第一章【⑧】少女失踪事件
五人目だというのに、あっさりだ。
貴一はふんと鼻を鳴らし、ワゴン車の後部座席で長い脚を組み替えた。
目の前で女子高生が手首を残して消えた――そんな現場に居合わせた貴一と卯月は、K町東署で事情聴取を受けたばかりだった。
近隣の防犯カメラ映像が証言を補強したこともあり、証言はすんなりと信用された。K市で起きている連続少女失踪事件が関連していることは明白だ。
体の一部が残される異常性。それを鑑みれば、もっと聞き取りを徹底してもいいだろうに。刑事の淡々とした取り調べは、まるで流れ作業のようだった。
何か考えがあるのか、ただの無能か。前者だとしても、どうせ的外れなことをしているに違いない。それとも、すでに諦めているのだろうか。最初の事件から半年、警察は失踪者の生死すら掴めていないという。
「思ってたより早く終わってよかったよ」
時雨が運転席から声を張り上げた。
軽ワゴン車が細い坂道を下り、卯月の住む奥背山を抜けていく。
初出勤にも関わらず事件に第一発見者として巻き込まれた卯月は、見るも哀れなほどぐったりとしていた。そのため、彼女を自宅へ送り届けたのだ。
「卯月ちゃん、大丈夫かな。かなり疲れてるみたいだったけど」
「意識はあった、問題ないだろう」
時雨がミラー越しにねめつけてくるのを無視して、窓の向こうの闇に視線を向けた。
卯月が暮らす奥背山は、山間にひっそりと佇む集落だ。
夜は闇が支配し、街灯すらまばらである。貴一は眉をひそめ、目を凝らす。
奥背山という土地に足を踏み入れた瞬間から、胸を押しつぶされるかのように息が苦しい。土壌から染み出すような黒い気配は、奥背山全体を取り巻いている。
――何かが潜んでいる。
獣や悪鬼の類ではない。もっとおぞましい何かだ。全身が毒で溶けてしまう錯覚すら覚える。闇よりも深い、重厚な穢れ。それがこの地に沈殿している。
「奥背山には、何かいる」
貴一のつぶやきに、時雨の顔から笑みが消えた。
「何か感じたのかい」
貴一には霊能力がある。だがそれは、幾度か幽霊を見たことがあるといった程度のものだ。今では、直感がやや鋭いといった感覚に過ぎなかった。
しかし、この土地の禍つ気配はそんな貴一にもはっきりと感じ取れるほどに沈殿している。
「腐臭が纏わりつく。土地全体が穢れているんだ」
けれど、勧請縄を越えた途端、その気配は唐突に途切れた。
「結界か。ここでぴたりと消えた」
「よく見つけてくれたね。きみがいてくれてよかった」
時雨が、ふ、と笑う。明日からの予定を組み立てているのだろう。
「時雨」
「所長、だろう?」
貴一は無視して尋ねる。
「なぜ、守屋卯月を雇ったんだ」
「人手が欲しかったからだよ」
「他でもよかったはずだ」
ミラー越しに目が合う。
「彼女、できる子だと思うけど。不満かい?」
貴一は一度口をつぐむ。彼女を初めて見たときの感覚が思い出され、拳を握り締める。迷ったすえ、ため息交じりに口をひらいた。
「守屋卯月は呪われている」
時雨が目を見開いた。演技ではなさそうだ。
「呪われてるって。誰かに恨まれてるってこと?」
「そんな生易しいものじゃない」
今朝、事務所前で卯月を見たとき肌が粟立った。首筋に刃を宛がわれたような怖気に、こみ上げる吐き気を懸命に飲み下さなければ、その場で吐いていただろう。
彼女は呪詛そのものだ。その髪の毛一本までもが禍々しい。
本能的な拒絶反応が先に立ち、警戒と嫌悪のあまり彼女にはきつくあたってしまった。
しかし卯月は礼儀正しく、気配りのできる女だった。里中理恵がモデルを辞めた理由を聞いてきたとき、それとなく話題を逸らしてくれたのだ。
卯月は自身が呪われていることを知っているのだろうか。
一体、彼女の身に何が起きたのか。
