第一章【③】少女失踪事件
郷土資料コーナーは奥まった場所にあった。
歴史関係の本をいくつか選んで、近くの机に移動する。じっくり読みふける時間はないらしく、目ぼしい部分だけを探して目を滑らせる。
「……ない」
郷土資料にあるのは、灌漑工事の記録や地域がどのように変化してきたかという記録ばかりだ。これも古くに遡れば伝承と呼べるだろうが、時雨が求める怨霊とやらの伝承とは異なる気がした。
本を戻しながら貴一の姿を探す。やや離れたところで、五十歳ほどの女に袖を掴まれ、蕩けるような笑顔で話しかけられている。貴一は、社交辞令だろう微笑を浮かべて応対しているものの、明らかに腰が引けている。
はたりと視線が合って、助けを求められた気がした。
卯月は手近にあった本を取り、そっと駆け寄る。
「あのう、この本とかどうですか」
貴一が神妙な顔で頷く。
「ああ、よく見つけたな。それでは、僕はこれで――」
「もしかして彼女なん? 美男美女でお似合いやわぁ」
女性が名残惜しそうに胸の前で手を振る。
卯月は会釈をすると、先に歩き出した貴一を追いかけた。
「知り合いですか」
「いやまったく」
「ナンパですね」
貴一は眉をひそめた。
「なんですか?」
「……いや。それで、テーマは決めたか」
「あっ、そうです。伝承が見つからないんです」
卯月が事情を話すと、貴一は郷土資料の棚から民話の本を取り出した。さらに、発掘記録や京都南部の寺社仏閣についての資料を机に置く。
「明確に『これは伝承だ』と書いてあるわけじゃない。散見する記述から判断するんだ」
卯月は、用意された本を手に取る。すでに見た本もあったが、もう一度内容をさらっていく。
平成十九年に、K町、Y町、M町の三つが市町村合併で一つになったのがK市だ。そのため、古い文献や記録には、町ごとの名前で記録が残っている。
合併後もそれぞれの町は特色を残しており、図書館は各町に一つずつあった。今いる中央図書館は元K町にあるためか、M町やY町に関する情報が少ないようだ。
場合によっては、他の図書館にも行ったほうがいいだろう。
そんなふうに考えながら、寺社仏閣の資料をめくった手が止まる。
――供養のため建立。
これだ、という気持ちが膨らむ。それは、奈良線を挟んだ東側の住宅地に佇む、S寺に関する記載だった。
他の資料を引き寄せて、関連する情報を拾い集める。S寺にある供養塔は、平重衡を偲んで建立されたものだという。
平重衡は平家一門の武将である。敵であるにも関わらず源頼朝に丁重に遇されるほどの人柄を持つが、南都宗徒の要望によりK町の河原で処刑される。
当時の重衡は三十歳。人々が彼の死を哀れんだ。
卯月はすごいと呟き、三十歳という記述をなぞった。真面目だけが取り柄の自分とは違う。紙のざらつきから、歴史という壁を指先に感じる。
息をついて、続きに目を通した。
S寺付近の堤防には重衡が斬首されたという首洗い池があり、その付近には不成柿と呼ばれる柿の木がある。これは重衡が最後に食べた柿の種が成長したもので、実をつけることがないためにそう呼ばれるようになったという。
他の資料では、柿は平重衡を憐れんだ人々が供養のために植えたものとされている。多少違いはあれど、柿の実がつかないという部分が共通している。
柿、と心のなかでささやく。
二年前の感動を思い出し、つかの間、脳裏に当時の記憶が蘇る。
卯月は奥背山に越してきたとき、見渡す限りの柿畑に目を奪われた。橙色に色づいた大ぶりな果実は甘くて瑞々しく、まるで上品な和菓子のようだった。
心が満たされたからだろうか。柿を食べるようになり、それまで頻繁に見ていた『悪夢』を見ることがなくなった。柿は特別だ、と意識し始めたのは、その頃である。
奥背山では千年以上前から柿が盛んに作られていたというので、平重衡よりも柿がこの地に根付いたのが先だ。
奥背山の柿畑と、不成柿が頭のなかで繋がっていく。
「決まったようだな」
「はい。不成柿というものを調べようと思います。……何やってるんですか」
貴一は机の下に身体を潜り込ませ、携帯電話を片手に周囲をくまなく見まわしている。
