三話
これは、
私の小さな物語、
「優子〜」
「はーいお母さんなに?」
「お父さんの知り合いが廣島にいるからお使い頼んでもいいかな?」
「いいよー?」
「はい、この手紙をこの住所の人に渡して、その人から渡されたものをちゃんと持ち帰ってきてね?行きと帰りは砂利船のおじさんにお願いしてね?」
「はーい」
「あとこれ、好きなもの買っていいわよ」
「やったー」
割烹着を着たお母さんは台所に駆け込むとまた何かを作り始めた、
いつもの光景だったので首から下げた財布に先程もらったお小遣いを入れて玄関まで走る、
大きめのガマ口財布に手紙も入れて、
行ってきまぁすと大きな声で叫ぶと行ってらっしゃいと返事は返ってくる、
近くの川まで走っていると近所さんから何かいいことあった?と聞かれてお小遣いもらったことを自慢げに話す、
川まで来ると波止場に白い紙の筒から臭い煙を出すヒゲのおじさんがいた、
「おじさーん」
「お、おお、古賀さんところの優子ちゃんかい、どったの?」
「おつかーい」
「よしよし、お手紙見せてみ?」
ガマ口の硬めの財布を無理やり開けると、
白い紙切れをヒゲのおじさんに見せる、
「おぉ、廣島か、また海苔が切れたのかな」
「?」
「お母さん大変だね、お父さんがあんなに鈍感なんだから」
「???」
「ちっちゃい子にはわからんか、ほら、乗ってけ」
木造の小さな砂利運搬船の帆を下ろすとゆっくりと川を下り始めた、
黒瀬川から音戸、音戸から江田島横を小さな砂利運搬船が帆に風を受けながら一本の櫂でゆっくりと進んでいく、
するとヒゲのおじさんは船の出っ張りに紐を結んで何かを投げ込んだ、
「気になるか?」
と臭い煙を吐きながら言うとしばらくたってからまた糸をたぐり寄せる、
するとそこには小さな魚がかかっていた、
「おじさんの今日の晩御飯」
と今度はヒゲのおじさんが自慢げに私に見せてきた、
その魚を糸の先から外してたらいの中に入れる、
そしてまた糸を海の中へ、
ゆっくりとした時間と、
魚の泳ぐたらいの音と海の波や風が綺麗な歌を作っている気がした、
やがて廣島の太田川に差し掛かると波止場にヒゲのおじさんを待たせてお店に急いだ、
「こんにちはー」
「いらっしゃい」
店の奥からパタパタと忙しそうに女の人が出てきた、
お母さんとは違った感じの割烹着を着た人だ、
ガマ口財布の硬い口を開けて手紙をその人に渡した、
「これをくださーい」
「あらまぁ古賀さんところの」
奥の方にまた忙しそうにパタパタと、
そして奥の方から黒い布に包まれた箱を持ってきた、
「はいこれ、ちゃんと持ち帰ってね」
「はーい」
黒い布に包まれた大きめの箱は見かけとは違って意外と軽かった、
手さげで持つと地面に触れるギリギリだったので割烹着の女の人に手伝ってもらいながら背負う事にした、
ガマ口財布から封筒を渡すと確かにとこちらに笑顔で返事が返ってきた、
カラカラと下駄がリズムを奏で野良犬が後ろからついてくる、
その場に生えていた猫じゃらしをちぎって犬に向けると犬は尻尾を振ってこちら見つめる、
仕方ないので木下に落ちていた枝を拾って後ろに投げれば犬はこれを取りに行った、
この隙にと走れば下駄がカラカラと、
波止場まで来るとヒゲのおじさんを待つ、
きっと川上まで砂利を運びに行ったのだろう、
猫じゃらしで犬と戯れる、
「おーい、優子ちゃーん」
川上から煙を吐きながらヒゲのおじさんが帰ってきた、
船には砂利が沢山積まれてたし何よりお日様は傾き初めて空を染め始めていた、
「ヒゲのおじさん…」
「ん?どったの?」
「犬が離れん………」
「………」
まさか犬がいるとは思わなかったヒゲのおじさんもただただ煙を鼻から吹いて頭をガシガシと掻いていた、
参ったなぁと呟くと腕を組んで考え始める、
「あ、」
「どったの?」
「キャラメル買ってくるー」
子供は気まぐれである、黒い布に包まれた大きめの箱を背負いながらヒゲのおじさんと犬が後ろからついてくる、
駄菓子屋を見つけると棚からキャラメルを三箱とり縁側にいたおばあちゃんに差し出す、
ガマ口財布から穴の空いた十銭玉を二枚た出す、
