第一章【⑤】少女失踪事件
「失踪だと?」
真っ先に声をあげたのは貴一だった。
早く仕事に戻りたがっていた彼が一変、顔を青くさせる。
理恵が頷いて、益々強く紙袋を抱きしめる。彼女の震える手を見て胸が痛み、卯月はそっと背中に手を添えた。
「事情を話してもらってもいい? 協力できることがあるかもしれない」
理恵が小さく頷いた。
「いなくなったのは半月前。探さないでってメールがきたんだけど、麻央がそんなことするはずない。卒業、一緒に迎えようって約束したんだから」
「荷物は?」
尋ねたのは貴一だ。
「バイト代と着替えを詰めたリュックを持っていったみたい。警察は家出だって言って、動いてくれないんだ」
卯月も、状況を思えば警察の判断も理解できた。
「だがきみは失踪だと考えている。なぜだ?」
「麻央がいなくなって半月なの。最初は家出だったかもしれないけど、こんなに長い間、一人で暮らせると思えない」
「家出の理由に心当たりがあるんだな」
理恵は言いにくそうに視線をそらす。
「進路のことでおばさんと揉めてたみたい。麻央は就職したがってたんだけど、その就職先が見つからなくて。おばさん、進学を勧めたんだって。……だから、咄嗟に家を飛び出したのかもしれない。それで、何か事件に巻き込まれたんだ」
理恵は手帳を取り出した。そこには、麻央についての情報がびっしりと書いてある。交友関係、身を隠す可能性がある調査済み施設名、目撃情報があった場所と時間。
「ネットカフェ、ホテル、保護施設も全部あたった。最後に麻央を見たって人がいたのは、コンビニ。パンや飲み物を買いこんでるところを見たんだって」
「寝泊まりできるほどの資金があったのか」
「まさか。麻央は母子家庭で、バイト代のほとんどを家に入れてたんだよ。そのバイトも就活が忙しくなって辞めたから、多くても二万くらいじゃないかな。持ってたの」
「なんのバイトをしてたんだ?」
「あっちのコンビニ。向こうにあるじゃん、K駅の西側に」
開発の進んだ東側の住宅街とは異なり、西側の住宅街は静かだ。
卯月は踏切近くの四階建て雑居ビルの一階が、コンビニになっているのを思い出した。
「もう、どこを探したらいいのか……」
理恵の声が震える。鼻をすすり、涙を手の甲でぬぐう様子が、卯月の胸に刺さった。
――杏花のことを想う自分と重なったのだ。
「里中さん、私も一緒に探すから。警察にももう一度訴えて、どこか見落としがないか考えよう」
卯月の言葉に、理恵が力なく頷く。すると、貴一が目を細めた。
「……なんとなく、見当がついた」
言葉が理解できず、卯月と理恵は顔を見合わせる。
「見当って、麻央さんの居場所がわかったんですか?」
「ああ。とはいえ、これから探す。あまり期待はしないでくれ」
見当がついたのにこれから探すとは、どういうことだろう。
「ここだな」
貴一がワゴン車を停めたのは、麻央がバイトをしていたコンビニだった。
ここにくるまでに、貴一は麻央の通学路とバイト先までの動線を確認していた。N高校はK駅近くにある公立の高校で、麻央の家からだと徒歩で通える距離にある。
卯月は何が何だかわからないまま、車から降りた。
コンビニには「警察立ち寄り所」と目立つ張り紙があり、通常よりも監視カメラが多く設置されている。
治安が悪いのかな、と呟くと、理恵が教えてくれた。
以前は若者がたむろして警察沙汰が頻発していたが、見回り強化や店長が厳しく目を光らせるようになったことでトラブルが減少していった。また、人口増加と共にコンビニが周辺に増えたことも治安安定の要因だという。
同時に客足も減ったのは閑散とした店内から一目瞭然で、物悲しい時代の流れを感じた。
貴一が雑居ビルを見上げ、卯月も彼の視線をたどる。
老朽化している四階建ての建物だ。外壁はくすみ、黒ずみが広がっている。壁の一部には蔦が這い、管理が行き届いているとは言えなかった。
二階の窓には、テナント募集の看板がかかっている。かつてはどこかが借りていたらしいが、今は二階から四階すべてが空いている状態だ。新しい住宅街が活気あふれている反面、このように人が離れていく場所もある。
卯月の地元など少子高齢化の縮図といってもよく、空き家が増え続けているという。
それらもすべて、時代の流れなのだとわかっているものの、物寂しさが拭えない。
貴一が建物全体を眺めながら歩き出した。彼はコンビニの出入り口のすぐ隣に置かれた台車に目を留めると、その裏側に回り込んだ。
台車の奥にひっそりと隠されるようにして、格子つきの非常階段があった。中央には真新しいダイヤル錠がかけてある。
