五話
ブログ連載小説のひとつです。
「一度着替えてくるわ」
そういってお兄ちゃんはリビングを出ていった。私に心配させないためか、お母さんとの話についてはなにも言わなかった。
電話なんて……しなければよかった。
そんな考えが頭に浮かぶ。あのまま昔みたいに接していて、今起こってる現実から目を背けていれば、こんなに悩まないで済んだに違いない。
お母さんにはお兄ちゃんはわからなかった。でも、私には目の前にいるのが確かにお兄ちゃんだってわかる。
死んだ人が目の前に再び現れる。冷静に考えればそんなことはありえない。自分一人にしか存在が確認できてなければ、そんなものはただの妄想だと笑いとばせたかもしれない。
でも、いるのだ。確かに、ここに。自分だけじゃなく、他の人にもその存在は確認できている。
それならどうして“彼”のことをお兄ちゃんだと、私は認識できてお母さんはできなかったんだろう?
解けない謎はまた謎を呼び、より複雑なものになっていく。
たった一、二時間ほどの出来事なのに慣れないことに頭を使ったせいか、ものすごく疲れがきた。それにお腹も減ってきた。
ああ、そういえば今日はまだご飯食べてなかったなぁ。
壁にかけてある時計を見ると朝食を食べるには遅くて、昼食を食べるには少し早かった。
何か軽く食べようかと思ったが、冷蔵庫の中にはいま食材が何もなかったことを思いだす。
そうだ、お母さんが数日分の食費に一万円くれたんだった。
こたつの上に置いてある財布を手に取り中身を確認する。貰ったお札が一枚と元からあった小銭がいくらか入っていた。
食材を買いにいって家でご飯を作って食べようか、外で食べようか考えていると、着替えを終えたお兄ちゃんが戻ってきた。
「お待たせ。とりあえず着替えてきたけど、今からどうする?」
「どうしよう?」
「そういえば、お前飯食ったか?」
「まだだよ。でもお腹すいた」
「う~ん、冷蔵庫に何かあるかな?」
お兄ちゃんはそう言って冷蔵庫の中を見るが、当然中には何もない。
「ちょうど今外食にしようか食材を買ってきて家でご飯作ろうか悩んでたところなんだ」
「そっか、じゃあひとまず外でるか」
「いいよ」
二人一緒に外に出る。
玄関の鍵を閉じようと植木鉢を持ち上げたとき、
「そういえば鍵の置き場所変わってなかったんだな。三年経ってるなんて知らなかったから今になって驚いたよ」
とお兄ちゃんが笑いながら言った。
言われてみると確かに鍵の置き場所は私が中学生のときから変わっていない。
だけど、それがどうしたのだろう? そう思っていると私の疑問にお兄ちゃんは答えた。
「覚えてるか? まだ千春が中学生になったばかりのころ俺が鍵持ったまま遊びに行っちゃったことがあっただろ」
お兄ちゃんの話している出来事を記憶の底から拾い上げる。言われてみれば、そんなこともあったかもしれない。
「そのとき母さんはちょうど出かけてて、家には誰もいなくてさ。夜になって俺が帰ってきた時、お前玄関前で座って待ってたんだよ」
「……そうだっけ?」
そこまで鮮明に覚えてない。いい加減な記憶だ。
「そうだよ。それ見て俺はすごい焦ったよ。絶対怒ってると思ったからな。だけど、お前帰ってきた俺に何て言ったと思う?」
何て言ったんだろう? 全然わからないや。
「『お兄ちゃん暫くの間、私の買い物の荷物持ちね。異論は認めないから』って言ったんだよ。それから一ヶ月くらいの間ずっとお前の買い物の荷物持ちさせられたよ」
「へ~。そんなことあったんだ。お兄ちゃんよく覚えてるね」
「まあな。夜風を浴びて寒そうにしているお前を見て罪悪感でいっぱいだったからな」
そんなに気にするようなことでもないのに。今の私が言うのもなんだけれど、たぶんそんなに怒ってなかったと思う。それよりも一人でずっと待ってて寂しかったんだろうな、きっと。
「でもなんで急にそんな話をしたの?」
「う~ん。口に出すと照れくさいんだけどな……」
お兄ちゃんは視線を私から反らして照れながら言った。
「知らなかったとはいえ、今までずっと一人にさせてただろ? それに理由はよくわからないけど、一度死んだ俺がこうしてここにいる。だから、さ。またお前の荷物持ちをしてやろうと思ったんだよ。そんだけ……」
よほど照れくさいのか、最後の方は声がだいぶ小さくなり顔も真っ赤になっていた。そんな一生懸命なお兄ちゃんを見て私は苦笑する。
「お兄ちゃんってばクサすぎ。青春ドラマじゃあるまいし」
「ああ~もう。だから言いたくなかったんだよ」
ますます顔を赤くするお兄ちゃん。そっぽを向いて顔の赤さを隠していたが、自分でもおかしいと思ったのか、お兄ちゃんも笑いだした。
空にわたしとお兄ちゃん、二人の笑い声が響き渡る。
やがてお互い笑い疲れ、
「そろそろ行くか」
「うん。行こっか!」
私達は行き先も決めてない外出を開始した。
「祈りを貴方に、手紙を君に」の一章の五話目になります。
この話では、二人の共通の記憶の話題が持ち上がり、懐かしさを互いに感じながら、昔あった出来事を語りうれしさがこみ上げてくる、比較的明るい話題になっています。