お釣りもちゃんともらってお礼を言うと店先で待っていたヒゲのおじさんと一緒に波止場に向かった、
もちろん犬もついてきた、
「仕方ないから乗せちゃうか」
参った参ったと頭を掻きながら船の縄を解いていく、
正座して船に乗っていたがなんだか足が痛くなり姿勢を崩す、
良く見れば砂利が原因のようだ、
それに気が付いたヒゲのおじさんは楽な姿勢で座りなと座布団を渡してくれた、
たらいの中の魚と遊ぶ犬を見ているとある事に気が付く、
「お魚減ったの?」
「新鮮だからねぇ、砂利を積んでる間に近所に売ってきたな」
「へぇー」
やがてあそび疲れた犬は優子のそばで寝始め、
お使い疲れの優子も眠そうにうつらうつらと頭を上下する、
呉につく頃には完全に座布団の上で寝てしまっていた、
ヒゲのおじさんがちゃんと起こしてくれたが寝起きの頭はまだ回転が遅いまま帰り道を歩いた、
もちろん犬もついてきた、
まもなく曲がり角に差し掛かると人影が飛び出してきた、
「げ」
「げって何だお前」
近所で有名なガキ大将だった、
クラスでは男子のまとめ役で女子からは距離が置かれていた、
「お前ん家犬飼ったのか」
「ううん、勝手についてくるの」
「変な犬だな、のらくろみたいに真っ黒だ」
確かにのらくろに似てる、
しかも本当に野良犬だから内心本当にのらくろが漫画から飛び出したのではないかと考えてしまった、
「そういえばかぁちゃんが言ってた、お前ん家で手伝える事があったらいつでも言えって」
「あぁお兄ちゃんのこと……」
お兄ちゃんが死んで間もなく四十九日、
家の雰囲気は変わってなかったのにお父さんの暗い顔が増えたような、
そんな気がしていた、
帰ってくれば羊羹を一本くれた、
帰ってくれば飴玉を何粒もくれた、
帰ってくればすスイカを一玉くれた、
帰ってくればキャラメルを一箱くれた、
帰ってくればわらび餅ときな粉をくれた、
帰ってくればあいすくりいむを一杯くれた、
帰ってくれば美味しいものをごちそうしてくれた、
帰ってくれば、帰ってくれば、
正月の一月一日にみんなで笑いあったのに、
次の便に乗って、お兄ちゃんは居なくなった、
「じゃあな、用事があるから」
「うん、のらくろ、帰ろう」
過ぎていく背中は、
お互いに別の寂しさを背負って、
すれ違っていく、
嗚呼、のらくろ、あなたも寂しかったの?
「ただいまー!」
「お帰りなさい優子、お使いは?」
「これ?」
「どれどれ」
布を丁寧に取り木箱を開ければ、
白い帯に黒い札束のようなものが入っていた、
「お金?」
「海苔よ」
ほら縁側で一枚食べていいわよと海苔を一枚手渡され、
縁側に来てみればのらくろが座っていた、
小さい子供ながらにしまったと思い台所の方へ振り返ってみればお母さんにはまだ見つかっていないと安堵する、
「ただいまー、とーちゃんかえったでー、縁側に犬が居るけどなんかいいことあったのか」
父と目が合った、
父も私の表情を読み取ったのかなんでもない今のは忘れてくれと誤魔化す、
流石にここまではっきり言ってしまったあとでは誤魔化しきれず、
パタパタと台所からお母さんが走ってくる、
「お母さん海苔!」
大声を出して誤魔化す父を無視してお母さんが優子の横に立つ、
するとのらくろはすっと立ち上がりたまたま通りを歩いていた学帽をかぶる男の子を追いかけ始めた、
もちろん男の子は悲鳴をあげながら逃げる、逃げる、追いつかれる、
と思ったその時、
優子はとっさにのらくろの名前を呼ぶ、
するとのらくろは尻尾をふりながら優子の目の前に走ってきた、
追いかけられていた男の子はただただ優子を見つめて一礼するとその場を足早に立ち去っていった、
「見かけない制服だな」
お父さんがぽつりと呟く、
お母さんは諦めたようにため息をつくと台所へ戻っていった、
その際にお父さんがため息つくと幸せが逃げるぞとお母さんに話しかけると誰のせいなんですかとお母さんに睨まれていた、
棚の上に置いてある写真の前に買ってきたキャラメルを一つ置いて私はつぶやく、
「お兄ちゃん、今日はのらくろがうちに来たよ」