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沙羅樹の木の下で

 水の枯渇によってアメリカ合衆国の衰退は始まった。

 北アメリカ大陸の中西部にある、ハイ・プレーンズ帯水層の危険なほどの水位の低下で、農業を継続することが事実上不可能になったからだ。

 ただそれでも暫くは、大規模な淡水化プラントを稼働させることで、辛うじて破綻は避けられていた。


 破綻が確実になったのは、海面上昇によって広大な沿岸地域が、海水によって浸食を受けてからだ。

 これによってアメリカ合衆国では大規模農業の維持に終止符が打たれる。


 日系アメリカ人だったヴィルヘルム・クーノはその様なアメリカで、淡水化プラントの製造管理などで収益を上げるビジネスで富を築き上げつつあった。


 たとえ農業を行えるほどの水量やコストパフォーマンスを得られなくとも、工業用水や飲料水などで多くの需要があったからだ。


 農作物などはTPP参加国などから輸入すればよく、帯水層の枯渇後も数年間は問題はなかった。

 問題が表面化したのは気象異常による熱波によって、北米の森林地帯のほとんどが焼失してから。

 森林がなくなった大地は水を貯えることが出来ず、高頻度で水害を起こし始めた。

 大地から水を搾取し続けた人類に対して、自然が仕返しをしたのだ。


 当然の報い。


 私が娘の12歳になる誕生日に、白い象の縫いぐるみをプレゼントしたのはそんなときだ。

 娘は動物園で象を見たときから強い興味を抱いてたのが買い与えた理由。


 「なんでこの象は色が白いの?」


 娘のマリアが私にそう聞く。

 おそらく象の縫いぐるみが白かったのに大した理由はなかったのだろう。

 コストを重視して未着色にしたように思えた。


 小さな玩具屋で買ったものだから。


 「日本にはオツベルと象という童話があるんだ。自然の象徴たる象を人間のエゴで酷使して、やがて増長した人間が自然に逆襲されてしまう話さ。マリアはそんな人間にはなってはダメだよ」


 ただ私の口からは自然とそんな言葉が出た。


 おそらく私の会社が管理する、淡水化プラントが海に垂れ流す排水が、アメリカに今も悪影響を与え続けてることに、罪の意識があったから口にしてしまったのだ。

 それで金を儲けて、私自身とその家族が美味い汁を吸うために、自然は酷使される。


 私はオツベルそのものなのだ。


 「パパもいつか白象にくしゃくしゃに潰されちゃうの?」


 宮沢賢治の童話である、オツベルと象を読み聞かせてから、マリアは私に度々そう聞いてくる。

 そうかも知れないと思いながら、私は肩をすくめて娘にお道化て見せる。


 「苦しいです。サンタマリア」

 「もう、さようなら、サンタマリア」

 「ぼくはずいぶん眼にあっている。みんなで出て来て助けてくれ」

 「オツベルをやっつけよう」


 象たちが童話の中で、オツベルへの不満や仕返しの際のフレーズが、何度も頭の中で反芻する。

 だが結局のところ私は淡水化事業を止めることは出来なかった。


 プラントの販売や設置先であるアメリカからの意向、株主からの優良事業に対する期待、家族を養う身でありながら事業変更をする勇気、社会的インフラを管理し続けるという義務。

 そういったものが圧力となって私一人ではどうしょうもなかったのだ。


 誰かが肩を揺らしている。

 仮眠の際のまどろみの中で意識が静かに覚醒していく。

 私自身がオツベルと名乗り始めた理由の記憶。


 「オツベル様、先ほどから魘されているようでしたが、大丈夫でしょうか?」

 「ああ、問題ない。ありがとう、リージュ室長」


 長い金髪の髪を垂らしたリージュ室長が、私の肩をゆすって起こしてくれたようだ。

 彼女の年齢は27歳、地球軌道上に打ち上げたタイムマシンのシステムを担当した科学者の一人。

 私の計画に初期から参加して、右腕として苦楽を共にした仲間。


 「近くに生えてた自然薯や野草を使ってシチューを作ってみました。よろしかったらマリアと一緒に召し上がられたら如何でしょうか」

 「そうだな、マリアはシチューが好きだからな」


 シチューを入れたお椀を二つ持って愛娘のマリアの元へと行く。

 マリアは両頬は私の折檻によって痛々しく腫れている。


 「こんなこと許される筈がない……。出来損ないのタイムマシンを使って地球の時間を停止して、それを媒体としてこの世界を本当の現実にするなんて、世界に対する冒涜。絶対に許されない」


