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「もしかして……〝貞子さん〟の元ネタ──」
「違うわよぉ? アレはフィクションでしょぉ? まあ、あやかしは人の想像から生まれるからどこかにホンモノがいてもおかしくないけどねぇ」
鈴木光司という作家により執筆された小説、〝リング〟シリーズ。そしてその映像化作品である映画〝リング〟──それに登場する山村貞子というキャラクター。それこそが〝貞子さん〟であり、自分は違うと貞子ちゃんは語る。
「ま、とは言っても模造品だけれどねぇ」
生前当時、〝リング〟の映画が巷で大ヒットしていて、貞子ちゃんの通っていた高校でも話題になっていた。見た者を呪い殺す〝呪いのビデオ〟と、そこに宿る怨念〝貞子さん〟は今でも何かと引き合いに出されることがあるほどだ──それはそれは話題になっただろう。ぼくも当時小学生だったけれどよく覚えている。
「ほらぁ、わたしも貞子でしょぉ? だからねぇ、悪霊だって見做されちゃってねぇ」
「そんな。名前が同じってだけで──」
「違う違う、違うわよぉ。名前なんてどうでもいいのよぉ。イジメる人間にとってはね、イジメる口実なんてなんでもいいのよぉ」
病弱で一日のほとんどを保健室で過ごしていて、けれどそのくせ頭だけはいい。そんな貞子ちゃんをやっかむ生徒が少なからず存在していて──貞子ちゃんはずっといじめられていたんだそうだ。
「たとえ〝リング〟が話題になっていなかったとしても他に適当な理由をつけてイジメていたわよぉ」
「…………」
「うふふ、鬩ちゃんの言った通り──優しいのねぇ。ありがとうねぇ。──まそういうわけでわたしは〝貞子さん〟のモノマネをしろって散々イジられていてねぇ」
何もしていない。ただ、体が弱くて勉強が好きなだけ。ただ、それだけだったというのに人間以下の扱いをされて、悪霊だからと除霊紛いのことも散々やられて、挙句の果てには〝貞子さん〟の再現をしろと用水路に落とされたのだという。
「結局、そのまま溺れ死んじゃった。でもねぇ……未練と怨嗟と憎悪と殺意とがいーっぱい遺っていてねぇ、うふふ。気付いたら〝貞子さん〟のようにテレビを通してイジメてきた子たちを殺していたわあ」
「…………」
模倣犯──と、いうわけじゃあないけれど〝貞子さん〟っていじめられて殺された結果、〝貞子さん〟のようになっちゃうのは、皮肉だな。
「わたしはねぇ、映像世界を自由に渡り歩くことができるのよぉ。つまりテレビの中の世界ねぇ。テレビからテレビに移動することもできるのよぉ。それでイジメてきた子たちを次々と殺してぇ、でもほら、怨霊じゃなぁい? 自我なんてあったもんじゃなかったから──両親に兄弟に先生に知らない人に、色んな人を殺していっちゃってねぇ」
そしたらとうとう鬩ちゃんに除霊依頼がいっちゃったぁ、と貞子ちゃんはおかしそうに笑う。
「……でも、除霊されなかったんだね」
「されなかったというかぁ、できないのよぉ」
あやかしは人の想像から生まれる。
同時にあやかしを祓うのもまた、人の想像による力だ。
けれど──あやかしを抹消しきるには、人が忘却するしかない。
「忘却……」
「そぉなの。わたしって、模造品とはいえ〝貞子さん〟として殺されて、死んだあとも〝貞子さん〟をしていたから──すっかり〝貞子さん〟なのよねぇ。人間が〝貞子さん〟を忘れない限り、わたしは現世に縛られたままなのよねぇ」
「ぼくらが……〝貞子さん〟を忘れない限り……きみは、成仏できないのかい?」
