「人形の誇り」40
伸びをしながら階段を下りていく昴。途中何度か入居者とすれ違うと毎回のように挨拶をされる。
「おはようございます」
「ん……おはよう」
この世界に来てから、と言うよりはこの寮に入ってからはいつもそうなのだ。礼儀正しい人が多い。あくまでもこの寮では。どうしてか、昴の周りはそのような人間は少ない気がしてならないのだが。理由が知りたい。
「おざーす」
まだ微妙に筋肉痛の肩を回しながら昴はエントランスへ。管理室の小窓は開け放たれていたので顔を乗り出して適当な挨拶。
「ああモロボシか……こいつが欲しかったんだろ。本来なら前日に出すのが普通なんだが……そういや説明してなかったからな」
部屋の奥、机に積み重ねられた書類を崩さないようにしながら現れたのはケンディッツ。相変わらず怠そうである。その手には何やら小さい紙が。投げ付けるようにカウンターへ置く。
「なんすかこれ?」
昴はそれを両手で掴むと首を傾げながらも書かれている文字の羅列に目を通す。内容は――小難しい。読むのは諦めよう。ならば、と。大体書かれている事というのは始めと終わりのどちらかに重要な事柄を置いてくる。つまりそのどちらかが分かってしまえば解読の必要はあまりない。これが昴の持論である。
「(が、い、しゅつ……?)……ああ外出ね! 外出届とかいうあれだ! さっき聞いたやつ!」
「なんだ話は聞いたのか」
「ええ、まあ。ついさっきですよ? 昨日聞いてたらちゃんとやってましたよ多分」
「……別に何も言ってないんだけどな。察しが良い奴だ。ここ、名前書いとけ」
「うっす」
鉛筆に似ているタイプのペンを昴に渡し――見た目鉛筆なのだが、昴からしてみるとペンなのだとか――、書面下部にあるアンダーバーを太い指で叩く。
数秒しか視界に入れなかったが、やはり彼の指は傷も多く、それこそ男の指、という感じだ。それだけ苦労があったのだろう、とかなり適当な見解を頭の中に思い描く。名前だけは少しだけ慣れた手つきで書き終える。油断すると自分の世界の言葉で書いてしまいそうにはなるのだが。
「まあ、なんだ。悪目立ちするような事だけはしないで貰いたい、ってのが学院からの約束だ」
「んー大丈夫だと思いますけどねえ」
「それもそうだな。お前は分別ある奴だとは思ってる」
「お。買ってるんすか? いった!」
「……あとは門限がある。正門の方だ。それだけは守ってれば……まあどうにか出来る」
説明の途中聞こえた昴の悲鳴。ケンディッツの指が額目掛けて放たれた故だ。なかなか強烈だったらしく赤みが大きく残っている。
「基本的にはそんなところだ。偶の休みだし休んでおけよ」
「そうしますよ」
「どうせお前はほとんど忙しいんだからな」
言葉の意味。まだまだやる事が残っている、という意味だろうか。だとするのならケンディッツの言うように休める時は休むべきだ。昴は適度に息抜きを行うタイプなので大丈夫だとは自分でも思うのだが、他人から見たら違うのかもしれない。
「なんでこんな事になってるんすかねえ」
「知らねえよ。おら、さっさと行って来い」
「はいはい。そんじゃ行ってきま~す」
久々の愚痴。他人に零したのは久し振りなような気がした。ケンディッツから数歩離れてお辞儀。数歩進んで、ふと思い出す。
「あれ、なんで俺が外に出るって知ってたんです……?」
昨日は挨拶した記憶すらないというのに、その状態で自分が誰かに話し掛けるはずがない。ならばどうして知っていたのか。
「ああ……」
ケンディッツも背中を向けようとしていたが昴の声で立ち止まる。その顔は何故か不満気。頭を掻きながら一言。
「外出りゃわかる」
「外……?」
外には一体なにがあるのか。とにかく申請も出来た事だ。これでようやく自由になれる。束の間の休息に。