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最強のコンビニ

 日が落ちてもなお街を包む夏の熱気と、日が落ちても眠らない街の活気を纏った粘り気のある空気。しかしそんな外の空気にお構い無しに涼しく、そして活気のない駅前のコンビニエンスストアに、ある男がいた。

 その男の普通の二回りは広い肩幅に2mはあろうかという体躯、そして岩を彫刻したような厳めしくも整った顔に、客も店員も、店の外を通りがかっただけの通行人さえも釘付けにされた。


 ――瞬間、男はカウンターに置かれたコンビニ弁当を一瞥すると、カウンターの向かいにいる女性にゆっくりと、寸分の狂い無く90度お辞儀をする。その仕草は相手に最大の敬意を表するものでありながらも、まるで空が降りてくるような威圧感と恐怖感を与え、実際にそのお辞儀は空が降りてくるような災害であった。


 そのお辞儀による風圧でコンビニの棚は吹き飛び、客もろともドリンク棚に叩き付ける。返すお辞儀の風圧で安物の石膏ボードの天井が砕け、全員の頭に白い粉が積もる。


 そして男はカウンターに置かれたコンビニ弁当を手に取る。コンビニ弁当の箱がパキパキと小気味の良い音を立てながら砕け、すぐに中身がカウンターに零れ落ちるが男が気付いた様子はない。


 男は口を開いた。その場にいた者はその口から発せられた強烈な振動に顔を歪ませ、その内容に唖然とした。男は愛想の良さそうな表情をしていた。


 「我が輩が弁当を温めてやろうか?」


 男の名は神成(かなり) (つよし)。彼は「最強の男」であり、コンビニ店員であり、そして、接客が下手だった。










 灰色の汚れた壁のアパートの階段を上りきり、肩で息をしながら鍵を空け、錆びた扉に手をかけ、返事が帰ってこないことを確信しながら言う。

 

 「ただいまー」


 誰もいないと分かっている空間に話しかける。それは日頃の防犯意識の高さが成せる業だ。

 ――いや、誰もいないとか思ってる時点で防犯意識0だな。


 だが、このアパートに住むにはそれくらいの図太さが必要だ。二年ほど前からこの近辺では妙な事件が相次いでおり、そのせいか今ではこのアパートの住人は俺と家主の二人だけである。

 最近では最寄りの駅前のコンビニで爆弾テロがあったらしい。犯人はまだ目撃されていないため、外出する人はさらに減っている。


 部屋に入り、洗面所へと向かう。六畳が一部屋に洗面所と台所とトイレだけのアパートだが独り暮らしには十分な設備だ。


 洗面所で何となく鏡を見る。どんな顔と言われても困る、普通の顔だ。普通に黒い髪に普通の黒い目だ。

 鏡から目を離し、手を洗う。30秒くらい石鹸で洗うと良いらしいが、面倒だし3秒ルールとかいうのを聞いたことがあるから3秒くらい洗う。


 そうして濡れた手を、手が拭きやすいポケットの無いズボンに押し付け効率的に手を拭きながら、夕食を作るために冷蔵庫を開ける。冷蔵庫から出る冷たい風が肌に当り、食べ物の臭いが手当たり次第に混ざった独特の苦い臭いを鼻に感じる。ふと、普段毎朝見ている上から二段目の狭い棚を見て、あることに気がつく。


 「あれ、ヨーグルトが無いな」


 俺の午前中の活動には、乳酸菌が腸にまで届くらしい『おなかにやさしいヨーグルト』が必須である。その優しさは、名前が全てひらがなで幼稚園児でも読めるようになっているほどの気配りからも推して知るべしだろう。……ヨーグルトはひらがなじゃないって?「ヨーグルト」すら読めない幼稚園児にヨーグルトを食べる資格はない。


 とにかく、ヨーグルトが無いと俺は腹痛でトイレに半日籠る羽目になる。俺は男だが出産する女性の苦痛を理解しているつもりだ。ヨーグルトが無いときのアレはそれほどの苦痛、まさに生みの苦しみだ。

 そんな生みの苦しみを味わいたくない俺は、コンビニでヨーグルトを買うために、あまり疲れてない足を誰も見ていないのにわざとらしく引き摺りながら再び外に出た。



 外は真っ暗で、上弦か下弦か分からないけどそんな感じの月が出ている。人が減ったせいか街灯も付いていないものが大半でだいぶ暗い。近くのコンビニも続々と潰れていっていて、最寄りの駅前のコンビニもテロで潰れたらしいので、この暗い中を一時間くらい歩かなければならないだろう。そう思うと更に目の前が暗くなった気がした。


 「本当に誰もいないな」


 腕時計を見たら夜の2時を回っていた。こんな丑三つ時に誰か出てきたらそれはそれで怖い気もするが、誰もいないのも寂しい。そんな矛盾した気持ちを抱えながらコンビニへ歩いていく。

 コンビニには少なくとも店員がいる。早くコンビニ店員に会いたい、その一心で歩みを早くする。なんだか恋する乙女のようだが、実際には一人でトイレに行けない小学生みたいなものだ。

