第一章【⑥】少女失踪事件
事務所に軽やかな笑い声が響く。
卯月が理恵と麻央の一件や、自分がクビになるかもしれないと慌てたことを話すと、時雨は楽しげに声をあげた。
卯月はその間も報告書の作成を進めていた。書式があるのでまとめやすいが、写真を取り込む際に時間がかかる。
「今日は二人ともよくやったよ。人助けは立派なことだ」
「あれはおせっかいと言うんだ。仕事中にやることじゃない」
時雨がデスクに肘をついて手を組み、その上に顎を乗せてにんまりと微笑んだ。
「随分と不服そうだね。それにしては明智くんも、卯月ちゃんいわくかなりの活躍ぶりだったそうだけど」
報告書を社内メールで時雨に送信して、卯月はパッと顔をあげた。
「そうなんです、すごかったんですよ。まるで百日紅刑事みたいでした」
「ああ、あのシリーズ面白いよね。犯人が毎回崖に追い詰められるんだよ」
貴一が苦い顔をして、卯月を睨む。
「報告書を急げ」
「あ、ごめんなさい。今送信しました」
報告が遅れたことを詫びると、時雨は「確認するねぇ」と朗らかに応じた。
「卯月ちゃんと明智くん、どちらも良い働きをしてくれて嬉しいよ。優秀なバイトに恵まれて、私は幸運だ」
その言葉に、卯月が顔を上げる。
「先輩もバイトなんですか?」
てっきり正社員だと思っていたのだが、貴一は当然のように頷いた。
「二か月前から世話になっている。バイトだからと侮るな。僕は卯月くんより、時給が二百円も高いんだ」
「すごいですね!」
感嘆の声をあげた卯月に、報告書を確認していた時雨が盛大に吹きだした。
「なんだか、きみたちの会話は力が抜けるよ。まぁ、確かに二百円の差は大きいね。ちなみにその差は、彼が『特殊技能保持者』だからさ」
「先輩は、何か資格をお持ちなんですか?」
「資格というなら明智くんはすごいよ。大学在学中に司法試験に合格してるんだ」
卯月は息を呑んだ。司法試験といえば、弁護士や検事になるために必要な試験ではないか。卯月からすると遠い世界の話である。
ふと疑問を抱いた。
「司法試験に受かったのに、モデルをしてたんですか?」
専業なのか、それとも兼業で他に仕事をしていたのだろうか。
「特殊技能についての話じゃないのか」
不機嫌そうな声に、卯月はそれ以上聞かないほうがいいのだと察した。
「ああ、そうだったね。じつは彼、霊能力者なんだ」
霊能力者。
その一言で、卯月の呼吸が浅くなる。
意識して深呼吸をし、何でもないふりで首を傾げてみせた。
時雨は卯月の変化には気づかず、続ける。
「組織にも霊能力者はいるんだけど、人手が足りなくてね。だから、明智くんを私がスカウトしたんだ。今回の任務に必要だから」
卯月はまだ、怨霊を鎮める組織なるものに雇われた自覚がない。貴一を見ると、彼は目を逸らした。
「……今は、自分探しの旅の途中なんだ。しばらく世話になることにしている」
自分探し云々というのも気になるが、今はそれどころではない。貴一は本当に霊が見えるのか。卯月は緊張を押し隠しながら尋ねる。
「幽霊が見えるんですか」
「いや、まったく見えない」
あっけない返事に、時雨が肩を揺らして笑った。
「明智くんの持つ霊能力は微弱でね。人より勘が鋭いくらいかな。それでも彼は『本物』だからそのうち役に立つときがくる」
卯月は肩の力を抜いた。
「少し出てくる。小腹がすいた」
時雨の返事を待たず、貴一はさっさと出て行く。
手ぶらだった気がするが、現金をそのまま持ち歩いているのだろうか。なんとなく、貴一ならやりそうだ。
時雨が報告書の確認を終え、卯月を呼んだ。
「来てくれる?」
彼女は、一冊の雑誌を差し出した。ピンクの表紙が目を引く、ロリータ系ファッション雑誌だ。
「あの、指導は」
「よくできた報告書だったよ。事実を淡々と書いてある点や考察が高評価。それより、この中でどれが一番可愛いと思う?」
困惑しつつページをめくると、華やかな衣装に身を包んだ女性たちが並んでいる。これまで関与したことのない世界が広がっていた。ふと手が止まる。
「これ、とくに可愛いと思います」
それは、ピンクのフリルがふんだんにあしらわれた、お姫様のような吊りスカートだ。スカート部分がふんわりと広がっており、白いニーハイソックスにガーダーベルトが取り付けてある。セクシーと愛らしさが混合した服装が、卯月の目を引いた。
「いいね。一度、こういうの作ってみたいと思ってたんだ」
