「パラレルワールド!?」50
胸が高鳴る。わくわくしているのだ。ここ数年はなるべく腕力には頼らないような平和で、少々退屈な生活を過ごしてしてきた。その反動なのか。体を動かす事が、相手とこうして向き合っている事が、凄く楽しい。確かに勝ち負けも重要だとは思っている。しかし、今は、この感覚を――
「……!」
体が軽い。ただ距離を詰めるためだけに走ったのだ。脚の回転がとても自分のものとは思えない。自分は速くなり、周囲の景色だけが遅くなってしまったかのよう。昴はその興奮を抑えきれず、口元に鋭い笑みを湛える。
投げ飛ばされながらも決して地面に体を着けようとはしないフェノン。空中で向きを変え、爪先から軽く着地。すると前方からは何の策も無さそうな昴が拳を握って走ってくるではないか。先程とは比べ物にはならない速度。だが、それでは思考が読めてしまうというものだ。しかしフェノンはまたもや動こうとはしない。むしろ迎え撃とうとしているのか、分かり易く構えを取っている。
その行為へのどよめき。攻撃をするべき相手だと見たのだろう。だがそれはレイセスの力に依るもので――
その距離数十センチ。確実に拳を当てられる範囲だ。ここまで来たら小細工も思考も何も必要無い。ただ思うがまま、この感覚を楽しむために一直線に全力を打ち込むだけだ。強く握り締めた拳は熱く、まるで全ての力がそこに集まっているかのようだ。いや、実際にそうなのだろう。言うなれば必殺の一撃とでも呼びたいくらいだ。しかし、実際に口に出すのはさすがに恥ずかしい。だから、雄叫びを上げて。
「オ、オオォォ――!」
腹の底から押し出される低い声。自分でもこんな声が出るのかと思った程だ。右腕を大きく引き、体の回転を意識して、全てのエネルギーを自慢の拳に乗せる。
フェノンも負けずに体を捻りその細い腕を引く。その手が淡く紫色に発光しているようだが、昴はそのような些細な事には目も暮れていない。昂ぶった感情をぶつけるためだけに相手の攻撃も恐れずに踏み込んでいく。
両者の拳が迫る。観衆の声も一際大きくなり、この勝負の結末を見逃すまいと固唾を飲んで前のめりに。
レイセスは昴の身を案じる事しか出来ない。両手を堅く組み、ただ祈る。出来る事なら怪我はして欲しくない、と。
拳が、ついに、衝突した。巻き上がる強烈な風に瞬きを数回しながら、昴は感じる。手応えはあった。直撃しているはずだ。現に今もこうして硬い感触が拳に伝わっているのだから。風が晴れる。するとそこには――
「何だよ、これは……!」
自身の拳。強烈な勢いで放ったそれは、フェノンに当たる事無く拒まれているのだ。また防御障壁か、と悪態を吐こうとも思ったがフェノンの拳も同様に壁に当たっている。つまりこれは第三者による妨害である可能性が高い。
「……終わりか。残念」
そのフェノンの一言の後。割って入る人物が。その男は手を叩きながらこちらに向かって来るではないか。やはり昴はこの手の職業に就いている人間は総じて苦手な部類に入れなくてはと胸中で愚痴を零す。
「そう怖い顔しないで……あれ以上やられると怪我人出すかもしれないからね。それに、耳を澄ましてみるんだ」
そう言いながら近付いて来たのはあの男教師だ。言われた通りに耳を周囲の音に傾けるが、やはり耳が遠くなっているのかぼんやりとしか聞こえない。まるで耳栓をしているようだった。
「終了の鐘だよ」
微かに聞こえる音の低い鐘。そこで理解した。この世界にも授業時間という概念はあるらしい――無ければどうなってしまうのだろうか――。そして、それとほぼ同時。昴の体を襲う猛烈な虚脱感。視界が揺れている。足から崩れ落ちてしまったのだ。しかし自身が倒れた事にも気付いていないのか、その場から動こうともしない。
「おや大丈夫かい? 誰か、手が空いてる人は運んで上げてなー」
「スバル、大丈夫ですか!? スバル!?」
「ん……あれ、倒れてる、のか? ごめんちょっと、どころじゃなけど眠い、から……」
意識が睡魔に刈り取られる。ここまで綺麗に眠りに就く事が今まであっただろうか。
「フッ……」
体の大きな生徒が昴を抱えている姿を見ながらフェノンは静かに笑う。誰にも悟られないように。
「まあまあ、悪くは無いね。次を楽しみにしてるよ」
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