表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/35

第三章【⑤】守屋卯月

「やぁ、泣き虫くん」

 会話のないまま事務所に戻ってくると、貴一が自分の席から卯月に声をかけた。手には携帯電話を横持ちしており、明らかにゲームをしている。

 卯月は、貴一の第一声に目くじらを立てた。

「そんな言い方ないじゃないですか。でもあのときは助けてくださって感謝しています」

「いきなり感情がぐちゃぐちゃだな」

「情緒は乱れるためにあるんです」

「整えてやれ。これをやるから」

 貴一は卯月の机に白い包みの飴玉を置く。

「休憩時間だ。仮眠をとってくる」

 彼はそういうとドアの向こうへ消えていった。時雨が笑い、椅子にどっかりと座る。

「きみたちは本当に仲がいいね」

「所長、運転お疲れ様でした。休憩にされますか」

「そうしよう」

 卯月は給湯室で二人分の緑茶を入れて、棚からおやつが沢山入ったカゴを取り出す。そのなかから、時雨が好きな羊羹を切り分けて皿に載せた。卯月のお茶請けは冷蔵庫に保存してあるつぼ漬けだ。

 羊羹を頬張る時雨に、卯月はくすりと笑う。年上に対して思うことではないかもしれないが、菓子を食べる姿は子どものようで可愛らしい。

 何気なく時雨の背後に広がる窓へ視線をやる。分厚い灰色の雲が広がっていた。この様子では雨が降りそうだ。折り畳み傘ならあるが、土砂降りになったら防ぎきれない。

 そんなことを考えながら爪楊枝でつぼ漬けを刺し、ぽりぽりとかじりながら緑茶を飲む。濃い漬物の味が茶とともに口腔内から喉へ流れていくのが心地よい。空気まで味わっていると、時雨が思い出したように言った。

「私たちの仕事なんだけど、思っていたよりも早く終わりそうなんだ」

「どういうことですか」

「昨日、本部から返事が来てね。やっと古の怨霊がいることを信じてくれたんだよ」

 時雨が次の羊羹を口に入れながら続ける。

「来週末に、本部から霊能力者が派遣されることになった。私たちはそれまでに、奥背山にいる怨霊の真実と本懐を可能な限り探ることになる。まぁ、これまでと同じ調査だね。それを来週まで行って引き継ぎをする。それで任務は終了だ」

 真実と本懐、と口の中で繰り返して、小首をかしげた。

「その、真実と本懐、というのが除霊に必要なんですか」

 真実というのは、怨霊が怨霊となるに至った理由のことだろう。だが、本懐とは何を示すのか。

「言ってなかったっけ。怨霊には除霊浄霊ができないんだよ」

「えっ」

 時雨が肩をすくめてみせた。

「だからこそ祀るんじゃないか。除霊が可能な亡者は、そもそも我々の管轄外だよ」

「それって、奥背山が爆弾を抱えてるってことですよ。根本的な解決になりません」

「定期的に祀り続ければ大丈夫さ」

「そんな。本当に除霊ができないんですか」

「可能性がないわけじゃない。でも、かなり危険なんだよねぇ」

 時雨が椅子をぐるりと半回転させて、デスクの引き出しからタブレットを取り出した。画面を操作しながら、彼女が続ける。

「確かここに、昨年除霊が失敗したときの報告書があったはず。基本的に怨霊は祀ることが前提だ。私なら絶対に除霊は指示しなかった」

「人命がかかっていても、ですか」

 時雨がタブレット画面を見せた。覗き込んだ卯月は、ヒッと喉を引きつらせる。

 画面に映っていたのは、ブルーシートに横一列に並べられた複数の焼死体だ。黒く変色しており、性別すらわからない。

 時雨がスクロールすると、山火事のあとだろう画像が現れた。縮んで奇妙な方向に曲がった真っ黒な樹木に、煤で覆われた地面。本来ならば黒く見えるはずの岩の側面すら白く見える、おどろおどろしい光景だ。

 さらに下へスクロールすると、同じような黒焦げの山肌が続き、やがて山が煌々と赤く燃え上がっている鮮明な画像へ変わる。

「昨年、北海道で起きた山火事だ。死者が百人以上出たことで、ニュースにも取り上げられたから知ってるんじゃないかな」

 昨年起きた北海道の山火事といえば、大惨事を齎した天災として連日報道されていたため、卯月の記憶にも新しい。

「確か、タバコの不始末が原因だと聞きました」

「そういうことになってるけど、実際は除霊の失敗だ。一人の命を助けようとして除霊を試みたんだって。うちの先遣隊と霊能者も焼死した。いい迷惑だよ」

「いい迷惑?」

 時雨の冷ややかな声に、思わず聞き返してしまう。時雨は冷淡に頷いた。

「怨霊の除霊が成功する可能性なんて、ほとんどゼロだよ。この任務へ派遣された霊能者は一縷の望みにかけたんだ。結果は見ての通り、大失敗。呪詛が広がる前に土地ごと炎で浄化しなきゃならなくなった。平和に暮らしてる住民を巻き添えにしてでもね」

