職業タニシ
ああああを操作するパトリ緒は、宝玉を盗んだ後に一目散で逃げた。
ログアウトしても良かったのだが、魔トリでは今いる森のようなフィールドダンジョンでログアウトすると、次にインしたときに同じ場所からスタートする仕様なのだ。
なので次のインで待ち伏せされる可能性を考えて、人目につかない場所まで逃げる作戦を取った。
ただパトリ緒にとって、ああああというキャラクターはネタで作ったものに過ぎなく、アイテムさえ回収できれば、後は消去してしまっても問題ないものだった。
魔トリの仕様的には一つのユーザーアカウントで、メインアカウントを含めて最大で12までサブアカウントのキャラクターを制作できる。
キャラ毎に個別のIDが振分けられてるので、アカウント一つにつきキャラ一つという捉え方だ。
このアカウント間でのアイテムの移動はホーム画面上で自由に行える。
それでも逃げたのは、廃課金してる上級者パーティーを出し抜いたという、気分を味わうため。
ようするに「上級者から一本取ったったwwww俺かっけーwww」的な幼稚なロールプレイ。
ただ街まで戻るには数時間もかかる見込みなので移動が億劫になった。
「あー、拙者そろそろ他のことしたいでゴザル。しゃーないので、ああああは森に放置して気が向いたときに、回収に来るという感じにするでゴザルか……。さて宝玉だけ回収してっと」
パトリ緒はいつものようにログアウトする。
そして不思議なことに、ああああはその場に取り残された。
プレイヤーがログアウトすれば通常、操作されていたキャラクターはその場から消える。
VRMMOなら当たり前の仕様で、他のオンラインゲームでもそうだ。
ただ、ああああは消えなかった。
ああああは暫く立ち尽くしていた。
やがて彼は自分自身の手足が、自分の自由意志で動くことに気づく。
パトリ緒に操作されていたとき、全く何も感じてないわけではなかった。
攻撃されれば痛いと感じたし、街や森のグラフィックを見て美しいと思える感動はプレイヤーから伝わり、レベルアップすれば強くなった気がした。
目の前の変わり続けるそれらの景色を、動画を眺めるように今まで体験してきた。
その動画に手足を動かして干渉することが出来ている。
状態の変化に興奮が始まり、身体の鼓動が早くなる。
その鼓動は身体の中にある内臓が脈打っているからだと、パトリ緒が残した残留思念のようなものが教えてくれた。ああああはその初めての体験をどうすべきか分からずに混乱する。
呼吸が早くなりすぎて気分が悪くなり座り込む。
過呼吸になると、血液中の酸素と二酸化炭素のバランスが崩れて、気分が悪くなるそうだ。
必死でパトリ緒が残していった記憶の残滓をまさぐり、解決策を見つけた。
鼻呼吸して息を整えればいいのだ。
意識して激しい呼吸から静かな呼吸に移行していくことで、自然と心は平穏に近づいていく。
自らの呼吸音すらも、聞こえないくらいに息が落ち着いたとき、周りを観察する余力が生まれる。
強い日差し、近くからは川のせせらぎが聞こえる。
自らの身体は逃げる過程で泥と汗だらけだ。
川で身体を洗いたいと自然に思えた。
パトリ緒から操作されて何度か川に足が入ったとき、冷たくて心地よかったのを覚えてる。
あの水を全身で浴びるのは悪くないアイデアだと思える。
さっそく川まで移動しようとするが、三等身キャラなのでバランスが悪く、なんども転んでしまう。
転びながらも試行錯誤しながら歩くことで、川に到着するころには一定のコツを掴んだ。
川の水は想像の通り気持ちがいい。
身体全体を洗い、着ていた服も洗う。
身につけていた服は、パトリ緒がネタで用意した原始人が着るような、猪の皮製のワンピースだけだ。
武器もネアンデルタール人が発明したような長槍一本しかない。
それらを念入りに洗うと綺麗になり満足感を覚えた。
喉の渇きと空腹を覚えたので、アイテムウィンドウを開いて、使えそうなものを探す。
飲み食いできそうなのものは、ペットボトル飲料の五五ティーだけだ。
川の水を飲もうか悩んでいたが、飲料に適するか分からなかったので、五五ティーを川の水で冷やしてから、煽るようにラッパ飲みした。冷えていて奇跡のように美味しい。
黄金色に輝く五五ティーは神の飲み物に違いがなかった。
そうだ、人と会った場合に備えて、会話の練習も必要だな。
再び記憶の残滓をまさぐると、パトリ緒がよく読んでいたBLと呼ばれる本のセリフが浮かんでくる。
この言葉の言い回しなどよく分からない部分もあるが、それは追々研究していこう。
ではさっそく……。
「初めてなんだ……人を……、いや・・・お前の全部が欲しいって気持ちになったのは」
「おれはっ……お前がいなきゃ……ダメなんだよっ!!」
「俺じゃなきゃイけない体にしてやるよ」
「お前は俺のもの、だろ?」
うん、初めての発声練習にしては、案外上手くいったのではないか?