「そぉいうこと。だからねぇ、鬩ちゃんはわたしを除霊するんじゃなくて浄化したのよぉ」
貞子ちゃんはどう足掻いても怨霊だし、人間が忘れない限り怨霊として現世に縛られ続ける。それはどうしようもないことだった。だから鬩はせめてと、貞子ちゃんに取り憑く未練と怨嗟と憎悪と殺意とを取り除いたらしい。
「あの頃の鬩ちゃんはこぉんなにちっちゃくてねぇ。でももう一人前の憑訳者だったのよぉ。すごいわよねぇ。かわいくて強くてかっこよくてぇ」
「そうだね。そして、すごく優しいんだ。鬩は」
「ええ。だから鬩ちゃんは──自分に取り憑けって、言ってくれたわぁ」
「えっ?」
人にもあやかしにも成れない怨霊というのはとても不安定で、浄化されて自我を取り戻したとはいえ何にも取り憑かずふらふらしているとまた自我を失いかねないんだそうだ。
だから鬩は、貞子ちゃんと約束した。
「わたしはもう人を殺さない。鬩ちゃんはわたしの未練を代わりに叶える。──そんな約束」
鬩と交わした約束についてそっと綴る貞子ちゃんは、慈しみに溢れた美しい微笑みを浮かべていた。
「今は無理でも、何十年か経てば〝貞子さん〟の定義が変わって解放されるだろうって鬩ちゃんは言っていたわ。だから、それまで鬩ちゃんに取り憑くことにしたのぉ」
「……そうなんだ。鬩はやっぱりかっこよくて、優しいね」
ぼくの言葉に貞子ちゃんは嬉しそうに頷く。
──不思議ともう、貞子ちゃんのことは怖くなかった。
「それでぇ? 鬩ちゃんに斑ちゃんを手伝ってほしいって言われたんだけどぉ」
「あ、うん」
貞子ちゃんにこれまでの経緯を細かく話して、執務机から男子高生たちのスマホを取り出して貞子ちゃんに手渡す。怨霊だけれどかなり力が強いとかで、実体化もできる貞子ちゃんの真っ白な手は──氷のように冷たかった。やっぱりちょっぴり怖いかもしれない。
椿狐を呼び寄せて、貞子ちゃんがスマホを調べている間もふって待つことにする。
「──なるほどねぇ」
ミルクティーで体をあたためつつ、お菓子をつまんでいるとふいに貞子ちゃんがスマホから顔を上げた。
「うふふ。この子たち、殺したいわねぇ」
「やめて」
やっぱり怖い! 怖いこの人!
「……えっと、嫌なもの見せちゃってごめんね。その……この消えない動画も、貞子ちゃんと……」
いじめられた末に、未練と怨嗟と憎悪と殺意とを遺したまま死んで。
そうしてこの子も、貞子ちゃんのように。
「違うわねぇ。イジメられて自殺したこの子はもうどこにもいないわねぇ。──ここに遺っているのは怨念だけよぉ」
死後、怨霊として現世に留まるケースはそう多くないらしい。大概が怨念や執念、未練といった一部の強い感情だけが残るんだそうで。貞子ちゃんは〝貞子さん〟という枠に当てはまっちゃったのと、人一倍どころか十倍も百倍ほどもある強い感情を持っていたということで怨霊と成ってしまったそうだ。
「そうなんだ。じゃあ、どうすればいいのかな……」
「この怨念をどうにかするだけなら簡単よぉ。わたしが喰べちゃえばいいの。──でも、それは腹が立つからやりたくないわぁ。斑ちゃんだって、そうでしょぉ?」
「……そうだね。せめて悔いるくらいは、してほしいかな」
喰べちゃえばいいという言葉は無視する。なんか怖いから。
「一過性の恐怖心からくる反省は、すぐ忘れちゃうから」
あの子たちは本気で怯えていて、本気で後悔しているようであった。けれどぼくの目には、イジメたこと自体を後悔しているんじゃなくて、イジメた場面を撮影したことを後悔しているように映った。イジメる相手を間違えたと、そんな感じだった。……あくまでぼくの主観だから、イジメ自体を本当に後悔しているのかもしれないけれど。