「なんだか、この錠前だけ妙に新しいですね」
卯月が何げなく錠前に触れようとしたとき、理恵があっと声をあげた。
「この数字、麻央の推しの誕生日の前日だ」
彼女がダイヤルを一つ動かすと、錠前が音をたてて外れた。貴一を先頭に、皆で階段をあがっていく。不法侵入という文字が脳裏を過ったが、今は麻央を探す方が先決だとし、考えないようにする。
空きテナントとはいえ各階はしっかり管理会社のほうで施錠されていたが、四階だけ鍵が開いていた。室内には、誰かが暮らしていた痕跡がある。
ペットボトル、新品の菓子、ゴミ袋、タオル、洗面器、薄手の布団。
「麻央、いるの?」
理恵の声が大きく響く。ややあって、壁の向こうからおずおずと少女が顔を出した。
「理恵なの?」
途端に理恵が駆け出し、少女に抱き着いた。
少女は目を丸くしていたが、ふにゃりと顔が歪み、幼さの残る瞳から大粒の涙を流し始める。
――見つかった。
もらい泣きでぐずぐずしていた卯月は、平然と立っている貴一を見上げた。
「どうしてここだとわかったんですか」
「僕が彼女ならば、と考えたんだ」
首を傾げる卯月に、貴一が淡々と説明をする。
「失踪当時の行動からして、突発的な家出の可能性が高い。だが、彼女は友人を頼らなかった。つまり、もとより目星をつけていた住処があったんだ。そこなら、一か月間身を隠せると踏んだのだろう」
麻央は、以前からこの建物の非常階段のセキュリティが低いことを知っていたのだ。
このテナントのコンビニでバイトしていたのなら、非常階段に気づいていただろうし、懸念事項だった不良たちも今はほとんどこない。警察も頻繁に巡回しているし、コンビニにはここぞとばかりに防犯カメラがあるため、麻央のような立場の少女が身を守るには理にかなっている。
「彼女の行動範囲で、他に目ぼしい場所がなかったからここだと見当をつけたんだ。当たりだったな」
「でも、どうして一か月なんですか」
「専門学校の願書受付が、大体三月末だからだ」
話は少女二人も聞いていたようで、理恵が麻央の身体を離すとじっと覗き込んだ。
「キイチさんの言う通りなの?」
「うん。大学の願書受付が過ぎてほっとしたのに、ママが専門学校の願書を持ってきたから。受付の終わる三月末まで、隠れようって思ったの。だって、進学なんてしたくないよ。勉強なんて好きじゃないし。理恵は知ってるでしょ、うち裕福じゃないの。母子家庭で、ママはずっと働いてて。そんなのにお金使いたくないよ」
最後の方は涙声だった。
「馬鹿。だったら、家出なんかせずにおばさんと話し合わないと駄目じゃないの」
「聞いてくれないんだもん。一方的で、こうしろああしろって。ママは、私のこと大事じゃないんだよ」
理恵がカッと目をみひらき、麻央の頬をぶつ。
卯月は思わず息を呑む。
「いい加減にして。そういう自分勝手なところ、本当についていけない」
「理恵、あの」
「おばさん、どれだけやつれたと思ってるの。警察に何度も捜索してほしいって頼んで、朝からあんたを探し回って。私だってそうだよ。あちこち聞きまわって、心配でどうしようもなくて。麻央と迎える卒業式、楽しみにしてたのに。……私ばっかり親友だと思ってたんだね。ばかみたい」
「ち、ちがっ」
「違わない。そういうことでしょ」
麻央は絶望的な表情で、床にぺたんと座り込んだ。両目からあふれる涙すら拭わず、怒りに震える理恵を凝視している。
やがて、麻央の口から「ごめんなさい」とか細い声が漏れた。それを皮切りに、彼女は何度も謝罪を繰り返す。理恵は無言のままだ。
きっと彼女は麻央を見捨てないだろう。卯月は、麻央を見つけた時の理恵の表情を思って微笑んだ。
ワゴン車で二人を送り届けた帰り道、卯月は声を弾ませた。
「先輩、すごかったです」
「何がだ」
「推理ですよ。まるで『崖の上の百日紅刑事』とか『桃太郎巡査の漂流事件簿』みたいでした」
「知らん」
「二時間サスペンスですよ。私、サスペンスものを全部網羅しようと思ってるんです」
「幽霊に刑事ドラマ。卯月くんは趣味の幅が広いな」
「他にもありますよ」
「興味がない」
きっぱりと話を終わらせた貴一が、ちらりと時計を見る。
「しまった。もうこんな時間か。時雨は無駄を嫌う。寄り道がバレたら、クビかもしれんぞ。報告書は間に合うのか?」
「大丈夫です、デスクワークは得意ですから」
そう言った卯月の顔がこわばる。
ワゴン車のデジタル時計は、退勤時間まであと一時間しかないことを示していた。
報告書を、三十分で書かなければ。青ざめながらも、自分に言い聞かせる。とにかくやりきろう、と。