「私は霊感ゼロだからね。……そっか。卯月ちゃんが呪われてる、か」
時雨の声に哀れみが滲む。
「心当たりがあるのか」
「彼女、両親がいないんだよ。苦労してるんだろうなって思って」
微妙に掛け違っている返事がきたが、あえて指摘するつもりはなかった。時雨もこれ以上この話を掘り下げるつもりはないようだ。
「K市に来てから、明智くんが『何かある』と感じた初めての場所だ。奥背山の調査を本格的に進めよう」
「ああ」
「卯月ちゃんとはうまくやれそうかい? 呪われてるって話はさておき」
「素直で気が利く。助手として悪くない」
「頼んだよ」
貴一は再び窓の外へ目をやる。暗い田園の向こうにひっそり佇むK町川が見えた。
月の明かりが、水面を淡くきらめかせている。ざわつく心に、自然の美しさが柔らかく溶けていく。奥背山から離れるワゴン車のなか、そっと体の力を抜いた。
(呪詛を纏った娘、か)
二十そこそこの年齢で、どれだけの怨嗟を背負ったのか。そもそもが、あれほどの呪詛を浴びて何事もなく生きていられるはずがない。ある考えに至る。
呪詛を纏っているのではなく、卯月自身が呪物と化しているのではないか。
いや、ありえない。首を軽く横に振ったとき、今は亡き妹の笑顔が脳裏に蘇る。日常が崩壊したあの日に、ありえないことは往々にして起こるということをこの身で実感したではないか。
守屋卯月は何者なのか。
想像を重ねても、答えは出なかった。
◆◇◆
そこは闇だった。
闇に目が慣れて尚、何も見ることができないのは、ここが僅かな光すら遮断された場所だからか。それとも視力を失ってしまったのか。
そっと右手を床に這わせる。触れた床は、硬くて冷たい。
半身を起こそうとして、ぐったりと床に倒れこむ。身体に力が入らない。まるで貧血と低血糖が同時にきたかのようだ。
私の身に、何が起きたのか。記憶をたどり始めたところで、ギィと小さく何かが軋む音がした。続いて軽やかな足音が近づいてくる。
反射的に息をひそめた。
足音が止まり、視界の端から橙色の明かりが長い線のように部屋に差し込む。
それだけの光で私の目は眩み、顔をそむけたくなった。それでも懸命に目を凝らしたのは、一刻も早くここがどこなのかを知りたかったからだ。
パチンと音がして、蛍光灯がついた。
世界が光で満たされ、私はそれを直視してしまう。目の奥に無数の針が刺さるような痛みが走って、噛みしめた歯の間から唸り声が漏れた。
「あ、目が覚めたのね」
床に這いつくばる私の頭上から、声が降ってきた。まだ幼さの残る女の声だ。少女の声音からはどんな感情も読み取れず、まるで機械音声のようだとすら感じる。
やっとのこと光による刺激が引いてくると、私は今度こそ自分の状況を確認しようとした。だが、目を開いた瞬間に飛び込んできた光景が、それを許さなかった。
私の手首がなかった。
包帯が巻かれていて断面は見えない。
だが、左の手首がないのは確実だった。
「……し……て……」
どうして、と呟いたが、声がかすれてほとんど音にならなかった。
ピリッと喉が痛んだ。それが合図のように、左手首を激痛が襲う。頭の裏側まで這うような痛みだ。私は悲鳴をあげながら床に倒れこみ、その場に嘔吐する。鼻の奥にこびりついた酸い苦味が、さらなる吐き気を催した。すべてを吐瀉して胃が痙攣して尚、嘔吐感は収まらない。何が起きたのか。私はどこにいるのか。左手首はどうなったのか。なぜこんなに苦しいのか。
あらゆる状況が混乱に拍車をかけて、私の感情は発狂寸前だった。
「すぐに収まるから、大丈夫」
首筋に何かが刺さり、皮下に冷たい液体が押し込まれた。ぐるりと視界が回転し、私の意識は急速に落ちていく。意識を失う間際。
床に倒れ伏した私は、視界の端に銀色の鉄格子を見る。
――檻。
私は、檻に閉じ込められていた。




