「人形の誇り」52
逃げると分かれば自然と早足になってしまうものだ。特にここに危険が迫っているとすれば尚更。人形置き場を抜け、商館風のエリアへ。ここを突っ切ればすぐにでも出口だ。しかし問題は出入り口がそこにしか存在しないという事。それから、遮蔽物が少ないという事も。この心配は必要なかったのかもしれないが、それでも周りの状況を把握しておくのは実戦では重要な事だ、と戦闘学で習った。意外にもこういうところで役に立つらしい。困った物である。
「……止まった方が良いかもしれないです」
そんな時だ。メルタの手が伸び、昴の腕を捕らえたのは。急制動を掛けられ体のバランスを崩すも、それ以上の失態は無く素直に停止の案を聞き入れた。
「どうして?」
「……外に気配が、あります」
「マジか……とりあえず隠れて様子見するのがベスト、かな?まったく窓くらい多めに付けとけってんだ……」
「え、誰か来るのですか……?」
「可能性があるならその気配とやらが通り過ぎるのを待つしかないわな」
言いながら辺りに視線を巡らせる。階段上に逃げれば確かに視界からは逃れられるだろうが、その場合は脱出の方法が難しい。このフロアで身を隠せそうなのは壷やら置物やら椅子、机。バラバラに身を隠す事になる。自分一人ならばどうにでも、と思考してしまうのは悪い癖だ。
昴の思考が完結するよりも早く、事態は訪れた。
扉。その向こうから声、だろうか。自分だけに聞こえた気のせいのものなのかも、と女性陣に顔を向けると彼女ら、特にレイセスとエレナは動揺し始めているようだ。
その後、続いてゆっくりと扉が開こうとしているではないか。これはもう身の安全を考えて、隠れるしかない。
「と、とにかく皆隠れて……!様子だけは俺が見るから――」
散り散りに、状況を理解していないらしいルゥはレイセスが抱えて。それに続くようにエレナも同所。各々が近場で身を隠す。しかし、昴は失敗だったかと思っていた。何故ならば。
(……メルタさん、近い……!)
むしろ昴は自主的に隠れたと言うよりも腕を取られたまま引っ張られた、と言うのが正しかったのだ。無理矢理引っ張られ何か良く分からない像の裏に投げ込まれるように。台座が二人の姿を隠すのには少々小さい故なのか、メルタがぴったりと背中に抱きつくように身を寄せているのだ。人形、であるはずなのに柔らかく温かい感触。香水のような香り。さらさらとした髪が首を擽る。正直、|生きた心地がしなかった《わるくはない》。
誘惑に耐え、顔の半分だけを外へ。すると。
昴の目が捕捉したのは人影だ。一つ、二つ……五つ。五人だ。しかも見覚えのある服装である。
「学院の、生徒じゃねえか……!」
白を基調とした衣服。胸元に刺繍された紋章は学院の生徒たる証。五人は入るや否や辺りを注意深く見渡しながら奥へ、人形の置かれていた場所へと向かっていくではないか。これはもう、確定なのだろうか。それとも、思い違いか。
急ぎ足で進む彼ら。近付くに連れ表情もしっかりと見て取れる。その誰も彼もが険しく、真剣だ。しかし彼らには見覚えが――
「……工学の生徒です」
――メルタの声が耳元で囁いてくる。一瞬だけびくついてしまったが、なんとか平静を繕う。
「工学……確かあのリストにあった名前も工学が多かったような……?」
セルディが集めてきた不審者名簿――昴はそう呼んでいるようだ――を思い出す。どうするか。まだ確証が無い。不意打ちをすれば例え五人でも。足音は過ぎ去ろうとしている。もし人形たちを起動されたら。悩む。時間は少ない。パキ、と。下を向いた。鳴った、鳴ってしまった。妙に大きく。
「何か聞こえなかったか?」
「ん……確かに言われてみれば」
「おい!誰か居るのか!」
首の骨が。何という事だ。ならば、やる事は決まっている。
足音が近付いて来る。机や椅子を確認しているのだろう。
不意打ちは難しいか。
「メルタさん。ちょっとこれ、押すの手伝って貰える?」
半ばヤケクソであった。しかし、打撃にはなるはず。メルタが頷くのを見届けると、昴は思い切り像の台座へと肩をぶつけ力の限りそれを押す。そこにメルタの力が加わると、かなり軽い力で像が傾く。あとは重力に引かれて、落ちるのだ。
「あ、危ない……!」
「う、おぉ!?」
重量のある鈍い音と、野太い悲鳴。それから立ち上る砂埃が視界を殺す。
「誰だ……誰だ!」
一人が叫ぶ。呼んでいるのだ。この像を倒し、同志を犠牲にした誰かを。
「げほっ……残念一人しか倒せなかったか」
呼ぶのなら、答えてやろう。
「諸星 昴だ。覚えておけよ」
悪が目の前に居るのなら、倒してしまおうではないか――失態は自分でカバーするのである――。