 マリアはそう言うとまた泣き出す。

 何度も私はリージュ室長と一緒に、マリアに今の計画を説明したが、理解をしてくれなかったのだ。

 今のままでは遅かれ早かれ地球は滅んでしまう。


 ならば一度、地球そのものの時間を停止して、衛星軌道上に打ち上げた量子サーバー内で、地球再生技術やその戦略を模索する方が現実的だ。

 このサーバー内に置かれた自我は寿命を迎えることはなく、永遠に生きることも出来るのだから。


 「マリアよ。お前がミスナーの宝玉を奪った盗人を、逃がしたことについては度し難いことだ。ただ私の部下が既にこの森の一般登山道や、バリエーションルートなどに配置を完了した。盗人プレイヤーはログアウトしたようだが、ああああなるキャラクターは自我を持ち森を徘徊してる。じきに捕まるだろう」


魔法学園トリスティア・アカデミーが、まだゲームに過ぎない現段階であるならば、ゲームサーバーの管理者権限で、個別のキャラクターの大雑把な位置情報くらいは、簡単に突き止められる。


 マリアは餌付くように何かを言おうとして止める。

 たんなる罵倒の言葉を、理論的なものにするためのマリアなりの手順。

 やがてマリアは静かに口を開く。


 「プレイヤーの自我の上澄みを読み取って、それを利用して自我を持つNPCを作るなんて間違ってる。パパ、貴方は人間の心をいったい何だと思ってるの……」

 「なんども同じことを言わせるなマリア。これは人間の自我を完全にコピー可能なようにする実験であると。それに成功すれば教育に必要なリソースを大幅に減らせる」

 「……人間は機械じゃないのよ」


 心の中でため息をついた。

 わが娘、マリアは感情論で物事を考えすぎる。

 もう今年で17歳になったのに、象の縫いぐるみを抱えていた12歳のころと、精神的には大差がない。

 フッとそこで気づいた。


 「マリア、お前が持っていた象の縫いぐるみは今どこにいる?」


 子供のように無垢で邪悪な笑みをマリアは浮かべた。

 策を弄しようとしてるのは明確だった。


 「オツベル様はお優しすぎるのです。このような跳ねっ返りは、もっと強い折檻で身体に教え込む方が効率的かと。マリアもいい加減に今の状況を受け入れなさい」


 リージュが後ろから私たちに声をかけた。

 マリアにかけるそれは年長者としての気遣いではなく、サディストとしての笑みが覗いている。

 スラムの孤児院で育ったリージュは、他人に対する思いやりという感情が薄く、言うことを聞かない目下のものには、害意と悪意でもって接することに躊躇いがない。

 ただ我々の計画にはそのような強引さも必要だった。


 「お前なんかママでもなんでもない。ママのような目線で私に指図するなビッチ。パパと肉体関係を持っているようだけど、未だにリージュは愛人止まりなんでしょう?」


 少女のような残酷さと愛くるしさでコロコロとマリアは笑う。

 反対に能面のようにリージュは表情を動かさない。


 「パパはいつだってマリアのことを第一に思っているよ。だからリージュとの再婚も、マリアの許しを受けるまではしないと誓った。それにリージュがスラムで身体を売ってたのは事実だが、それは金がなかったから仕方がない事なんだ」


 産まれたときから、何不自由なく生きていたマリアは、貧困層などの実態に非寛容なことが多かった。

 貧乏人でも誰しもが高い志を持って生きることは可能だと信じている。

 そう生きられないのは心が卑しいからだと吐き捨てる。


 「私は貴女のことが嫌いよマリア。オツベル様と私が幸せになることに同意しないで、私の産まれについて周囲に言いふらしているわよね。それで私がどんな惨めな目にあったか……」


 残酷なまでに嬉しそうな顔をしてマリアはリージュに言い返そうとする。

 私はその言葉が発せられる前にマリアを殴った。

 何度も何度も殴った。


 やがて白目をむいたマリアが地面に倒れる。

 象の鳴き声が暫くして聞こえてくる。


 この大森林の中で一際大きい沙羅樹の方から、悲鳴のように象の鳴き声が響く。

 空は黄昏から宵闇に移ろうとしていた。

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