8
次の日、レッドはまたノインを探していた。
執事のセバスにノインの居場所を聞いたら、レッドはまた不愉快な思いをしたが、ノインがどこにいるかは聞き出せた。
ノインは山に自生する薬草を取りに行っているということで、レッドは屋敷の裏手にある山に来ていた。
領主の屋敷に近い山には誰も入らないのか、山道のようなものはなく、レッドはノインを探しながら、けもの道を歩いていた。枝を手で避けながら通るものの、道は険しく葉っぱに塗れる。
屋敷でノインの帰りを待つことも出来たが、誰もこないような場所の方が、レッドには都合が良かった。
レッドはノインに頼み事をするつもりだった。元の世界に関係することなので、出来れば他の人間には聞かれたくない。
山頂付近にまで来たところで、レッドはやっとノインの姿を見付けた。ノインは崖際に生えている木の花を、採取しているところだった。
レッドがノインに近付いて、声をかけようとした時、ノインの身体が崖側に傾いだ。その先に、身体を支えるようなものは何もない。このままでは、ノインが崖から落ちる。
「ノイン!」
レッドは駆け出し、間一髪のところでノインの腕を掴み、ノインの身体を思い切り引き寄せた。引き寄せた反動のまま、二人は地面に倒れこむ。
「痛た……」
レッドはノインの下敷きになる形で倒れていた。身体を起こし、レッドの上にいるノインの様子を窺う。ノインは何が起きたのか分からないといった感じで、目をぱちくりとさせていた。
「大丈夫?」
レッドが声をかけると、ノインが顔を上げた。至近距離でノインと目が合う。ノインは一瞬固まったかと思うと、次の瞬間にはレッドの身体の上から退いて、地面に手を着いて頭を下げていた。
「申し訳ございません!」
「ケガはなかった?」
「申し訳ございません!」
ノインはレッドの質問に答えることなく、頭を下げたまま上げようともしない。
レッドはため息を吐く。
昨日、ノインと長時間話したことで、ノインとの溝はかなり埋まったと感じていたが、そうではなかったらしい。
その事実に、レッドは落胆した。
「……ノイン。もういいから顔を上げて」
レッドはノインの腕を掴み、身体を無理やり起こす。
「ああ、額に土が……」
レッドはノインの額に付いた土を払った。ついでに、倒れた時についた服の土も、軽く叩いて落とす。
こうしていると、小さい頃の妹のことを思い出す。
駆け回ってはよく転び、大泣きしていた妹。転ぶ度にレッドが助け起こし、今と同じように、服に付いた土を叩き落としていた。
そして、泣き止まない妹の頭を、こうやって撫でたものだった。
レッドは思わず頬が緩む。
「あ、あの……」
ノインの声に、レッドは思い出から引き戻される。
はっとしてノインの方を見ると、戸惑った顔と出会った。
「ご、ごめん。妹を思い出して……」
思い出に浸っていたら、ノインの頭を撫でてしまっていた。
レッドは慌てて手を引っ込める。
「記憶がお戻りになったのですね!」
ノインの顔が明るくなった。
「え? あっ」
ノインに言われて、レッドは気が付いた。記憶喪失のふりを続けるのに、一番言ってはいけない言葉を、言ってしまったことに。
ノインが相手だからと、気を抜きすぎた。
「ノインを見ていたら急に妹のことを……。だが、他のことは何も思い出せない……」
レッドは暗い顔を作る。
かなりわざとらしくなってしまったが、これで押し通すしかない。
「そうですか……」
ノインが残念そうな顔をした。
どうやら騙せたようだ。
こんな簡単に騙されたノインに、若干心配になりつつも、レッドは安堵した。
「でも、懐かしい記憶を思い出せて良かったよ。ありがとう」
「いえ、そんな……。私も記憶を取り戻すお力になれて、とても嬉しいです」
ノインは微笑む。
「私にも……。兄がいました。先ほどのように、頭を撫でてもらったことも……」
