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第一章【④】少女失踪事件

「そういえば、今は柿の時期じゃないですね」

 卯月は、柿の木を見上げて呟いた。枝振りを露わにした柿の木は、自然に返りつつあるという印象だ。

 すぐ側の首洗い池という名の草むらにある白い解説板には、真新しい情報はない。

 卯月はネットで見つけておいた、観光客のブログ写真と現物を見比べた。

「ネットによると、今は普通に実がなるらしいです」

 柿の木の寿命は三百年ほどとされ、代替わりして現在に至るらしい。卯月は木や周辺の様子を写真に収め、手帳に印象を記した。

「さて、ここから聞き込みだ」

 卯月は近隣住民や通りかかった人々に、記者よろしく聞き込みを始めた。


 *

 

「S寺、行けませんでしたね」

 コンビニのイートインで、卯月はサンドイッチを頬張りながら言った。昼を大幅に過ぎてしまったが、空腹感はあまりない。

「仕方がない、相手方の予定が会わなかったんだ」

 今日は先約があるようで会うことができなかったのだ。聞き込み調査のなかで、卯月が興味を惹かれたのは近所の老婆から聞いた民話だった。

 不成柿――実を結ばぬ柿の木がはじめて実をつけた年の話だ。

 その年は、圧政による大規模な内乱が勃発した関係で、都を中心に平民の生活が逼迫し、貧困が蔓延していたという。余波は南山城地域へも及んだ。だが幸いなことに、K町周辺の被害は少なく、難を逃れた。