 コンビニに向かう俺、イコールトイレに向かう小学生。つまり、夜の恐怖に耐えながら必死に歩いている今の小学生のような俺にとって、コンビニはトイレみたいなものだ。


 ――そんな具合に思考を飛躍させていきながら、コンビニにたどり着いた。


 自宅から徒歩で一時間のところにあるコンビニは見たことの無いものだった。正しくは見たことのあるチェーン店だったが、外装が初めて見るものだった。

 まず店の看板に赤と緑で書かれるはずの7の数字は、この店では光沢のある灰色で描かれていた。周りの建物は一般的なコンクリート建てであるのに対して、このコンビニは見える範囲は全て金属で作られておりやたらテカテカして夜でも眩しいほどで、昼は恐らく直視できないだろう。近所迷惑だ。また外から見て窓がない。詳しくはないが、さながら軍事施設のようだと俺は思った。


 ……やっとトイレに着いた。コンビニを見た瞬間にそう思った俺は、歩いているうちに目的がすりかわってしまったことに気が付かなかった。


「いらっしゃいませ」


 やたら重い鉄製の分厚いドアを開けて中に入ると、モアイみたいな顔の大男が馬鹿丁寧にお辞儀してきた。

 こんな重いドアな時点で誰もいらっしゃらないだろ。空調がおかしいのかやたら強い風が正面から吹いてきてるし、せめてドアは自動にしてくれよ。


 店内は壁や天井が鉄製である以外は普通のコンビニだった。

 俺は早速コンビニに来た目的であるトイレに向かう。途中の18禁雑誌コーナーの前で立ち読みしている男がいるが、努めて無視を決め込む。


 トイレも鉄製だった。小便が当たってキンキンと高い音を鳴らすのが恥ずかしい。小便器に音姫が欲しくなったのは初めてだ。まあ別に大きい方にも音姫なんか使わないが。


 トイレを済ませて手を洗い、コンビニの商品に触るわけでもないしいいか、とびちゃびちゃのままトイレから出ると、目の前にはさっきのモアイが腕を組み仁王立ちしていた。


「お客様、トイレをご利用の際は商品を購入していただくのがマナーではないのか?」


 コンビニが震えるほどの低く、力強い声だった。口調は敬語なんだか尊大なんだか分からない。


「分かったよ。何か買えばいいんだろ」


 そういうと俺は適当な雑誌を取ってモアイに渡した。立読みしていた人が目を見開いてこちらを見ている。モアイも雑誌の表紙をじっと見ていた。洗ってない手で触ったからかふやけている。


「……お客様、我が輩を馬鹿にしているのか?」

「うん?何を……げげっ」


 モアイの肩が怒りで震えているのが分かる。表紙をよく見ないで雑誌を取ってしまったが、よく見たらエロ本だ。というか、大抵トイレに一番近いところに置いてある雑誌はエロ本だ。


「こういうのがお客様の趣味なのか?」

「は?」


 モアイが何故か悲しそうな声で聞いてきた。立読み男はモアイと俺を二度見している。そこはかとなく感じるアウェー感。どういうことかともう一度表紙をよく見てみると、表紙にでっかく「ロリ」の二文字が踊っていた。

 ……不味い。非常に不味い。このままではロリコン扱いされてしまう。この嫌疑を晴らすにはどうしたらいい? 

 そうだ。このモアイ、こういうのが趣味なのかと聞いてきた。ならば趣味ではないことを示せばいいはずだ。ここで俺がモアイに言うべき言葉は趣味の対義語、つまり!


「いえ、これは仕事です」


 声を作って、出来る限りハンサムに言い切ってやった。立読み男が口をポカンと開けているが、その口の形はただ驚愕を示す「あ」ではなく、感嘆を示す「お」の形。どうやら立読み男もこの場を乗り切るための俺の最高の一言に感動しているらしい。

 ……どうしてか、立読み男の手元にある本に「JS」の文字があるのが見えた。


「お客様、カウンターへ来い」


 モアイの声でまたコンビニが揺れる。その声からは、今までにない冷たさが含まれていた。更に、モアイが歩く度に床がひび割れて凹む。俺はモアイの後ろに続きレジの前まで行く。

 エロ本を持ったモアイとカウンター越しに向かい合う。モアイはもはやモアイと呼ぶのが憚られるほど眉間に皺を寄せて怒っていた。


「すぅ……」


 モアイが息を吸い込んだ。次のターンで吐くブレス系の攻撃の威力が倍になる。


「お客様ぁ、こちらの商品を我が輩が温めてやろうかぁ!?」


 コンビニが今までとは比べ物にならないほど大きく揺れる。窓があったら割れていただろう。後ろの方で誰かの悲鳴と何かが倒れる音が聞こえた。モアイはニヤリとしている。何に対してニヤリとしているのかは分からないが、ふやけたエロ本をレンジで乾かしてくれるというのは有難い申し出だ。


