(1/3)── 肆 ── 目目連
とある土曜日。呼んでいないのに朝から鬩が事務所に来ていて、珍しいなあと思いつつ焼きたてトーストとたっぷりのいちごジャム、それに生クリーム入りとろとろオムレツを振る舞う。
「今日は九時に依頼人が来ることになっているんだけど……」
【まあ、休みだし暇だったし。邪魔はしないさ】
「それに、休みなのになんでセーラー服?」
【…………苦渋の、判断だ】
苦渋の? なんのこっちゃ。
それにしても鬩は本当にセーラー服が似合う。血濡れた虹彩に真っ赤なリボンがよく似合っていてかいらしい。椿狐も久々に鬩と朝食を取るのが嬉しいのか、鬩の膝でもっふもっふしっぽを振っている。それがまた、かいらしい。鬩と椿狐合わせて、最高にかいらしい。
【オムレツ美味しいな】
「ぁおん!」
うん、かいらしい。
そうして鬩と談笑しながら時間を潰していると時間になって、事務所のインターホンが鳴った。
ここ〝まだら相談事務所〟は二階建てで一階は車庫と倉庫になっている。事務所部分と自宅部分がまとめて二階に詰まっている感じで、間取りは結構広めだ。インターホンを通してお客様と対応したぼくはそのまま二階に上がってもらうことにする。
「失礼します」
「いらっしゃい。こちらにどうぞ」
玄関口で靴を脱いでもらって、応接間セットのほうに案内する。鬩が珈琲を淹れてくれているのを見やったぼくはそのままお客様と向き合ってソファに座った。
「ご相談の内容は確かストーカーに悩まされている、でしたが」
「はい。最近視られることが多くて……」
今回の依頼人は二十代前半くらいの女性だ。名前は百目木きどめさん。ぼくの事務所を知り合いを通じて知って、電話で相談してきたのだ。ストーカー被害に遭っているとのことだったけれど、それも納得してしまうほどの可愛い女性だった。ルミちゃんと同じくらい可愛いかもしれない。とは言ってもルミちゃんみたいなギャルっぽさはなくて、どちらかというと清楚系だ。
「警察に相談は?」
「いえ……警察には相談できなくて」
ストーカー被害となるとぼくじゃあ手に負えない可能性もあるから手っ取り早く警察に相談したほうがいいとは思うんだけど、まあぼくに相談して警察に相談しないんだから何らかの事情があるんだろうね。そこらは、触れない。
「とりあえず具体的にどんなストーカー被害を受けているか教えてくれます?」
「はい」
百目木さんによると、いつも見られているのだという。朝起きた時から夜寝ている時も、風呂やトイレに籠っているときでさえも見られているのだと。
「覗きをされているということですか? それとも、盗撮?」
「どちらもです。覗きであり、監視であり、観察であり、視張りであり、粗探しであり──」
とにかく見られているのだと、百目木さんは語る。
うぅん、とぼくは唸る。もっと具体的な話はないかと問えば、そこかしこに人の目があって困るのだと返された。
──このあたりで、あれっとなったんだ。ちょっと違和感はあったんだ。でもそもそも、朝から鬩が来ている時点で疑問に思うべきだったんだ。馬鹿かぼく。
「人の目……ではあなたをストーカーしている人間に心当たりは?」
「無数に」
「えっ」
「私を慕ってくださっている殿方。私を好いてくださっているファン。私に憧れを抱いてくださっている婦人。私を妬んでいる友人。私を嫌味に思っている同僚。私を貶めたいと考えている方々──その、全て」
「え、っと……」
「──視るのは私の専売特許のようなものなのに、逆に視られるだなんて」
屈辱です、とそっと目元を拭う百目木さんの手の甲に──幾つもの目が、あった。
【やっぱりな】
鬩の呆れたような言葉が文字として視界外に現れたのと同時に。
「せめぐぅぅううぅぅぅ!!」
── 肆 ── 目目連
「改めまして──私、百々目鬼の百目木きどめと申します」
本日ぼくの事務所にやってきた依頼人は、あやかしでした。
珈琲を持ってきた鬩を膝に乗せてがっちりホールドしながら、ぼくは鬩の背後からそうっと百目木さんを窺う。
百々目鬼というのは両腕に無数の目を持つあやかしで、けれど百目木さんはそれを隠して人に紛れて生活しているらしい。
【人に紛れているあやかしというのは多いんだ。お前が思っているよりずっとな】
「あの……この文字、もしかしてあなたさまは……」
【申し遅れた。この馬──真田羅斑の、まあ友人のようなもので神社鬩という】
「まあ! やはりあなたさまがあの〝憑訳者〟さまなのでございますね!? 私、こちらに相談する前、憑訳者さまにご相談するかどうか迷ったのです。けれど私には敷居が高くて。まずは手近なこちらで相談してみようと」
しなくていい。そのまま鬩のところに行ってくれたらよかったのに。
──あやかし相手だと説明が不要だからと、鬩は〝字念〟を百目木さんに対しても行った。鬩のことはあやかしたちの間では有名らしくって、この〝字念〟にもすぐ慣れた。
てか鬩、今ぼくのこと馬鹿って言いかけてなかった?