「ま、待ってください。除霊が失敗して、怨霊が火事を起こしたんじゃないんですか。先遣隊が土地ごと浄化って、それじゃあまるで……」

 時雨がタブレットの電源をそっと落とす。

「私たちの存在が秘密裏なのは、そういうところにあるんだよ。優先すべきは、怨霊を鎮めることだ。最小限の被害で抑えるために、多少の犠牲は仕方が無いんだよ」

「避難を待ってからでもよかったじゃないですか」

「それだと地図から北海道が消えていたよ」

 時雨は、これまでの飄々とした態度からは想像ができないような無表情で、タブレットを軽く持ち上げる。

「私たちが公になったら、卯月ちゃんみたいに批判する者が大勢いる。本当に必要があったのか。怨霊などいないんじゃないか。命をなんだと思っているんだ。大勢を救うなんて理由で少数を見殺しにするのか。――理想論ばかり振りかざしてね」

 タブレットを片付ける時雨を見つめながら、卯月は唇を噛む。時雨が所属している組織の強大さや冷酷さに驚いたが、それ以上に時雨の冷ややかな態度に恐怖を覚えた。

 卯月は拳を握り締める。

「除霊ができないことは、よくわかりました」

「それならよかった。来週までよろしくね」

 静かに息を吐き、決意を固めた。

「今朝、回覧板で回ってきたんですけど、今週末、水縁さんが祭事を行うそうです」

「えっ、そうなの? だったら安心かな。やっぱり部外者より、土地の者が鎮魂するほうがいいだろうし。卯月ちゃんが奥背山在住で助かったよ、情報ありがとう」

「詳しいことはあとでメールしておきますね。回覧板の写真を撮っておいたので」

 時雨が顔をあげた。卯月がその場で直立したまま動かなかったからだ。

 すでに時雨はいつもの掴みどころのない笑みを浮かべている。

「どうしたの、卯月ちゃん」

「今朝の回覧板、隣の山川さんが届けてくれたんです。いつも、うちに回覧板を届けるのは山川さんって決まってて。その山川さんが、ここの求人チラシをくれたんですよ」

「へぇ。その山川さんに感謝だ。卯月ちゃんが来てくれて、本当に助かってるから」

「所長が仕向けたんでしょう。保険のセールスマンを通じて、チラシが私の手に渡るように。もしそのチラシが私の元にこなくても、他の手で勧誘する予定だったんじゃないですか。最初から、私を狙ってたんです」

 時雨が机に両肘をつき、手を組むとその上に顎を乗せた。

「どうしてそう思うのさ」

「所長が本当に調べているのは、古坂部事件だからです。貴一先輩のことも、霊能者だからじゃなくて、古坂部事件の被害者遺族だから勧誘したんでしょう」

「やっぱり卯月ちゃんだったんだね。古坂部悠二の写真を持ち出したのは」

 一気に話した卯月に、時雨がにっこりと微笑んでそう返した。彼女に驚いた様子はない。いつも通りだからこそ、その笑顔が不気味に思えた。

「そこまで知ってるなら認めるよ。きみの言う通り、私は古坂部事件を調べている。その関係で、明智くんを雇った。それから、卯月ちゃんきみのことも」

 時雨が立ち上がり、腕を後ろで組んでゆったりと歩き出す。彼女は話すときにこうして歩き回る癖がある。そう思っていたが、時雨は真っ直ぐに外へ通じるドアへ向かう。内鍵を施錠する音が重く響いた。

「知ってるかい。古坂部悠二は、暗い場所で両方の目が赤く光ったんだって」

 窓の外で重厚な雷が鳴り、空気が揺れる。

 それが合図のように窓を強い雨が叩きつけ、室内が薄闇に包まれる。

 卯月はそっと自分の右頬を包むように撫でた。

「きみは、古坂部悠二の娘。そうだろう」


 ◆


 守屋卯月の右目が赤い。

 完全なる闇なら、ここまで赤を意識できなかっただろう。分厚い雲がもたらす仄暗さが、彼女の瞳の色を際立たせている。

 時雨は自嘲する。早くに事情を説明しなかった自分の失態だ。これだけ警戒されてしまえば、彼女の心をほぐすのは難しいだろう。

 いや、卯月は愚かではない。話せばわかってくれる部分もあるはずだ。

 そう思うと、自然と笑みが浮かんでいた。

「私はね、小さい頃いつも手芸をしていた。編み物とか、刺繍とか。人と会話するのが苦手でね。勉強するのは好きだったけど、休み時間がもう最悪。周りは誰かと一緒にいるのに、自分は一人で手芸とか」

 突然昔話を始めた時雨に対して、卯月は変わらず警戒心を露わにしている。それでも話は聞いているようだ。

「そんな私の転機は、小学五年生の頃だった。転校生がきたんだ。びっくりするほど綺麗な子でね。そんな彼女と友達になったんだ。ただ単に、家が近いって理由から」

 当時のことを思い出して、時雨は微笑んだ。

 最初は通学路を覚えるまで一緒に登校してほしいと頼まれた。学校でも共に行動するようになった。お互いを名前で呼び、友達から親友になった。中学に上がってクラスが離れても、放課後の道を並んで帰った。

