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(1/3)── 伍 ── 人形神




挿絵(By みてみん)




 ── 伍 ── 人形神(ひんながみ)




 勘亭流(かんていりゅう)の野太いフォントが絹のカーテンを引き裂くモーションとともに飛び込んできた。またか、と僕はため息を零す。

 週に二、三度はこうして斑に()ばれる。真田羅(まだら)(まだら)──〝まだら相談事務所〟という何でも屋を瓦町に営んでいる三十歳の男。あやかしにとってはとても美味しそうな御馳走であるという点を除けば、特筆するところのない普通の男だ。──いや。女子力が高いな。裁縫に料理に掃除にと何でもそつなくこなす。料理は特にうまい。上手くて、美味い。

 あと、泣き虫。怖がりで泣き虫で叫びたがりですぐ僕に縋る。本当に何故今まで生きて来られたのかと不思議に思うくらい、泣き虫だ。

 斑がよく〝大惨劇〟と呼称するあの事件の時に僕と斑は出会った。その時すでに斑はトオっていて、あやかしにとっては絶好の御馳走(エサ)だった。あやかしとは人が創り出した存在。そんなあやかしにとって人という存在は生みの親であると同時に、大いなる可能性を秘めたエネルギー体でもある。人が何かを恐れれば恐れるほど、畏れれば畏れるほど、あやかしの力が増していく。あやかしが()きる。

 だから斑は、あやかしを惹きつけやすい。

 怖がりで泣き虫なところがまた──あやかしを惹き寄せる。

 ──だがまあ、そんな泣き虫斑でも絹のカーテンを引き裂くモーションを加えるくらいには余裕があるようだ。


 だから僕は無視した。


《どうしたの? 鬩くん》

《──何でもないよ、いちずちゃん》


 全ての授業を終え、HRも過ぎて部活動の時間帯になった放課後。

 僕はグラウンドの前で同じクラスの女の子、甘神(あまがみ)いちずと会話していた。生まれつき色素が薄い彼女は光の加減によっては珊瑚色に見える、春に舞う花びらのような髪をしていてとてもかわいらしい。珊瑚色の髪は腰まで波打つように揺蕩たゆたっていて、その淡い色合いにとても映えるきれいな飴色の目をしている。

 僕は百六十五センチしかないけれど、それでも十分見下ろせるくらいには彼女はとても小さい。百四十五センチくらいかな。彼女本人は伸びない身長に悩んでいるから口にはしないけれど、僕はとてもかわいらしいと思う。


《鬩くんは、この後はまた、おうちのお手伝い?》


 たどたどしい手話ながらも必死に、ゆっくり語りかけてくるいちずちゃんに僕は微笑んで頷く。


《一緒に部活したいけれど、ごめん。何かあったらメールして》

《うん。お仕事、たいへんだね。でも巫女さんの鬩くん、とてもかっこいいよ。また神社、行きたいな》


 僕の巫女装束姿を褒めてくれるいちずちゃんにほんの少しだけ複雑な、曖昧な微笑みを返す。緋袴ではなく蒼袴だったらきっと嬉しかったろう。まあ、今だってセーラー服だが。


 ──僕は神社(かみやしろ)(せめぐ)。高松市立聾学校中学部三年生だ。

 ここ高松市立聾学校は香川県で唯一の聾学校で、幼稚部から高等部、専攻科に寄宿舎と施設が揃っている。生徒数は年々減少の一途を辿っていて、今年度は全校生徒五十六人しかいない。中学部三年生のクラスは六人と、少し多めだけれど。

 それはさておき。見ての通り、僕は聴覚障害者である。生まれつき耳が聞こえない。だが僕には聾唖なだけじゃなかった。生まれた時から、僕には奇妙な力があった。物心ついたころから僕は頭痛に悩まされていた。ざわざわとわけ分からぬ()()()が脳を占めて、そのうずきが頭痛になるのだ。その頭痛は二十四時間常に続いていて、両親が歓喜したり悲嘆に暮れたり激昂したりと感情を高ぶらせる瞬間は激痛で立っていられなくなる。