「お願いします」


 俺がそう言うと何故かモアイは驚愕に目を見開いたようだ。自分で言ったことだろうに。しかしモアイはエロ本をレンジに入れるとレンジの設定をする。900Wで20秒、パンを温めるには少し強い。900Wだと15秒くらいがベストなのだが、多くのレンジは10秒単位でしか設定できないのだ。


 ――チーン……。


 モアイは、湯気が出ているふやけたエロ本を持ってきて、カウンターに置いた。その衝撃でカウンターが凹み、亀裂が入る。


「480円になる」


 一拍置いてモアイが言う。俺はポケットから財布を取り出そうと太ももの辺りに手を入れようとして、あることに気が付いた。

 俺のズボンにはポケットが付いてなかった。


「すいません、財布忘れました」


 バキッ、とレジのバーコード読み取り器が砕ける音がする。そのすぐ後に、顔の左側を、何か顔と同じぐらいの大きさのものが飛んでいくのを風圧で感じる。そしてゴキンという音と共に強い振動があり、後ろを振り返ると鉄のコンビニの壁に大穴が空いていた。正面に向き直るとレジが無くなっている。千切れた配線を見るに、レジを投げつけたのだろう。随分キレやすい奴だ。


「……急に何だお前、危ないだろうが」


 俺がそう言うとモアイは急に口元を歪め、そこを手で隠しながら下を向く。そしてついに笑いが堪えきれないと見ると顔を上げて高笑いを始めた。笑い声でコンビニがまた揺れる。防音とかちゃんと出来てるのだろうか。こんな夜中に騒いで苦情が来ても困るのはこいつの方のはずなんだが。 


「我が輩は何かだと!? 教えてやろう。我が輩は神成 毅ッ! アルバイト解雇数最強の男よォッ!」

「……なんだそれ」


 アルバイト解雇数最強の男。つまり滅茶苦茶アルバイトを首になっているということか。まあこんなやつそりゃすぐ首になるだろうな。むしろなんで採用するんだろう。このコンビニに至っては明らかにこいつ採用するためだけに建物を丈夫に作ってあるし。


「ふはは、喰らえぃ! 延髄切り!」


 そう言うとモアイはカウンターを破壊しながら俺の後ろに瞬時に回り込み、回り込んだ勢いのままに回転しながら俺の首目掛けて飛び蹴りを放つ。視界の左にカウンターの残骸が浮かんでいるのが見え、首のすぐ後ろから風を切る気配を感じながら、迫ってくる足を首のすぐ近くで左手で止めた。


「自分がクビになったからって人の首は狙うなよな」

「ぐっ……まだクビにはなっておらんわ。お客様……一体何者だ?」


 モアイの言葉に先ほどまでの勢いが無い。それほどまでに自信を持って放った一撃だったということか。――俺は何者か、か。


「俺が何者か教えてやる」


 俺はカウンターの上からまだ湯気が出ていて熱いエロ本を取ると、思い切り振りかぶり――


「俺はロリコンじゃねえッ!」


 後ろの方で伸びている立読み男に投げつけた。立読み男は声もなく吹っ飛んでいった。モアイが驚いた表情をしているが、俺がロリコンじゃなくてそんなに驚きか? 


「ならばなぜお客様はこんなところに……」

「トイレしに来たんだよ」


 そう。俺にとってコンビニはトイレみたいなものだ。……あれ、でもなんで俺は家で済ませて来なかったんだろうな。


「ならば何か商品を買わねばここは通せん」


 モアイが俺の首元に右手で横凪ぎに手刀を放ってくる。鮮やかな円軌道を描く手の甲の先の爪が、先ほど壁に空いた穴から差し込んでくる光に照らされて輝くのが見える。その手刀を中腰になって回避する。


「別にいいだろ、財布が無いんだし」

「黙れ! 我が輩はここをクビになるわけにはいかんのだ」


 手刀を回避した先には左手による貫手が置かれていた。このタイミングでは回避できないだろう、そんな色を滲ませながら顔を歪めたモアイだったが、しかしその貫手は俺の首を貫くことはなく、だが首に直撃した。直撃しつつもモアイは俺が全くダメージを受けていない様子に困惑している。俺はそれを意に介さずモアイの腕を掴み、そして放り投げた。


「知るか!」


 そして誰もいなくなったコンビニを見渡す。


「あれ、そういやさっきのエロ本店の外まで投げちゃったな。まだ料金払ってないし、ヤバイな。……まあいいか、帰ろう」


 コンビニを後にする。一応トイレに行くという最大の目的は果たしたはずだが、何かが引っ掛かる。空を見ると綺麗な朝焼けだ。……ん? 朝焼け? 


「あっ、ヨーグルト買うの忘れた」


 少しして、濁った鈍痛が俺の腹を襲う。清々しい夏の早朝、近所の爺婆のラジオ体操が聞こえてくる。そんな日の出来事だった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

他の話のプロットを考える合間にプロットを用意せずにノリで書いているため、更新は週~二週に一回程度になるかと思いますが、よければよろしくお願いいたします。

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