「彼女は……咲良は、私の手芸を褒めてくれてたんだ。暇つぶしだった手芸が楽しく感じるようになったのは、それからだ」

 卯月はただ立っていた。目を伏せるでもない。何を考えているのか、彼女の表情からは僅かも読み取ることができない。時雨は続ける。

「咲良は母子家庭でね。母親は仕事をしていたから、家事のほとんどを咲良がしてたんだ。咲良が失踪したのは、買い出しの途中だった」

 当時十三歳だった咲良は、近くのスーパーで目撃されたのを最後に消息がわからなくなった。警察は家出と誘拐、両方の線で調査を始めたが、時雨は誘拐に違いないと考えた。

 咲良は、働く母親を支えることを誇りに思っていたし、時雨に黙ってどこかへ行くなんてありえないからだ。

 時雨は時間を作っては咲良を探した。刑事だという咲良の叔父も捜査を始めたが、進展のないまま時間だけが過ぎた。

 その日、時雨は咲良の母親のために夕食を作っていた。咲良が戻ってきたとき、母親の元気がないと心配するだろうから。少しでも元気でいてもらうために足しげく通っていたのだ。そこに、警察がやってきた。

 隣町の住宅街にある民家の地下から、咲良の叔父が遺体で発見されたという。

「それから間もなくだった。古坂部悠二というシリアルキラーがメディアで取り立たされたのは。咲良も被害者の一人とされたけど、状況からの推測でしかない。事件は古坂部悠二の死亡をもって明るみに出たから、過去の被害者については不明のままなんだ」

 卯月は変わらず無表情で立ち尽くしている。赤い目だけじゃない。美しい顔立ちも、古坂部悠二とよく似ていた。もし男だったなら、瓜二つだったかもしれないほどに。

「私は、未だに咲良が死んだなんて信じられない。もうこの世にいないのなら、その確証が欲しいんだ」

 確証、と反芻する卯月に、頷く。

「あの事件に関しては、多くの情報が警察内部や上層部で伏せられている。それらのなかには、明るみにされなかった古坂部悠二の被害者名簿もある。そんな噂を聞いたんだ。だから私は、警察に入った」

 懐から警察手帳を取り出す。皮の表紙を開き、自分の顔写真を見せる。卯月の視線が警察手帳に向き、文字を追っているのが見えた。

「私は、『怨霊特別対策班』捜査官の時雨宵という」

「警察? 所長が?」

 疑うような呟きだったが、卯月の表情がすぐに納得のそれに代わっていく。

「だから情報を入手できたんですね。染谷刑事たちがわざわざ刑務所で出迎えてくれたのも、この関係ですか」

「たぶんね。一応、内閣情報調査室が監督する組織だから」

「……奥背山の怨霊に関しては」

「全部本当だよ。でも、今回の調査を通して、卯月ちゃんに近づきたかったのも事実だ」

 再び卯月の表情から感情が消えた。時雨は両手を降参するように挙げる。

「何もしない。卯月ちゃんに聞きたいことがあるんだ」

「知りません」

「さっき、何人か被害者が判明してるって話をしたけど。被害者の名前を証言したのは、古坂部悠二の助手なんだ」

 古坂部には、行動を共にしていた助手がいた。被害者の世話をさせたり、直接殺害させたりと、まるで己の手足のように使っていたという。

「すでに知っていると思うけど、その助手は少女Aと呼ばれている。本名はミヨ」

 卯月は黙ったままだ。僅かな表情の変化も見逃すまいとするが、卯月の表情からはどのような感情も読み取れない。

「驚かないんだね。ミヨの名前は、世に出ていないはずだけど。やっぱりミヨを知ってるんだ」

「会ったことはありません。でも、フリージャーナリストという人から聞いたことがあります。それに……」

 初めて卯月が視線を下げた。まるで、時雨がいつ飛び掛かってきても逃げることができるように、とでもいわんばかりに視線をそらさなかった彼女が。

 それほど言いたくない事柄なのだろう。

 時雨ははやる気持ちを抑えて、やんわりと促す。

「それに、なんだい?」

「……見たことがあります」

「ミヨを見たんだね」

 それこそ、時雨が欲しかった情報だ。直接ミヨに会い、咲良のことを問いただすのだ。

 歓喜に震えた時雨だったが、卯月が首を横に振ったことで冷静になる。

「私がみたのは、夢です」

 落胆で力が抜けそうになった。しかし、卯月の体が震えていることや彼女の顔が真っ青になっていることに気づいて、ただごとではないと知る。

 ただの夢、と切り捨てるには特殊な仕事に身を置き過ぎた。

 この世には霊能者が存在し、彼らの奇天烈な力は時雨の想像をはるかに超えてくるのだ。怨霊や幽霊の存在もそうである。

 どのようなことでも、ありえないと切り捨てることはできない。

「夢のなかで、ミヨと対話が出来るということかな」

「私が見るのは、殺された子たちの夢。夢のなかの私は、自分ではない別の少女になってるんです」

 嫌な予感がした。卯月が乾いた声で言う。

「でも、ただの夢じゃなかった」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