「人形の誇り」73
*****
「――追います?」
昴たちが去った後だ。学院長室に入ってきたケンディッツが口にした言葉。部屋の外で聞き耳を立てていたのか、それともそうするように指示を受けていたのか。いつもよりも声のトーンを落とし、腕を組みながら学院長の返答を待つ。
「いや、やめておこう」
しかし、学院長の小さな唇から漏れ出たのは意外な文言だった。消極的に、諦めたかのように溜め息を吐くとわざわざ音を立てて頬杖を突くではないか。
「お。珍しいですねぇ……まあ俺としても仕事が減るのは嬉しい事なんで歓迎しますよ? どんな理由なんです?」
「理由も何も……彼は故郷に帰ると言ったらしい。しかし……彼の故郷は、もう存在しないのだよ。この国にはな」
引き出しから地図を引っ張り出した。それを広げて指で叩く。彼女が示したのは国境付近にある小さな空白。黒々と塗り潰された場所。
「なるほど帰る場所がねえ、ですか……そいつはまぁ……追ってまで制裁を加える必要は無いって温情ですかい」
「そういう事だよ。それに、そもそもはこの学院を標的にしていた訳ではないらしいから……無罪とは言い難いがね」
この空白地帯が彼の、アレクの出身地だ。山岳地帯に座したのどかな町であったと聞く。人形の製作が盛んでその繊細な装飾技術は他の土地の職人にも尊敬されていた程の腕前だったとか。
しかし、そのようなの平穏な町にも災厄が降り掛かった。それが――
「クレイ家ってのは厄介な家系ですなぁ……大きな声じゃ言えないですけども」
「……どうとも言わんよ私は? ただ上の技術を求めるのは武人も一緒では?」
「さてどうでしょうね……俺なんかを武人なんて呼ぶのはどうかと思うんですよ」
――クレイ家。国内最大の人形遣い、人形職人集団だ。故に彼らは求めた。その素晴らしい技術を。
だがアレク達はその申し出を断ったのだ。いくら金を積まれようが自分達の技を他人に売るような真似はしない、と。
故に、奪われた。培ってきた領地を。
故に、失った。愛する人を。
故に、燃えた。復讐の炎が。
「復讐の為にこれまで準備してきたんだろう。しかし、それすらも叶わなかった。拒んだのは私たちでもあるがね」
「ううむ……難しい話ですな。同情は……誇りを傷付けるのかもしれないですし、やめておきますか。そんじゃ俺も詳しく首を突っ込むのは嫌なんで退散しましょうかな?」
ケンディッツにはどうも仕事嫌いの癖があるようだ。その割にはこうして学院長室に呼び出されればしっかり来るし、頼まれれば余計に動く。だから学院長自身もこうして気を許して色々と話し込むのかもしれなかった。
「まあ待つのだ。まだ仕事はあるぞ」
「えぇ……何です……?」
「あの倉庫の持ち主を調べてくれないか?」
「倉庫……アイリスが燃やしたあれですか。アレク殿の所有物じゃないんですかい」
人形が大量に詰め込まれていた倉庫。跡形も無く燃やし尽くしたあの倉庫だ。
「そうらしい。停学降格処分にした学生達が言うには、いつも取引に来ていたのは若い男だと」
「あーそんな事言ってたな……調べてみます。人、借りますよ」
物分りが良いケンディッツ。どうやらもう頭の中に算段が出来ているようで、急いで退出したい雰囲気を醸し出しているではないか。
「任せた。嫌な予感がするのだ」
「学院長の予感当たりますからねぇ……行ってきますかな」
「うむ、頼むぞー」
ぱたぱたと手を振ってケンディッツを送り出すと、自身は背後の窓へ。視界の向こうには外で授業を行う生徒が。
「せめて、学院には何も起こらなければ……」
*****