくも、鬩と知り合ってから経験してきたあやかし騒ぎで痛感している。成り代わろうとしたマガイモノ。加熱した正義に殺された七人同行。監視社会に縛られている目目連。──貞子ちゃんだって、そうだ。
人間の恐ろしさ。
それを鬩はよく知っている。知っているからこそ、鬩は決して人と人の間に立とうとしない。憑訳者としての領分を、決して超えない。
──それから転移門をくぐって高知の、室戸家のお屋敷に戻ってきたぼくらは猿猴のいる池の前に立っていた。
土佐さんは、相変わらず涙を流している。
室戸くんが慰めているけれど、ショックは相当に大きかったみたいだ。はらはらと真珠のような涙を零して、まなじりを赤く染めている様子はとても痛ましい。
げっげっげっげ、と唐突に池から小さな鳴き声が響いてきて、俯いていた土佐さんが顔を上げる。
水面から顔を出した猿猴が、窺うように土佐さんを下から見上げていた。
げっげっげっげ、と相変わらずいびつな、潰れた蛙のような鳴き声を出している。けれど、なぜだろう。その声色が──とても優しく、聞こえる。
優しく聞こえるなら怖くないだろう離せ、と小さく鬩が文字をポップさせてきたけれど無視する。無視して、鬩を腕から下ろさないままにしておく。こわいものはこわいの。椿狐みたいにもっふもふでかいらしいなら別だけれど、貞子ちゃんとか猿猴みたいにモロ! ってのはやっぱりこわい。
「……猿猴さん。あなたは、宗治さんのことを知っていたのね?」
げっげ、げっげ……。
「知っていたから……私に、考え直させようとしてくれていたのね」
げ……。
「……ありがとう。とても悲しくて、今はとても笑えないけれど……でも、あのまま宗治さんと結婚するのは、もっといやだわ。……ありがとう、教えてくれて」
げっげ、げっげ。
ぽい、と猿猴から池の水ですっかり汚れてしまった錆色の指輪が放り投げられる。苔生した岩に当たってからんころんと警戒に地面を転がって行くそれは、室戸くんの足元で止まる。
「……義姉さん」
「重治くんも、ありがとう。私のためにあんなに怒ってくれて」
「怒るのは、当たり前だ。兄貴がまさかあんな真似するなんて」
ぎゅ、と拳を強く握り締めて室戸くんは心の底からつらそうな顔をする。その表情を見ておや、とぼくは思うけれど口は出さないことにする。
鬩も、何も言わない。
「……河童、じゃなくて猿猴だったか。猿猴……ありがとう、兄貴のことを知らせてくれて。それと、ごめん。こんなに汚れるまで池を放置して──」
【──そうだな。汚れた水は悪影響だ。綺麗にしてやるといい。猿猴も、もうお前たちを追い返すことはしないだろう】
「はい」
人と人のことには口を出さないけれど、人とあやかしのことには口を出す。そのあたり──本当にきっちりしているなあと、思う。ぼくも相談事務所なんてのをしているんだから見習わないといけない。……やっぱり、鬩はかっこいいなぁ。
「あっ、憑訳者さま、猿猴さんにお礼をしたいんですけれど、何がいいでしょうか?」
赤く腫れ上がってしまった目元を擦りながら土佐さんがそんなことを言ってきて、鬩はふっと笑顔を浮かべてきゅうりをあげるといいと答えた。
【河童も猿猴も、きゅうりが大好物だ。──だろ?】
げっげっげっげ!
くちばしを吊り上げて、目を細めて楽しそうに笑う猿猴に鬩は笑い、土佐さんと室戸くんも笑い、ぼくも笑った。
◆◇◆
事務所に戻るやいなや、椿狐が顔面にダイブしてきた。
「ただいま椿狐」
「きゅい!」
椿狐を頭の上に押し上げて、ずれた眼鏡を直して隣の鬩を見下ろす。
「ぜぇ……はぁ……」
「鬩、とりあえずソファに横になって。あとこれ以上能力使うの禁止」
「あっ」
鬩の左腕からするりと数珠を取り上げて、鬩をソファに促す。
「またら……」
《何が飲みたい?》
地味に勉強に勉強を重ねて、それなりに形になった手話で鬩に話しかければ、コーラという指文字が返ってくる。
《分かった。ほら座って》
「あうー」
本当に疲れていたみたいで、応接間セットのソファに座った鬩はそのまま力なく背凭れに倒れ込んでしまった。椿狐が鬩の膝に飛び乗って、きゅいきゅいと心配そうに鳴く。
冷蔵庫からコーラを取り出してコップに注ぎながら、おやつにポテチやチョコも用意する。
「鬩、鬩」
飲み物とおやつをローテーブルの上に置いて、背凭れにぐったりしなだれかかっている鬩の頬をぷにぷにと突く。鬩はのろのろと体を起こして、ちゅうちゅうとストローでコーラを飲みながらポテチをつまみ出した。食欲あるなら大丈夫、かな?
《鬩、ぼく買い物行くけど今夜は何が食べたい?》
《からあげ》
《肉好きだねぇ。分かった》
ゆっくり休んでいるよう、あと家の人に連絡するよう申し付けてからぼくは事務所を後にする。鬩と一緒に夜ごはん食べるようになってからどれくらい経ったっけか。すっかり、馴染んだなあ。
肉ばっかり食べている鬩の体がちょっと心配だし、サラダしっかり作ろう。
「あれぇ? まだらちゃんだ! おひさ!」
「あれ、ルミちゃん」
瓦町駅の地下にあるスーパーに行くべく、瓦町駅に向かっていたら偶然にもルミちゃんと鉢合わせた。ぼくの行きつけである〝ラウンジ毒の手〟の女性キャストで、まあぼくのお気に入りの娘である。日焼けた健康的な肌と、悩ましく主張してくる胸がとってもいい。いや、うん。本当にとってもいい。鬩もさぁ、もう少し日焼けしていいと思うんだよねぇ。胸の方はまあ……遺伝もあるし仕方ないにしても。
「まだらちゃん最近ぜ~んぜん来ないからさみしかったよぉ!」
「あれ? そんなに行ってなかったっけ?」
──そういえば最後にラウンジに行ったのは、いつだったけ。
なんか……最近は自炊ばかりで外食、ろくにしていなかったな。鬩においしいごはん食べさせたいからいろいろ練習してて……あれ、随分ラウンジで呑んでないかも。
「ママもまだらちゃんに会いたがってるよぉ~。だれだったけ? せめぐちゃん? あの子連れてこいってゆってるよぉ」
「ああ、そういえば前もそんなこと言われていたなぁ……でも鬩、まだ中学生だから」
「夕方くらいならだいじょぶでしょ? ごはん食べて帰ればいいんだよぉ~」
「ん~……そうだねぇ、そのうち連れてくよ」
「絶対ね! じゃ、まだらちゃんまったねぇ!」
「うん、またね~」
ぶんぶんと元気よく手を振るルミちゃんはやっぱり、可愛い。
……胸のことを抜きにしても、ルミちゃんに比べると鬩って肉付き悪いよねぇ。なんというか、全体的に。肩とか腰とか太ももとか、今日鬩を抱っこしてて思ったけれど女の子にしては硬質というか、骨張っている。もっと肉を付けるには何を食べさせるのがいいんだろう?
今のままでも十分かいらしいけどね。
── 妖怪を創り出す人間の方が怖くて当たり前 ──