 翌年から柿はまた不成となり、再び実をつけたのは二十年後だった。その年、周辺地域で疫病が流行した。だが不思議なことに、K町では猛威を振るうことがなかった。

 民が危機に瀕したときに、柿の実がなる。その共通点から、不成柿が地域を守ってくれているのではないかという、民話である。

 卯月は、聞かせてくれた老婆の柔らかな笑顔を思い出す。

「おばあさん、柿のおかげで先祖が助かったって言ってましたね」

「あの木から、バリアでも出てるんだろう」

 咎めるように一瞥するが、貴一は奥のブラインドに身を隠すようにして、意味なくコーヒーのストローを弄っている。

 その後は、M町図書館へ出向いた。

 不成柿に関する情報は見つからなかったが、M町にはかつての都である恭仁京があった関係か、郷土資料が充実していて、歴史の深さを感じた。


 *


 M町からK町へ向けてゆっくりとワゴン車が動き出す。

「どうだ、戻ったら報告書を書けそうか」

「はい、できると思います」

 タブレットの報告書の見本を眺めながら、パズルのようにどこに何を書くかを頭の中で組み立てていく。

「それにしても、K市って歴史が深いんですね。平重衡も昔だなぁって思ったんですが、恭仁京って奈良時代ですよ。飛鳥時代の記録もありました」

 K市は京都府南部、奈良との県境にある。K駅から奈良駅までは電車で僅か十五分と利便性がよく、卯月も奈良へ足を伸ばしたことがある。

 貴一が難しい顔で言った。

「古い歴史はさっぱりわからん」

「もしかして年号とか苦手なタイプですか」

「いや、そうでもない。法律は得意分野だ。単純に、昔過ぎて興味が持てないんだ。飛鳥時代とよく聞くが、具体的にいつのことだ」

「蘇我蝦夷や入鹿が活躍していた頃です」

「……聞いたことはある」

「聖徳太子の時代です」

 ようやく納得したように貴一が頷く。

「そのあとの奈良時代に、恭仁京ができたんですよ。他にも、難波京、紫香楽京と、転々と都が移されたとか。聖武天皇の時代は、動乱が続いてたみたいですね」

 覚えたての知識を、思い出しながらぽつぽつ話す。

「そんな時代に天皇になるとは、ついてないな」

 ついてない、という貴一の言葉が卯月の胸へ静かに落ちてきた。

 図書館で平重衡に対して覚えた、歴史の壁。あれは焦燥感だ。卯月は歴史に名を残すような存在にはなれない。人知れず消えて行く側でしかない。

 ――いや、卯月はそうでなければならない。

 ポシェットを持つ手に力を込める。

「聖武天皇も、今の時代に生まれていれば変わったでしょうか」

「たらればなど意味がない」

 貴一はぴしゃりと言い放つ。

 その言葉が強く響いて、卯月は身を竦めた。

「人は生まれる時代を選べない。さらにいえば、親と子もお互いを選べない。平重衡は平家に生まれたから名を残せたんじゃないか」

「……あの、なんで平重衡の話が出てくるんですか」

「K町の図書館で、名前を指で撫でてただろう。眉をひそめたり、微笑んだり、端から見て不気味だったぞ」

 卯月はサッと俯いた。頬や頭まで熱い。人から妄想を指摘されることが、こんなに落ち着かないなんて。

「忘れてください」

「無理だな」

「今こそ無関心を発動してほしいんですが」

 顔を反らしたとき、見覚えのある少女の姿を見て咄嗟に声をあげた。

「止めてください!」

「どうしたんだ」

 慌てて路肩にワゴン車を停車させた貴一に、少し待っていてほしいと伝えて助手席から飛び出した。道を戻って、縁石に座っている制服姿の少女に声を掛ける。

「やっぱり、さっきの」

 少女は紙袋を抱え、憔悴しきった顔でこちらを見上げる。不成柿へ向かう途中で見かけた高校生だった。少女は訝しそうに卯月を見た。

「昼頃、あなたに卒業証書を拾って渡したんだけど、覚えてるかな」

「覚えてるけど。何か用?」

「『私が探し出してみせますから』って話してたでしょう?」

 あのとき、相手の女がやつれていたことが気掛かりだった。

「もしかして、あなたが探してるのってあの家の子なのかなって思ったんだけど」

 少女は驚いたように目を丸くしたあと、警戒心を見せた。卯月は勢い込んで話してしまったことを反省して「怪しい者じゃないの」と不審者じみた言葉を口にしてしまう。

「友達がN高校に通ってたの。だから、放っておけないというか。落ち込んでいるみたいだから、力になれたらって」

 弁解しようと早口になり、怪しさが増していくのが自分でわかる。こういうとき、どうすればいいのだろう。

 そこへ、遅れて貴一がやってきた。

「おい、仕事中だ。個人的なやり取りなら、あとにしろ」

 貴一を見上げた少女が、驚いたように両手で口を覆った。

「キイチじゃん! うそ、本物?」

 嬉しそうな声だ。

「先輩の知り合いでしたか」

「知らん」

「でも彼女、先輩を知ってるみたいですし」

 卯月の言葉を聞いていた少女が、信じられないというような視線を向けてくる。

「キイチはモデルだよ。超有名なんだから。ほら、これとか」

 少女は携帯電話を操作して、画面を見せた。

 何気なく覗き込んだ卯月は、貴一本人が映っているネット記事に目を見張る。隣に立つ貴一と画面の『キイチ』を見比べていると、貴一がむず痒そうに顔を反らした。

「大人の色気がダダ漏れでさぁ、ガチ恋勢も多かったんだけど。急にモデルを辞めちゃってさ」

 少女が理由を知りたそうに貴一を見る。

 卯月は咄嗟に口をひらいた。

「先輩の趣味って独特ですね。似合ってますけど、私服ですか?」

 二人が卯月のほうを振り向いたので、画面を示す。少女が吹きだし、貴一が「ショーの衣装だ」と強めの口調で訂正した。

「……有名人って、簡単に悪いことしないよね」

 呟かれた声は、自分自身に言い聞かせているようだ。少女がぐっと顔をあげた。真剣な目が卯月を見る。

「さっき言ってた、N高校の知り合いって誰?」

「宝田杏花ちゃんって子」

 少女の顔が凍りついた。貴一が眉をひそめて卯月を見る。

「高校生の知り合いがいるのか」

「杏花ちゃんは、同じ奥背山の住民なんです」

 妹のような存在でした、そう言おうとして声が喉に張りついた。

 過去のものとして扱うことに抵抗を感じたのだ。

 奥背山という集落は閉鎖的だ。住民同士の関係が密で、よそ者を警戒する傾向にある。

 そんな場所に卯月が馴染めたのは、杏花が「お姉ちゃん」と呼び慕い、地域の人々に紹介してくれたおかげだった。

 ――そんな宝田杏花が殺害されたのは、昨秋のことだった。

 犯人は同じ奥背山の住人で、すでに逮捕されている。事件は終わったのだ。けれど卯月はまだ、杏花の死を受け止めきれていない。

 口をつぐんだ卯月に代わり、少女が答えた。

「宝田杏花さんは、半年前に殺されたんだ」

 貴一がぎょっと目を見張った。次の瞬間、痛ましく顔を歪める。

「卯月くんは、彼女と仲が良かったのか?」

「はい。私のことを、お姉ちゃんって慕ってくれていて」

 沈黙が下りた。言葉にするとより強く杏花の笑顔を思い出し、目の奥が熱くなる。

「もしかして『卯月お姉ちゃん』?」

 少女が呟くように言う。

「私、宝田さんと同じクラスだったの。グループは違ったけど席が近かったから、よく話し声が聞こえてきたんだけど。宝田さん、よく『卯月お姉ちゃん』の話をしてた」

 自慢のお姉ちゃんだって、と続けた少女の言葉に、目の奥の熱が溢れそうになり、両手でそっと口を覆う。

「私、里中理恵って言います」

 真剣な顔で、少女――理恵が、卯月に向き直った。

 強気な雰囲気はすっかりなりを潜め、唇は微かに震えている。抱きしめた紙袋がぐしゃりと音を立て、覗く黒い筒が今にも落ちそうだ。

「助けてください。麻央が失踪したんです」


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