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「ははあ、僕の体が乗っ取られてた時にそんな事があったんですねえ」

「ハア、ハア、そ、そうなんです。あたし、涼子さんとマラソン対決するんです、ハアハア」

「恵理さんは本当に面白い人ですねえ。でも、何でマラソンなんですか?」

「だ、だって、孝之だってあたしの為に駅伝頑張ったんだから、ハアハア、あ、あたしだって長距離走らなくちゃ、ハアハア」

「あんまり関係ないと思いますけど、まあ、気持ちは分かりますよ。でも、どうして僕があなたのマラソントレーニングに付き合わなきゃならないんですか?」

「だ、だって、どーせ暇でしょ、店長、ハアハア。ってか、結構、走れるじゃないですか! 半分ニートのデイトレーダーのクセして!」

「だって僕はこれでも体育会系なんですよ。テニスは結構得意です」

「だ、だったらジョギングくらい付き合って下さいよ、ハアハア……どーせ暇なんでしょ? 女の子がこんな夜遅くに一人で走ってたら危ないじゃないですか、ハアハア、唯一の従業員が通り魔にでも遭ったらどーすんです、ハアハア」

「暇じゃないですよ。まあ、東証が閉まってからならいいですけどね。でも、こんな時こそあなたのガーディアンの井沢君に付き合ってもらえばいいんじゃないですか?」

「孝之には頼めません。って、頼めるワケないでしょ!」


 あたしは口をつぐんだ。

 夜の公園は冷たい空気が凛と張り詰め、澄み切った夜空には星が瞬いている。

 そのロマンチックな夜空の下を、あたしはジャージ姿で息を切らせて走っているのだ。

 痴漢や露出狂に遭ったら怖いからと、無理矢理付き合わされている結城店長は息も切らさず飄々と走っていく。

「35歳過ぎた中年女性に痴漢は寄り付きませんよ」と、ハハハと笑い飛ばした店長をあたしは蹴り飛ばして引き摺り出したんだけど、どう見ても店長の方が運動神経は良さそうだ。

 そもそも、万年帰宅部で運動らしい事もした事のないあたしがいきなり長距離を走るなんて狂気の沙汰だった。

 そんな事は分かってる。

 でも、何かしなければ真剣な気持ちで復讐しようとしている涼子さんにも申し訳ない。

 孝之に至っては、あたしは取り返しのつかない酷い事をしてしまった。

 今更悔いても遅過ぎるけど、少しでも誠意を見せたい。

 彼があたしの為に走ってくれた時間と距離には及ばなくても、少しでもお返しをしたかったんだ。

 陸上部という絆で繋がってる孝之と涼子さんに嫉妬したのかもしれない。

 あたしはきっと、敵わないまでも二人と同じ土俵に立ちたかったんだ。


 それが、こんなに苦しい茨の道だとは、あの時、まだ気付いてなかった。


 ゼエゼエと肺の奥から荒い呼吸をして、あたしはその場に立ち止まった。

 軽い足取りで前を走っていた結城店長が、膝に手をついてヒイヒイ言ってるあたしを見て苦笑する。

 完全に人を小ばかにしたその笑顔に、ムカつくも反撃する余力がない。

 まだ走り始めて30分くらいなのに、あたしは既に疲労困憊だった。


「ちょっとバテるの早くないです? まだ2キロも走っていませんけど?」

「だ、だって、今日が初日なんだから仕方ないでしょ? 今まで走った事なんてないんだから」

「よくそれでマラソンで勝負しようなんて思いましたね」

「ほ、ほっといて下さい!」

「いーよ、無理すんなよ、恵理っぺ。別に今更怒ってねーから……」


 突然、背中から低い声がして、あたしはヒッと叫んで飛び上がった。

 夜の闇のせいでいつもより影の薄い孝之が、腕を組んで立っている。

 冷たい夜風に柔らかい茶髪がなびいて、整った顔が一層白い。

 その顔が優しく笑って、アスファルトにヘタリ込んだあたしを見下ろした。


「バカだな。本当にもういいんだ。佐々木は仲間思いだから、俺のためだとか、殺すだとか言ったけど、もう終わった事だし、今更お前が走っても俺が生き返る訳でもないよ? 第一、インターハイ出た事のある佐々木にお前が勝てるわけないだろ」

「そ、そんなのやってみなくちゃ分かんないよ!」

「分かるよ。陸上ナメんな。とにかく勝ち目のない勝負をする必要はないし、俺が死んだのはお前のせいじゃない。だから気にするな」

「だ、だって……!」


 言葉に詰まったあたしの目から涙がぽろぽろ零れてきた。

 だって、悔しいじゃん。

 孝之の思いを踏みにじった自分も、孝之が死んでから自分の気持ちに気付いた事も、涼子さんの真剣な思いに真っ向から向き合う事さえできない自分も!

 全ては自分の不甲斐無さ。

 それが悔しくて、あたしは走ろうと思ったんだ。

 それが運動能力のピークをとっくに過ぎてたあたしの体は2kmも走ることができない。

 何もかも遅かったのが、また悔しい。

 優しい孝之の笑顔も、今のあたしには辛かった。


「あ、あたしね、色々遅かったけど、もう一回頑張りたいの。もう年も取っちゃったし、孝之は死んじゃったし、やり直すなんてできない事ばっかりだけど、それでももう一回、頑張りたいの。それが孝之にとって供養になるかどうかは分かんないけど。勝てなくてもいいの。涼子さんには誠意を見せたいのよ。でも、もう遅いの? 今更頑張っても意味ないの? 年取ったら、手遅れだったら、もう頑張っちゃいけないの?」


 あたしの決死の思いを、孝之は黙って聞いていた。

 そして、座り込んだあたしの頭をクシャっと撫でると、優しい声で言った。


「そうだよな。今更遅いことでも、頑張ることは自由だもんな。でも、佐々木もそれは分かってると思うけどね……」

「え?」


 意味深な言葉を残して、孝之はユラリと消えた。


「どういう意味なんだろ?」

「さあ、ね。さて、もう3Kmくらい走っときますか?」


 すっかり調子が出てきた結城店長は、その場でシャドーボクシングをしながらウィンクした。



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