ノインが何かを思い出すように、遠い目をする。
「……とても、優しい兄でした」
ノインは兄の話を過去形で語る。屋敷にはノイン以外のレキアントはいない。
それは、つまり……。
「兄は五年前に……。こんな風に触れてもらえることは、もう二度とないのだと……」
ノインの顔が悲しげに変わる。その顔を見て、レッドは胸が締め付けられるように感じた。
ノインには笑顔でいてもらいたい。
そう思うと同時に、レッドはまたノインの頭を撫でていた。
「俺でよければ、いつでも撫でるよ」
ノインが目を見開いてレッドを見た。大きな瞳が零れ落ちそうだ。
「そ、そんな、お手を煩わせることを!」
「かしこまる必要はないよ。……そうだ。記憶を取り戻す手伝いだと、思ってくれればいい」
これをきっかけに、ノインとの間にある溝が、少しでも埋まればとレッドは思った。
「記憶を……」
「そう。俺を助けると思って」
「助ける……」
「どう?」
少し逡巡した後、ノインは控えめに頷いた。
「ありがとう」
レッドは満面の笑みを、ノインに見せる。
「さて、いつまでも地面に座っていないで立とうか」
レッドはノインより先に立ち上がり、ノインに手を差し出す。それを見て、少し迷った顔を見せたノインが、おずおずと手を差し出してくる。
けれども、ノインは決心がつかないのか、レッドの手を掴もうとはしない。それを、レッドから掴みにいき、ノインを引き上げた。
「あ、そうだ、ノイン」
「はい」
「崖からあんなに身体をのり出したら、危ないだろ」
記憶のことをうっかり口から滑らせたことで、レッドは崖のことをすっかり忘れていた。もう危険なことはしないように、ノインには注意をしておかなければならない。
「そ、それは……。あの……」
ノインは言いにくそうに答える。
「私、空を飛べますので……」
「……あ」
そういえば、元の世界のレキアントも空を飛んでいた。
「ごめん。俺が余計だったんだな」
「いえ、そんな……!」
ノインが慌てて顔を横に振る。
またノインに気を使わせた。どうしてこうもうまくいかないのか。
「あ、あの。ここへは何をしにいらしたのでしょうか? よろしければ、私が代わりに致します」
レッドが暗い顔をしているからか、ノインが話を変えてきた。
もう挽回は無理そうだ。
何だか情けなくなってきたが、レッドは最初の目的を伝えることにした。
「実は、ノインに頼みたいことがあって……」
「はい。なんなりと」
「ノインの仲間に、俺のような行き倒れの記憶喪失者の話を知らないか、聞いてもらいたいんだ。出来れば、なるべくたくさんの仲間に」
こういう情報は人間に聞くより、常に下働きをしているレキアントに聞いた方が、集まりやすいはずだ。
「仲間……?」
「港街に行った時に、ノインのように働いているのを見かけたけど、もしかして知り合いじゃなかった?」
港街のレキアントには直接話しかけてみたが、怯えていて会話にならなかった。人間は恐怖の対象なのだろう。そこで、同じ種族のノインなら、聞き出せるのではと思った。
「ああ! いえ、仲間という考え方をしたことがありませんでしたので、すぐに思いつきませんでした。申し訳ございません。同じような記憶喪失の方がいなかったか、確認すればいいのですね?」
「そう。お願い出来るかな? ノインが次に港街に行った時でいいんだけど」
「はい。わかりました」
「ありがとう」
これで情報が集まればいいが。
もし、レッドと同じように、この世界に飛ばされた人間がいれば、元の世界に戻る重要な手掛かりとなる。
現象を分析するには、一人分の情報では足りない。最低でも、もう一人分の情報が必要だった。
もう一週間過ぎているのだ。
そろそろ確信的な情報が欲しい。
レッドの心は焦り始めていた。




