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「うううう……」


 昨日のことを思い出して、思わず呻き声が零れる。できることならばこの写真を今すぐにでもコンロにくべてやりたい。けれどそんな勇気も度胸もぼくにはない。あったら京都まで行かない。




 ──止まっておくれやす。


 ──それ以上こちらに来いひんでください。困るなぁ、そんなん持ち込んでもろうては。堪忍してや、そらうちでは取り扱えまへん。


 ──それどないかできる御人を紹介するさかい、帰りや。




 寺院傍の駐車場にフィットシャトルを停めて、封筒を奥底に捻じ込んだショルダーバッグを斜め掛けに背負って車を出たぼくに、ひとりの住職が現れてそんなことを言ってきたのだ。

 その時のぼくの気持ち、分かるだろうか。まだ車を駐車場に停めただけで何かを依頼したわけでもなければ寺院敷地にさえ入ってもいないぼくを前に、住職は明言したのだ。


 〝それは取り扱えない〟と。


 ぼくが一体何を持ち込んできたのかを理解しているかのように。──いや、あの様子を思い返すに、完全に理解した上でぼくに帰るよう申し付けてきていた。ぼく以外にも供養なのか除霊なのか、ともかく寺院に用があって訪れている客は数人見えた。けれど、住職が寺院敷地から飛び出してまで止めたのは、ぼくだけだった。

 なんで住職がそんな行動を取ったのか、それを考えるのはすごく怖かったから放棄した。放棄して、必死に考えないようにひたすらラジオ番組を爆音で流してフィットシャトルを爆走させた。

 そして事務所に帰ってきたぼくは、ベッドの中でひとり泣いた。




 ──神社(かみやしろ)(せめぐ)はん。容赦あらへん御人やけど、どないかできるかもしれまへん。




 若干顔色を悪くしていた住職がぼくに帰るよう申し付けながらも、教えてくれたひとりの名前。

 住職によれば、なんと奇跡なことにその人物は香川県にいるらしい。国分寺町の、町はずれにある九尾(くお)神社にいるとのことなので、今日はそこに行く予定である。


「早く行って早く終わらせて……そしたら今夜はラウンジで癒されよう」


 中央商店街のアーケード街から外れた路地にある〝ラウンジ毒の手〟はぼくの行きつけのラウンジで、ママさん含め八人の女性キャストと、三人の男性スタッフによって運営されている。キャバクラのように女性キャストが一対一で接客してくれることはないけど、でも結構話し相手になってくれるんだなこれが。可愛い女の子ばかりだし、ぼくの愚痴にも仕事とはいえ嫌な顔ひとつせず律儀に付き合ってくれるいい子ばかりである。お酒も料理もおいしいし。


「──よし」


 そうと決まったら行こう。ぼくは陰鬱な気持ちごと、封筒をショルダーバッグの奥にぶち込んで事務所を後にした。




 ◆◇◆




 国分寺町は一応、高松市である。とは言っても二〇〇六年に編入合併されてからの話なので、高松市の端っこにある。だから高松市の中心部からは車で三十分ほどかかる。

 青空によく映える(くれない)色のミラノレッド・フィットシャトルをしばらく車のない大通りで遊ばせて、昨日訪れた京都南部の閑散とした住宅街よりもずっと閉塞的で、人の手がほとんど入っていないであろう藪が目立つ住宅街に入り込む。

 その、瞬間だった。




挿絵(By みてみん)




「!?」


 悲鳴を上げるよりも先に、防衛本能が反射的にぼくの足にブレーキを踏ませてがくんっと前のめりになる。

 今、何が起きた?

 今──何が、()()()

 ぼくは藪だらけの寂寞な住宅街をフロントガラス越しに見ていたはずだ。空には青空が広がっていて、その青空を侵食する勢いで茂っている藪に埋もれてまばらに存在する家々。そう、なんてことない田舎の住宅街。そこに──今、()()()()()

 ぼくはじくじくと、なぜか痛むこめかみをそっと押さえてゆっくり先ほどの光景を思い出す。ぼくが見ていたのは今、フロントガラス越しに見えている景色と同じものだ。閑散としている住宅街──だけれどさっき、そこに奇妙なものが見えた。突然、現れた。突然、ぐんっと眼前に出現した。あれは確か──


【そうだ、そのまま止まれ。それ以上入り込むな】


「っ!!」


 また眼前に、けれど今度はさっきのようにぐんっと突然現れるんじゃなくて、ひとつひとつ──〝文字〟のようなものが、いや──〝文字〟だ。そうだ、思い出した──さっきぼくの眼前に突然出現したのは〝止まれ〟の、文字じゃなかったか?