 その()()()が人の〝心〟だと気付いたのは四歳の時だった。僕の耳が聞こえないことが分かった当時、毎日のように京都市立聾学校に連れていかれて、聴能訓練と発音指導を受けていた。両親は僕が聞こえないという現実を受け入れられなくて、人工内耳でも何でもいいから聞こえるようにしろと必死で聴能訓練士や耳鼻科医に掴みかかっていた。

 だから他の聴覚障害児に比べると言語の習得が遅かった。手話で会話することを両親が恥と思っていたからである。僕が〝言葉〟というものを認識し始めたのはこの聴能訓練のさなかで、〝文字〟と〝モノ〟に関連性があることに気付いたのだ。りんごの写真には常に〝りんご〟という文字が付き纏う、など。それだけじゃない──両親や訓練士たちが文字を指差して口をぱくぱくさせているのも、関係があるということに気付いた。そして、頭の中の()()()が両親や訓練士たちの口パクと連動していることにも気付いた。

 それからは、早かった。文字を覚えて、頭の中のうずきを文字に結び付けて、文字に変換できないかあれこれ試行錯誤して──〝字讀(ジドク)〟を得た。

 人の思考を文字として()み取る能力。

 僕の人生が、大きく変わった瞬間だった。

 頭痛は相変わらずだったが、頭の中の()()()を一気に理解できるようになり──両親を信じられなくなった。両親の僕に対する本心(ホンネ)、それを知ってしまって。〝知らなかった〟ころにはもう戻れないことの辛さもこの時に思い知った。

 当時の僕は力のコントロールがうまくできていなくて、讀まなくてもいい心の奥の部分まで勝手に讀み取って、おまけに当時の僕は物事の分別というものを知らなかったから、讀み取ったことを馬鹿正直に話して。

 両親は喧嘩するようになった。

 僕のことも腫れ物に触るように、化物でも見るような目で見るようになった。

 だから僕は家の中では孤独で、もっぱら〝あやかし〟が話し相手だった。そう、あやかし。僕にはあやかしが視えた。物心ついたころからあやかしの存在には気付いていた。けれど、あやかしの言葉も僕には分からなかったから話すことはなかった。けれど〝字讀〟を得たことであやかしの言葉も理解できるようになって、こちらの言葉も伝えたいと〝字念(ジネン)〟も編み出して──会話するようになった。




 ──そのままじゃあいけないよ。


 ──力を絞りなさい。力を放出するんじゃなくて、身の内に閉じ込めなさい。


 ──そして磨きなさい。




 誰彼構わず、所構わず暴君の如く心を無遠慮に讀んでいた僕をそのあやかしは諫めた。諫め、人道の在り方を説いてくれた。今の僕の状態はよくないと、頭痛をどうにかしなければいつか壊れると心配してくれた。そのあやかしはもうこの世のどこにもいないけれど──僕の恩人の、ひとりだ。

 そうして僕は自分の能力と向き合うようになり、紆余曲折の末に〝憑訳者(ツウヤクシャ)〟と成った。

 人と(あやかし)の橋渡し役。人に紛れて住まうあやかしを、人に迫害され追われるあやかしを、あやかしに魅入られ狙われる人を、あやかしに怯え逃げ惑う人を。そうしたくてそうし始めたわけじゃないが、気付けば憑訳者としての僕の知名度は相当なものになっていた。

 能力をコントロールできるようになってからは、昔のように周囲の心が頭に流れ込んできて頭痛に悩まされることはない。けれどそんな風に力を凝縮し、絞っていると能力を使うのがとても難しい。だから数珠を作った。僕にとって〝文字〟は力を能力に変換する媒体だったから、文字をひと珠ひと珠に彫り込んだ柘榴石ガーネットの数珠を常に左腕に嵌めている。