「所長が作るんですか? あ、もしかしてピンクのコースターも所長が……?」
面接のとき、ピンク色の布コースターが際立っていたことを思い出して尋ねると、時雨がはにかんで頷く。
「手芸が趣味でね。可愛いものを作るのが好きなんだ。……と、大事なことを忘れるところだった」
時雨が壁掛け時計に目をやる。
「時間が過ぎるけど大丈夫? バス通勤だったと思うけど」
「はい、問題ありません」
「ありがとう。今から話すことは重大な機密事項だ。他言してはならないよ」
ふと彼女の顔から笑みが消えた部屋の空気が張り詰めて、卯月は背筋を伸ばした。
「K市で、少女の連続失踪事件が起きていることを知ってるかい?」
「いえ。聞いたことがありません」
連続というからには複数の人物が相次いで失踪した、というイメージだ。越してきて二年になるが、K市でそんな物騒な事件が起きているなんて聞いたことがない。
「誘拐の線があるという理由から、警察は公表してないんだ」
――公表されていない事件
もし時雨の言う通りならば、なぜ彼女はその守秘義務にがんじがらめにされた情報を知り得ているのだろう。
「被害者は四人。三つの共通点があることから、警察は同一犯とみて捜査している。一つ、全員が十代の少女だということ。二つ、前触れなく忽然と姿を消していること。三つ、体の一部が現場に残されていること」
「体の一部、ってどういうことですか?」
反芻した卯月に時雨が頷く。
「言葉のままさ。一人目は指、二人目は左手首、三人目は右腕、四人目は右手首が残されていた。現場は人気の少ない路地だったり国道沿いの歩道だったりと様々だが、おそらくその場で彼女たちに何かが起きたんだ」
卯月は喉の奥がひりつくのを感じた。
時雨の言葉をなんとか理解しようとするが、それが本当だとすると、なぜそんな情報を時雨が知っているのだろう、という疑問が再び擡げた。
ふいに、理恵から親友が失踪したと聞いた時の貴一の様子を思い出した。彼は失踪と聞いて明らかに顔色を変えた。それは、K市で起きている事件に関係がある可能性を考えたからではないか。
「私はこの事件を調査している。怨霊が絡んでいるかもしれないから」
時雨は思考を巡らせるように部屋を歩き出した。手を後ろで組み、こつこつと足音を響かせる。
「最初に事件が起きたのは、今から半年前だ。少女たちは未だ失踪したまま。警察は今なお、手がかりすら掴めていない」
「待ってください。なんだか、その、信じられなくて」
怨霊がわざわざ少女を攫う際に、その体の一部を現場に残していくものだろうか。卯月には、自己主張や承認欲求の強い人間が起こした猟奇犯罪のように思える。
そんな卯月の思考を読んだように、時雨がニッと笑みを浮かべた。
「怨霊はね、危険で理不尽な存在だ。しかも、自然災害にも劣らない力がある。ああ、心配しないで」
卯月は一体、どんな顔をしていたのだろう。振り返った時雨が、少しだけ寂しそうに苦笑した。
「無理に信じなくていい。昨日も話したように、仕事の間だけ信じているというていで動いてくれればいいから」
「でも、その話が本当なら、私たちの働きによって今後続くかもしれない失踪事件を止めることができる、ってことですね」
おずおずと口に出して、卯月は自分で納得する。この話が嘘ならそれでいい。問題は本当だった場合だ。作り話だと決めつけて不真面目な態度を取った結果、新たな被害者を出すようなことになってしまえば、卯月は後悔してもしきれないだろう。
時雨は目を瞬くと、すぐに口元に笑みを乗せた。
「まさにその通り。よくわかってるね、卯月ちゃん。ああ、結構時間が過ぎたね。残りは明日以降にしよう。今日はおつかれさま」
「おつかれさまでした。また明日」
デスクの上に置きっぱなしにしていた鞄を取ったとき、向かい側のデスクに財布と携帯電話が置きっぱなしになっていることに気づいた。
卯月の視線を辿った時雨が、軽やかな声をあげる。
「また忘れてる。明智くんは頭がいいんだけど、抜けてるところがあってね」
「買い物に行かれた、と思うんですが」
「今頃困ってると思うよ」
あはは、と笑う時雨に、卯月は苦笑いをする。
「でしたら、私が届けてきます」
時雨に断りをいれて、鞄はそのままに携帯電話と貴重品をポシェットに入れて肩にかける。卯月は足早に事務所を飛び出した。