 そして今、一文字ずつフェードインしてきたこの文字──文章。まだ消えていない。ぼくの視界の中心部で──違う。視界じゃない。ぼくの視界は、変わらず閑散とした住宅街しか見えていない。けれど、意識に。その視界を視取(ミト)っている脳に──〝文字(異物)〟が染み込むように景色と同化している。ずきり、とこめかみが一際強く痛む。


「ううっ……」


 なんだ、これは。

 なんだ、この矛盾(チグハグ)は。

 ぼくの目が見ている視界はただの風景であるはずなのに、ぼくの意識が見ている視界には〝文字(異物)〟も紛れ込んでいる。なんだ、これは。なんだ──この文字は。


【出てこい。今すぐ、車から出てこい】


 そうこうしている間に、ぼくの意識(視界)から文字が消えて、新たな文字が──文章がフェードインしてくる。さっきの文章──読めていなかったけれど、止まれというワードがまたあった気がする。

 そしてこの文章。視界には見えていないけれど、意識には視えている文字──〝出てこい〟? 出てこい? 出るって、車から?


【埒が明かないな──面倒だ】


 ──〝埒〟? なんだ、この……漢字?

 つぼ……坪? 違う。将軍の〝将〟……違う、よな?


(らち)が明かない、だ。馬鹿者】


 漢字にルビがふられた。ああ……埒が明かない、ね。なるほど……って。


「え?」


 いつの間にか車の前に──いや、車の()に、ひとりの少女が()()()()()


「え?」


 フィットシャトルの中にいるぼくをフロントガラス越しに見下ろす形で、セーラー服を着ているひとりの少女が浮いている。何度、目を擦っても何度、目をしばたかせても少女は変わらずそこで浮いている。あの不思議な文字のように、視界で見えず意識で視えるようなものでもない。()()。はっきり、()()。明らかに、ちゃんと、紛うことなく、()()

 ざあっ、とぼくの全身から血の気という気が引く。体温という体温が、感覚という感覚が、血流という血流が滝のように全身から流れ落ちて足元に澱む。体が、とても冷たい。体が、震える。恐怖なのか混乱なのか絶望なのか、自分でもわけ分からぬ感情で頭から思考が消える。


「おばっ」【おばけではない。足あるだろう】


 喉を突いて出ようとした絶叫を、またもや視界には見えない文字が意識の中を踊ったことで遮られる。ひ、と悲鳴を零したぼくにセーラー服の少女がつい、と人差し指を真横に滑らせた。


「うわっ!!」


 バンッと弾けるように開いたドアから転げ落ちてアスファルトの道路に倒れ込む。ぼくがやったんじゃない。ぼくの体が、何かに引っ張られたのだ。ざあっと海で波に呑まれたような感覚が全身を襲って、そしたら次の瞬間には転がり落ちていた。


【僕に用があって来たくせに適応力のない奴だ】


 はっと顔を上げれば、いつの間にかセーラー服の少女がぼくの目の前にいた。けれどその足元を辿ってみればやはり、地面から十数センチほど浮いている。やっぱり、浮いている。そして相変わらず、視界とは関係ないところで意識に文字がポップしてくる。


【いい加減慣れろ。そして読め。僕は聾唖だから話せないんだ】


 聾唖。ろうあ。──聴覚障害。

 ばっと、今度は少女の顔に視線を向ける。そこでようやく、少女と目が合う。少女の、血濡れたように紅い虹彩と──視線が()う。

 年の頃は、十四、五くらいだろうか。血濡れたように紅い虹彩を引き立てる白く、陶器のような象牙色の肌と宵闇を落とし込んだような黒色のショートヘア―が、とてもかいらしい。そしてぼくの想定した通り──風に揺れてさざめいている黒髪の隙間から補聴器が見え隠れしている。

 憲法色の、セーラー襟とカフスに三本の白いラインが入ったオードソックスなセーラー服だ。ふんわりと横に広がっている紅い──血濡れた虹彩と同じくらい紅いリボンがこれまた、かいらしい。プリッツスカートのほうも、今時の子たちのように丈を弄ってはいないのか、膝小僧が隠れるくらいのとても健全なものだ。糊がよく効いてパリッとしているプリッツスカートからは黒いタイツに包まれた脚が伸びていて、足先をダークブラウンの革靴が包んでいる。そして、左手首にこれまた血濡れた虹彩のように紅い数珠を嵌めている。


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