パトリ緒とよく一緒にいたドロシーという人に会うことがあったら今のセリフを使ってみよう。
そういえば、俺は女顔だけど身体はおっさんだし、性別は男でいいのだろうか。
身体をペタペタと触ってみると全体的に筋肉質で引き締まっていて、股間には男性に必ずあるペニスが垂れ下がっていた。触ってみるが敏感すぎるせいで、少しの刺激だけで痛く感じる。
BLによるとそこは男性同士のコミュニケーションで頻繁に使う部位らしく、いずれ刺激にも慣れる必要があるかもだが、今は一人だしペニス弄りは後でいいか。
日が反射してキラキラ光る川の中には、様々な種類の魚がいるようだった。試しに一匹獲って生のまま噛んでみるが生臭すぎて不味い。そうだ、火を起こして、焼けばいいのか。
川にある平べっく鋭利な石を選んでナイフ代わりにして、乾燥してそうな落ち枝を削っていき、フェザースティックにする。
持っている槍の先端が黒曜石だったので、それを火打石にして種火を起こし、フェザースティックを徐々に燃やしていく。苦労しながらも約30分くらいで火を起こすことに成功。
ほかに集めていた小さい小枝などから燃やして、大きな枝も充分に燃えるレベルに火を育てあげた。
これで川魚を焼くことができる。
魚を棒で串刺しにして火で焼きつつ、五五ティーを飲んでいると身体に変化が起きた。
どうやらこの身体は水風船みたいなもので、大量の水分を摂取すると等身が増える仕組みらしい。
三等身だった身体はいつの間にか八等身程度にまで増えていた。
「悪くはないな、三等身だと歩きにくかったし。BLのようなコミュニケーションでも等身が低い男性は、魅力が少ないと思われる傾向が強かった」
空を見上げると日は傾き始めていた。
初めて見る夕暮れはどこまでも美しかった。
さてこれからどうするかだ……。
色々とプランを模索する。
まずパトリ緒と合流することが先決だろう。あの人は恐く悪人ではないし、俺をパーティーに加えてくれるかも知れない。仮に拒絶されてもドロシーの中の人は男だし、俺をBL的な意味での嫁として囲ってくれる余地があると思える。
だがその前に気がかりなこともあった。
「宝玉をパトリ緒に奪われた連中、あの中に一人だけ奴隷のように扱われてた女がいた。パトリ緒にとってこの世界はゲームでしかないようだが、俺にとっては現実だ。助けるべきだろうか……」
パトリ緒から受け継いだ思念の一部は助けるべきだと訴えていた。
ただあの廃課金パーティーはチートツールを使っているようで一部の能力がカンストしている。
正々堂々と勝負しても敗北は目に見えている。
なにか切り札はないものだろうかと、ああああはステータスウィンドウを凝視する。
ステータス上の、ああああの職業は、タニシとあった。
「は!? なんだよ職業タニシって……。タニシってあの雌雄同体で巻貝のタニシなんだろうか。なんでこんなのが職業扱いなんだよ、運営はネタに走りすぎだろ」
グチを零しつつも、タニシの特殊スキルを順に確認していくと、思いもよらぬものがあった。
ああああの口は自我が創発してから、初めて獲物を咬み千切る獣の笑みを浮かべる。
これならあの廃課金パーティーに俺一人でも奇襲できるかも知れない。
策を弄する時間が始まった。