「さっき、若い女がこちらを見ていた。二人組なんだが、まだいるか?」
「いませんよ。六十くらいの男性が新聞を読んでるだけです」
貴一はもぞもぞと這い出てくると、何事もなかったかのように胸を張る。
訝りながらも、見なかったことにした。事情は人それぞれだ。
「それで、どれにしたんだ」
「この、不成柿を調べてみようと思います」
集めた情報を伝える。
「わかった。次は現地に行こう」
図書館を出て、再びワゴン車に乗り込む。タブレットでナビを表示すると、不成柿がある河原までは、車で十分足らずだった。
「これからどうするんですか」
「現地で情報との差異を確認する。情報の幅や質、信憑性を深めるんだ。ネットを使って構わないし、近隣住民や寺社仏閣への聞き込みも有効だろう。場合によっては有識者へアポを取ったり、民俗資料館へ足を運ぶこともある」
卯月がナビを務め、ワゴン車は軽快に進む。
道すがら情報にあったS寺の横を通り過ぎた。至って普通の寺といった印象で、すぐ隣には御霊神社が並んでいた。
「寺と神社が隣接してるのって、意味があるんでしょうか。たまに見かけますよね」
「ああ、そういえば地元にもあったな」
貴一の口調には熱がない。怨霊を鎮める仕事というから、そちらの話に詳しいのだろうと思っていたのだが。卯月は自分の携帯電話で調べた。
「あ、本地垂迹説の関係だそうです」
「なんだ、その本地ナントカというのは」
「八百万の神々は菩薩などの仏が化身だという説です。広まったのは平安時代以降で、寺と神社は同一に等しいものと扱われたんです」
「やけに詳しいな」
「以前、幽霊について調べた流れで、神様にも興味を持ったことがあるんです」
「完全に中二病だな」
卯月は苦笑した。
「結構おもしろくて、つい。神様って、荒魂と和魂っていう二つの側面があるんですよ」
「妹から聞いたことがある。確か、荒魂が勇猛な面で、和魂は慈愛だったか」
「そうですそうです。他にも、荒魂は荒々しい面であり、和魂は平和的な面だと言われています。神様にも喜怒があるなんて人間みたいだと思って、興味が湧いたんですよ。そこからさらに都市伝説や妖怪も――」
卯月は慌てて口を閉じる。
黙り込んだ卯月に、貴一がちらりと視線を寄越した。
「どうした?」
「すみません、仕事中なのについ雑談をしてしまいました」
しかもほとんど一方的に、ノリノリで。貴一が、口の端を吊り上げた。
「なぜ。雑談くらい、別に構わないだろう。僕はそちら方面に疎いから、教えて貰えると助かる。……まぁ、興味がないから、聞き流すかもしれないが」
ワゴン車は公園に横づけする形で止まった。
タブレットをポシェットにしまっている間に、貴一が軽快にワゴン車を降りる。卯月もやや遅れて彼に続く。
時間はすでに午後二時を過ぎていて、公園にはブランコで遊ぶ親子連れの姿があった。ぽかぽかと穏やかな陽気が心地よい、と微笑んだとき。
ほんのり甘みを帯びた香ばしい匂いが鼻腔を擽った。公園の奥で梅がほころんでいる。
双子の兄の姿が脳裏を過る。兄の梅太とは十七歳の頃から会えていない。
胸の奥が締め付けられて、無意識にポシェットの紐を握りしめた。
「大丈夫ですよ、おばさん」
ふいに、明るい少女の声が響いて、卯月はそちらを振り返った。
茶色い屋根の戸建て住宅の玄関に、N高校の制服を着た少女が立っていた。彼女と向かい合っているのは、やつれた壮年の女である。どこかくたびれた様相の女は瞳に涙を浮かべ、手に見覚えのある黒い筒を持っている。
「私が、探し出してみせますから。安心してください」
少女が会釈をしてその場を離れた。先程の声とは異なり、厳しい表情をしている。
卯月とすれ違う際、少女が紙袋を持ち替えた。女が持っていた物と同じ黒い筒――卒業証書入れがこぼれて、卯月のほうへ転がってきた。
それを拾いあげ、少女へ差し出す。
「卒業、おめでとう」
少女は、複雑そうな苦笑を浮かべた。
「ありがとうございます」
声に迷いがある。
「卯月くん!」
苛立ちを含んだ貴一の声に背筋を正す。見れば、すでに土手をのぼり始めていた。
少女に軽く会釈をすると、卯月は全力で彼を追いかけた。