【視られるようになったのはいつからだ?】
「私、OLしながら動画投稿活動もしていて……ありがたいことに多くの方々が私の動画を楽しんでくださっています」
ああ、今流行りの動画クリエイターね。ネットの動画共有サイトで自作の動画を投稿してみんなに見てもらうやつが流行ってて、人気の動画クリエイターともなると広告収入で生活ができると言われている。誰でも投稿できるし誰でも気軽に見れるから世界中に動画クリエイターは氾濫している。その中を勝ち抜き、人気の動画クリエイターになるのはとても難しい。
……あやかしでも、動画投稿するんだ。
「歌ってみたり料理動画を撮ってみたり旅行動画を編集してみたり……いわゆる〝顔出し〟をしているのですけれど……それが原因でしょうか。視られるようになってしまって」
【なるほどな】
「そろそろここにも……来ると思います」
「え?」
と、ぼくが呆けた声を出した時だった。
ぎょろ、と百目木さんの座っているソファに〝目〟が現れたのは。
ヒッと息を呑むぼくだったけれど、〝目〟はそのひとつだけに留まらなかった。ぎょろ、ぎょろ、ぎょろり。ひとつ、ふたつ、みっつと百目木さんの座っているソファの周りに〝目〟が出てくる。
ソファだけじゃない。ぼくと百目木さんの間にあるローテーブルも。床も。壁も。ぼくらの座っているソファも。そこかしこが。なにもかもが。ありとあらゆるものが。根こそぎ全てに。目が。目が。目が。目が。目が。目が。目が。目が。目が。目が。目が。目が。目が。目が。目が。目が。目が。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。目。
「キャアァアアァァァァア!!」
絹を裂くような悲鳴がぼくの喉から上がる。
けれど鬩も、百目木さんも動じない。動かない。驚きの顔ひとつさえ、しない。
【目目連か】
壁に耳あり障子に目あり。鳥山石燕が生み出した妖怪のひとつで、元々は碁打ち師が寝ても覚めても囲碁のことばかり考えていたがゆえに死後、障子の目に〝目〟として現れるあやかしとなったという話らしいが──現代においては形を変え、民衆の〝目〟を反映したものになっているのだと鬩は語る。
そんなことどうでもいいよ、とぼくは涙目で鬩をぎゅうぎゅう抱き締める。ぎょろ、とぼくの足のすぐそばに〝目〟が現れて視線が合って、ぼくは悲鳴を上げながら足をソファに上げる。けれどそのソファにも〝目〟が次々と現れて、ぼくはただただ鬩を抱きしめたまま惑うことしかできなかった。怖い。超怖い。嫌だ、なんでいつもいつもぼくこんな目に遭うの?
「この目が……百目木さんをストーカーしてるってこと?」
【少し違うな。百目木さんを視張っている人間たちの感情に引き摺られているんだ】
動画共有サイトを通じて有名になった百目木さんは人々から注目されるようになった。注目されるようになったということは、百目木さんの言動ひとつひとつを、百目木さんの生活の隅々を、百目木さんの人間関係の節々を、常に誰かに視られているということになる。
【アイドルにしても俳優にしても、注目されれば注目されるほど色んな人間に視られることになる】
最初は好感を持って純粋に接してくれるファンと、興味本位で何となしにアクセスしてきた視聴者だけだったのだろう。けれど知名度が上がり、動画が注目されるようになり、視聴者が増加し──様々な感情を抱える人間が、増えていった。
【分かりやすい例だと、皇室入りした皇太子妃が受けたマスメディアの執拗なバッシング。ママタレのブログに対する掲示板の常軌を逸した叩き】
公人だから何されても当然。有名人だから有名人税ということで当然。そんな風に──彼らのことを、〝人間〟として扱わない。
同じ人間であるということを忘れ、それが当然であるかのように日々粗を探す。不祥事を犯していなくとも、どんな食事を摂ったか、恋人はいるのか、どんな生活をしているのか、誰と交友関係があるのか──つぶさに監視する人間は多い。
好きだから当然。有名人だから当然。自分は投資しているんだから当然。その人だって見られたいから露出しているんだし当然。──そんな〝当然〟を盾に、執拗に視る。
【そういう視線に引き摺られて目目連が出てきてしまったんだ】
「じゃあ……この、もくもくれん……には百目木さんを視る意思はないってこと?」
【そういうことになるな。よく見てみれば目目連も困っているのが分かる】
わかんないよ。怖いよ。