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(1/3) ── 壱 ── おばけはいない。


 ハウスクリーニングの依頼を請け負ったぼくは依頼人の自宅でゴミ袋にプラスチックごみ類を詰めていく。ハウスクリーニングとは言っても壁紙やカーペットの洗浄までは依頼されていない。ただ片付けられないごみを片付けてほしいと、片付けるのが苦手な依頼人に頼まれた──それだけの内容だ。

 ごみ掃除だけではあるが一戸建てで、なおかつごみの量が半端ないのでハウスクリーニングにかかるお値段、八万。でもこの様子だと床が相当汚れているから、たぶん後々床の清掃も依頼されるかな。十二万ってところか。プラス、ごみの処理もぼくに委託することになるだろうし委託費用。結構儲かる案件だ。


「ふー」


 床に散らばったコンビニ弁当やインスタントラーメン、使い切った洗剤のボトルにおそらくは包装に使われていたのであろう発泡スチロールの緩衝材。そういったごみをひと通り集め終えてぼくは大きく息を吐く。よくここまで汚せるものだと、毎度のことながら汚部屋住人には感心してしまう。〝片付けられない〟というのはわからなくもないけれど、〝ごみを捨てない〟というのがどうにもぼくにはわからない。ありがたいお客様だから聞かないけれど。


 ふと、視界の端に古びた鏡が映る。


 おそらく何十年も前に、輿入れ道具として持ち込まれたのであろうダークブラウンの、繊細な和柄彫刻が施されているオーク材の一面鏡ドレッサー。

 大きな鏡と一体化しているドレッサー、そこには何らおかしな点などない。けれどぼくの中で、何かが知らせるように、警鐘をがいんがいんと鳴らしてうごめいている。


「…………」


 よせばいいのに、ぼくはふらりと引き寄せられるように鏡を見やった。やった。

 鏡に映るのは、ごみがだいぶ片付けられて広くなった和室。手垢やヤニ汚れがずいぶんこびりついてしまっている壁。もうずっと修繕されていないのであろう破れに破れた障子。それに、ほんの少しだけ開いた押入れの、薄汚れたふすま。


 ほんの少しだけ開いているふすまから覗く、日本人形。


 悠然と咲き誇る梅の意匠がとても端麗な紅色の着物を身に纏って微笑んでいる、頬に差した頬紅がとても愛くるしい、日本人形。


 先ほど押入れの中を掃除した時、不気味で怖くて視界に入れたくないからと()()押し込んだはずの、日本人形。


 それがふすまの隙間から、ほんの少しだけ身をふすまの外に乗り出させて鏡越しにぼくを見つめていた。


 喉が、引き攣れる。体が、すくみ震える。心臓が、弾けんばかりに脈打つ。




「──っ、せめぐぅううぅぅぅぅうぅぅぅ!!」




 ぼくは絶叫した。

 (せめぐ)は来なかった。




 ── 憑訳者(ツウヤクシャ)は耳が聞こえない ──




挿絵(By みてみん)




 ()る。

 其れは()る。

 何処にでも()る。

 其れは何処にでも()る。

 だが決して(キヅイ)てはならない。

 決して其れを()ってはならない。

 (キヅイ)て、()り、(シタタ)め、(トオ)ってしまえば──


 もう、其れが()い世界には(カエ)って来れない。




 ── 壱 ── おばけはいない。




 錆色だと妹に評された、胸まであるぼさついた髪を後頭部で適当にまとめる。口周りのもじゃついた髭を軽く撫でて剃ろうかと一瞬考えるが、髭のないぼくを見て大泣きした姪っ子の姿が脳裏に甦ってきて思い留まる。


「はあ……」


 今日も冴えない顔が鏡に映っている。

 真田羅(まだら)(まだら)、三十歳。独身。童貞じゃないけど彼女なし。そんなぼくの冴えない顔にため息を漏らしながら黒縁の眼鏡を掛けて大きく伸びをした。ぼくの冴えない顔には似合わない、ラグビー選手のように広い肩幅の大きな体がごきりと鳴る。


「はあ……」


 またため息が漏れる。今日はとても憂鬱だ──そう思いながらぼくは洗面所を出てリビングに戻る。リビングとは言っても、事務所と兼ねているのでダイニングテーブルに応接間セット、それに執務机がごっちゃに混在している。キッチンもカウンターテーブルに遮られているとはいえリビングと一体化していて、なおのこと混沌としている。だがぼくはわりと気に入っている。