「じゃあ、ちょっと様子見に行ってみましょうかぁ」
貞子ちゃんはそう言って立ち上がる。さらり、と一本の三つ編みにまとめられた黒い髪が貞子ちゃんの右肩から垂れ下がる。肌が病的に白いけれど、こうして見ると普通に美人さんな女の子だ。鬩はアーモンド型の、猫のような目だったけれど貞子ちゃんはおっとりとした垂れ目型で、深窓のご令嬢みたいだ。かいらしい鬩と並んだらさぞ眼福なことだろう。
「おいでなさいな、斑ちゃん」
貞子ちゃんに呼び寄せられて、どこに行くのかと思えばテレビだった。ずるり、とテレビの中に入り込んでいく貞子ちゃんに思わず口元が引き攣る。
「さ、貞子ちゃん……ぼく人間だからテレビの中には──」
「わたしが引き摺り込むから大丈夫よぉ」
がっ、と貞子ちゃんの華奢な手が僕の腕に食い込む。知らぬ間に悲鳴が喉を突いて出る。足を踏ん張って、テレビ台にも片足を置いて力を込める。──けれど貞子ちゃんの腕は、ぼくの全力の抵抗なぞ無意味なほどに強かった。
「せめぐぅうぅぅぅうぅううううぅ!!」
絶叫するぼくの後頭部にがつり、ともう片方の白い腕が掛かってきて──なすすべもなく、引き摺り込まれた。
◆◇◆
貞子ちゃんが領域とする映像世界。
鏡面世界には以前、行ったことあるけれど──そことはまた全然違う、異質な世界だった。貞子ちゃんが死んだ場所だという岡山県のとある住宅街にある用水路、そこを中心にそれは広がっていた。
空間に浮かぶ、無数の黒い画面。
テレビ。パソコン。携帯ゲーム機。カーナビ。タブレット。スマートフォン。ガラパゴス携帯。ありとあらゆる、液晶画面。ありとあらゆる、モニター。ありとあらゆる、〝映像〟を映し出す媒体。
それらの向こう側が、ここに広がっていた。
こちらからは大小様々な、ただ黒いだけの四角いものが空中に所狭しと浮かんでいるようにしか見えないが──その黒い四角の向こう側では、誰かがモニターを見ているのだ。テレビ番組であったり、SNSであったり、動画共有サイトであったり。ありとあらゆる人間が目にしている液晶画面。モニター。それらが──ここに、詰まっている。
「さて、あの子たちはどこにいるのかしらねぇ。──ああ、いたいた」
用水路の走る住宅街を犇く無数の黒い四角。ぼくには何が何だかさっぱりだというのに、映像世界を領域としている貞子ちゃんはさすがで、すぐ目的のものを見つけた。
「どうやらお友達の家でテレビを見ているようねぇ」
貞子ちゃんに連れられて住宅街の中をしばらく歩いた先にあったひとつの黒い四角。ぼくの事務所にあるテレビよりも大きい。見てごらんなさいな、と言われたのでその黒い四角をじっと見つめてみる。──すると向こう側に、ソファに座って駄弁っている数人の男子高校生の姿が視えた。
「どうなると思う?」
「あのおっさん、すっげービビってたよな。ダメじゃね?」
「ダメだったら今度は九尾神社ってとこ行ってみようぜ。あそこ、腕のいい霊能力者がいるらしい」
「マジで勘弁してくれ。死んでも迷惑しかかけねーとかマジ最低なヤツ」
「やめろ。そんなこと言って、なんかあったらどうすんだよ。怖いだろ」
「怒らせて殺されたらどうすんだよ。除霊されるまでは大人しくしてろって」
モニターの向こう側から聞こえてくるのは、やはり怯えを孕んだ声。けれどぼくと対面していた時には見せなかった、侮蔑の色が見て取れる。ぼくの前では、曲がりなりにも謙虚に、自分たちの非を認めて悔いていたというのに。
やはり──こうなのか。
やはり──だめなのか。
名状し難い怒りに、拳が震える。