 憑訳者としての仕事は九尾(くお)神社──僕が今住んでいる、香川県の炎と美徳を司る神社の宮司である神社(かみやしろ)(わだち)さんを通して()け負う。轍さんは十歳の僕を押し付けられたにも関わらず、今の今まで僕の後見人として快く神社に住まわせてくれている気風(きっぷ)のいい人だ。




《オカマが出戻りとレズってるぞ~! レ~ズ! レ~ズ!》




 ふと、視界の端に僕らを指差して茶化すように大袈裟で大ぶりな手話を振り乱しながら笑う男子生徒数人が映る。同じクラスの男子どもだ。


《なっ、失礼よ! やめて!》

《出戻りが怒ったぞ! コエ~!》


 男子どものからかいにいちずちゃんが頬を紅潮させて怒る。が、そんないちずちゃんに男子どもは調子に乗るばかりで。


《──放っておけ、いちずちゃん。相手にするだけ無駄だよ。中三にもなって成長のないガキだと思っておけばいい》

《はぁ!? オカマのくせに生意気だぞ!!》

《僕がいちずちゃんと仲いいのが羨ましくて仕方ないくせによく言う》

《なっ》


 誰がそんなブスチビ出戻り女、と小学生のような罵倒をしてグラウンド脇の更衣室に去って行った男子どもを見送って僕は軽くため息を吐く。


《鬩くん、やっぱりかっこいいなぁ。あたし、すぐ怒っちゃって》

《アホを相手にする必要はないよ。また何か言ってるよ、って無視すればいい》


 励ますようにそう言えばいちずちゃんはそうだね、と小さく笑ってくれた。本当にかわいらしい。こんなかわいらしいいちずちゃんによく、あいつらは出戻りと言えるものだ。

 〝出戻り〟──いちずちゃんはここでそう呼ばれることがある。生徒だけじゃない。保護者にも、先生にさえも。

 聴覚障害児とひと口に言っても、その聴力には個人差がある。比較的聴力が残っている子どもは幼稚部を聾学校で過ごし、聴能訓練と発音指導を受けて口話法も身に付け、ある程度健常者との会話が可能な状態にまで持って行って──小学部に上がる時から普通学校に通うというケースが多い。

 理由は様々。だがほぼ全て、親のエゴによる決定だと言ってもいい。幼稚園児に進学先の判断なぞ、できはしないからな。

 そんな風に普通学校で健常者とともに小学校生活を送った聴覚障害児はやがて──〝九歳の壁〟にぶつかる。九歳を境に言葉の複雑度が跳ね上がるのだ。使用する語彙量が爆発的に増え、文章の構造も複雑化して──それまでは聞き取れていたことが、聞き取れなくなる。どんどん進んでいく周囲に、置いていかれるようになる。

 その結果、中学校や高校に上がる時に聾学校に戻ってくる聴覚障害児が少なくないのだ。それを〝出戻り〟と呼ぶ。そういった子どもたちは健常者たちの中で過ごしてきたから、口話法は使えても手話はあまり知らない、ということがある。それを揶揄(やゆ)る意味でも〝出戻り〟という言葉が使われている。


《──同じ障害者のほうが差別するというのは皮肉なものだな》

《鬩くん?》


 僕の手話が読み取れなかったのか、首を傾げてきたいちずちゃんに僕は微笑んで部活動頑張ってと投げかける。

 健常者が障害者を差別する。そんな話ばかり聞くが、僕は障害者が障害者を差別することのほうがずっと多くて、問題だと思っている。

 よくあるのだ。聾唖が難聴者を馬鹿にする。難聴者が聾唖を馬鹿にする。いちずちゃんの件だってそうだ。聾学校育ちの生徒が中学部から聾学校に戻ってきたいちずちゃんを嘲る。保護者も先生も、〝ほら見ろ、はじめからずっと聾学校にいればよかったんだ〟と蔑む。本当に──よくあるのだ。


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