「行かないとなぁ……」


 またため息が、零れる。少しくらいそれっぽくしたいと奮発して購入したマホガニーの執務机は一番上の引き出しが鍵付きの二重底になっている。正しい開け方をしないと爆発する、なんていう物騒な仕掛けは別に施していない。そもそも面倒臭くて鍵をかけていない。

 できることならばこのまま隠し底にしまい込んだことすら忘れて葬り去ってしまいたい。けれどこのままぼくの傍に置いておくのも嫌すぎる。

 はあ、とまたため息を吐いてぼくは隠し底から一通の、厚手の手紙を取り出す。手紙とはいっても宛名も差出人名も|書かれていない。──依頼人に直接手渡された、今回の〝仕事〟のかなめである。


 ──改めて自己紹介すると、ぼくは真田羅(まだら)(まだら)。香川県高松市の中心部──瓦町駅から片原町駅にかけて広がる商店街にひっそりと佇む、〝まだら相談事務所〟の看板を掲げた古びた二階建ての鉄筋コンクリート。そこがぼくの住まいであり、ぼくが経営している事務所でもある。まあぼくしかいないけどさ。

 高松中央商店街は三キロ近くの、日本最長のアーケードを誇る繁華街だが──近年は地方郊外にできた大型ショッピングモールの影響で客足が急激に落ちて、そのあおりを受けてぼくの事務所もてんでお客様が来ない。

 ぼくの事務所が一体どういうものなのかというと、ひとことで言えば〝何でも屋〟である。便利屋とも万事屋とも言う。相談事務所という看板からだと探偵事務所とか法律事務所のイメージを持つかもしれないけれど、ぼくが引き受ける依頼内容は非常に幅広い。探偵事務所のように配偶者の不倫調査を依頼されることもあるけれど、一番多いのはハウスクリーニングだ。不要物の処理とか、引っ越しの手伝いとか、友人のふりをして結婚式に出席とか、珍しい依頼だとバレンタインに贈るチョコレート菓子を作ってほしいというのもあった。

 とにかく仕事内容に定まりがないのだ。犯罪に加担するような依頼内容でもない限り、ぼくにできることならば何でも引き受けている。犬小屋を建てたいという依頼を引き受けたことだってあるくらいだ。


 そんなぼくだけれど、今はあるひとつの依頼を請け負っている状態で、激しく後悔している。悔悟かいごしている。そして、停滞している。


「はあ……」


 何回目になるか分からぬため息を漏らすと同時に、軽い頭痛も覚えてこめかみを押さえる。今から三日前、ここに訪れた依頼人がぼくにお願いしてきたのは──この厚手の手紙の〝()()〟を処分してほしいというものだった。

 そう、中身。

 中身が問題なのだ。

 白い無地の封筒は五ミリほどの厚さがあり、まるで中身を〝見たくない〟とばかりに何重にもセロハンテープが巻き付いている。ぼくが巻き付けたんだけどね。

 ぼくが今回、請け負った依頼──それは〝写真の処分〟だった。この封筒の中には写真が数十枚入っている。それを処分してくれと、依頼されたのだ。

 当然、ぼくは何故わざわざぼくに依頼するのか問うた。それに対する答えは〝見ればわかる〟で──見てみた。見て、後悔した。泣きそうになった。思わずキャッと悲鳴上げて写真を落としてしまった。

 写真は写真でも、曰く付きの写真。そう、いわゆる〝心霊写真〟であった。

 カップルで写っている写真に写り込む白い顔。

 家族だけで撮ったはずの写真に写り込む誰か。

 クラスの集合写真に写る誰のものでもない足。

 美しい海洋の写真に紛れ込む(おびただ)しい数の手。

 ──全てが全てそんな調子で、ぼくは勘弁してくれと叫んだ。こういうのは、苦手なのだと。怖いのは嫌なのだと──依頼を断ろうとした。

 けれど依頼人も依頼人でこの写真を所有し続けることが嫌だったらしく、金に糸目はつけないからと──代理で写真の供養に行ってほしいと懇願してきた。しばらくの押し問答の末に、今月依頼が一件もなくて赤字になっていたぼくが負けた。

 負けて、昨日寺に行ってきた。

 そう、行ったのだ。写真を供養するために。写真を処分するために。依頼人の代わりに、触りたくない写真を持って。

 京都府南部の、大阪府と奈良県の府県境にほど近い閑散(かんさん)とした住宅街に隠れるようにして存在している寺院。霊験(れいげん)(あらた)かな、除霊と供養に秀ているという寺院に、わざわざ車を飛ばして向かった。香川から、京都まで。四時間かけて。長年愛用しているミラノレッドのフィットシャトルを爆走させて。

 けれど、だめだった。

 だめだった。

 だめだった、のだ。


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