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放課後、学校に残る生徒も疎らになった頃。部活を終え、友人とも別れ、一人屋上へと向かう。天窓から入る夕日だけに彩られた階段は薄暗い。踏み外さないように一歩一歩を慎重に、それでいて出来る限り早く階段を上って行く。屋上に出向いたのはいつぶりだろう。最近のような気もすれば、随分長い間近寄らなかった気もする。そんな疑問に答えが出る前に、屋上に続く扉に手をかけていた。
屋上には、男子生徒が一人。フェンスに手をつき、夕日を眺めていた。私がここに来ることになった理由、二川始君だ。
足音に気付いたのか、二川君はこちらを振り向き、やあ、と声をかけてくる。背面から夕陽に照らされた彼の表情はわからないが、その声は穏やかだった。彼の元に小走りで駆け寄る。
「ごめん、お待たせ!!
部活が長引いちゃってさ……」
彼に向かって両手を合わる。
伝えていた時間を30分は過ぎているだろう。仕方ないとは言え、この肌寒い時期にそれだけ待たしてしまうと罪悪感も大きい。
「ううん。それより突然呼び出してごめんね」
彼は全く気に留めていないようで、首をゆっくりと横に振ってくれた。私は内心ほっとして、その後に続いた言葉に本来の要件を思い出した。
そう、あれは昼休みのこと。友達とお昼ご飯を食べている私の下に二川君が現れた。
「伝えたいことがあるから放課後屋上に来てほしい」
端的にそう伝えた後、こちらの反応を待つことなく彼は立ち去って行った。友達も私も固まった。問題は彼が伝えたいということの内容が全く分からないということ。友達は茶化すように告白だと言ってきた。確かに、放課後で屋上で伝えたいことときたら普通は告白かもしれない。私だって他人事なら真っ先にそう勘ぐる。だけど、彼と私には一切関わりがない。クラスが一緒というだけで、友人どころか、話したこともほとんどないんじゃないのかってくらいの関係。
彼は帰宅部で、成績も運動も見た目も一般的。あまり誰かと一緒にいるところはみない、物静かなタイプ。私の彼に対する印象はこんな程度だし、逆に彼も私のことをクラスメイトの一人としか認識していないだろう。だから、この時間まで色んな考えを悶々と巡り巡らせたけど、全く要件に見当がつかない。
そんな私の考えは届かないようで、彼は中々口を開いてくれない。
「いいよいいよ。でもほんと突然。どうしたの……?」
沈黙に耐え切れずこちらから話を誘う。
「そうだよね……公谷さんにとっては突然……だよね……」
その表情は先ほどまでと同じ穏やかなものだったが、どこか切なげな印象を受けた。
これはやはり告白なのだろうか……。どう反応することもできず、彼の言葉を待つ。
「……何を言ってるのかわからないと思うけど、僕は公谷さんに救われたんだ。
永遠に終わることの無い絶望から、薄れゆく死の悲しみから、拒絶したくなるような繰り返しから、公谷さんの一言が何度も僕を救ってくれたんだ。その一言で僕はまた戦おうと思えたんだ」
「……」
彼の語っていることが一切記憶にない。これが人違いや夢であると言われた方がよっぽど納得できるほどに。でもその言葉は一切冗談めいていないし、間違いなく私に向けられたものだし、夢にしてはしっかりしすぎている。
じゃあどういうことなんだろう……。
考えが巡り巡るが妥当な結論は全く見つからない。
返事を待っているのか、彼は静かにこちらを見つめている。
気まずい沈黙が続く。
「……ほんと突然ごめんね。今のは独り言だと思って忘れて。また……明日学校で会おうね」
「……う、うん……」
二川君は私の沈黙を負の感情と捉えたようで、申し訳なさそうに少し頭を下げた。確かに少し変だけど、だからって別に気味が悪いだなんて思わない。
それより彼が明日という言葉を言い淀んだことに違和感を感じた。
「じゃあ僕先に帰るね」
二川君は私に背を向け、扉へ向かう。
どう考えても彼の発言は変だ。それでもその言葉は恐らく本心で、その表情には悲痛さと微かな期待のようなものが見え隠れしてている気がした。
だから……
「二川君!」
彼を呼び止める。彼が私に何を期待していたのか、何を言えばいいのかなんてわからない。それでも彼に応えたかったから。
彼は振り返ることなく、ドアの前で立ち止まった。
「正直二川君が何を言いたかったのかはわからない。ごめん!
でも二川君の言葉は本当で…何か、私の知らない何かに必死に立ち向かってるんでしょ?
私にはそれはわからないし、申し訳ないけど記憶にもない。それでも私が二川君を救えたならよかったし、これからも二川君の助けになるから!
……特に取り柄もない私だけど、いつでも話しかけてよ」
心の中にあったまとまらない思いをそのまま言葉にした。自分でも何を言ってるのかよくわからなくなったけど、それでも全てを彼に伝えるべきだと思ったから。
沈黙のまま時が流れていく。
これが冗談だったら、私はただの痛い人だな……。
「……ありがとう」
第一声はあまりにも拍子抜けな短いものだった。それでもその声は先ほどまでの悲痛さが抜けた、穏やかで優しいものだった。
「公谷さんは忘れちゃうかもしれないけど、その優しさが僕に力をくれる。諦めない勇気をくれる。
……やっぱり公谷さんに話してよかった。公谷さんだけは……絶対に守るから」
彼は私の方を振り返ることなく、そのまま立ち去っていった。
最後まで彼の言葉の意図は読めなかったけど、何かを決意した彼の力強い声は、その背中は、いつか見た夢を思い出させた。