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第三章【③】守屋卯月

 卯月は、時雨から聞いた奥背山の怨霊に関することを頭のなかで整理する。

 奥背山の始祖は非業の死を遂げた。

 始祖は怨霊となり、新しい長を呪殺。その後、僧侶によって祀られる。

 そこまで考えたところで、運転席の貴一が口をひらいた。

「何を考えている?」

「所長の話を自分なりに纏めていました」

「聞かせろ」

 卯月は、ぽつぽつと考えを述べた。

「僧侶によって祀られたことで、怨霊となっていた始祖は神になったはずです」

「いわゆる御霊信仰か」

 卯月は頷く。

「神というのは二つの側面――荒魂と和魂があります。祀られている限り、和魂の側面が強く出る」

「祭事が怨霊を神に変えているんだな」

「はい。しかし祭事が滞ると、怨霊としての側面、すなわち荒魂の部分が強く出てくるんです」

 神が災いをもたらす。一般的に祟りと呼ばれるものだ。

「範囲が限定的であったり、共通点があったりするのも、祟りとしてよくある話と何かの本で読んだような気がします」

「その辺は曖昧だな」

「あくまで推論なので、なんとなく程度で聞いてください」

 重要になってくるのは、なぜ水縁家と式役檀家の血筋の者ばかりが狙われるのか。もし始祖を加害した一族ゆえに祟られているとするのなら、若い娘以外の者も狙われていいはずだ。そうを述べると、貴一が頷く。

「その点は僕も気になっている。若い娘、という点に何か理由がありそうだ。それに、戦時中の事件の資料では、祭事が中断されて半年後に最初の失踪事件が起きたという」

「ええ、それは今回と同様ですね。しかし、前回は祭事が三年間も中断したにも関わらず、失踪者は六人。半年間に一人の計算になります」

 わかっている、というように貴一は渋面で頷く。一方、現在起きている失踪事件は最初の失踪者からまだ一年も経っていないというのに、すでに五人が失踪しているのだ。

 失踪者が出るスパンが短くなっていることが、卯月の不安をより増幅させた。

 前回同様、社用車を卯月の自宅の庭にとめて、徒歩で奥背山寺へ向かう。

「今日も暑いですね。熱され過ぎたんでしょうか、アスファルトにヒビが入ってますよ」

「前回もなかったか」

「ここにはなかったはずです」

 貴一はサッと坂道を見回す。

 つられて視線を走らせると、先の舗装にも亀裂が走っていた。夏の陽に照らされて白く乾き、細かい砂が付着している。

「廃寺になる予定だから、舗装していないんだろう」

「本当に、奥背山寺がなくなるんですね」

 卯月が奥背山へ越してきてから、奥背山寺はずっとある。水縁が微笑んで相談に乗ってくれる、温かい場所だ。

 それらがなくなることが、今の卯月には想像できなかった。

 予め連絡を入れてあったため、水縁は快く出迎えてくれた。あの日のように上がり框に座ると、冷たい番茶を振る舞ってくれる。

 貴一が資料を返し、同一の文言が見つかったことと古文書の現代語訳を伝えた。

「江戸初期まで、複写は続いていた。後世に伝えたかったのだろう」

 水縁が感慨深げに頷いた。

「そうか。複写もまた、水縁家の役割やったんやなぁ。いつの間にか、廃れてもたんや」

「いくつか聞きたいことがある」

 貴一の言葉に、和やかな空気が一変する。

 水縁が警戒するよう貴一を見たが、ややあって溜息をついた。諦めの色を乗せている。

「なんやろ。答えられることやったら、ええんやけど」

「現在、K市で連続少女失踪事件が起きていることを知っているか」

「なんのことや」

 水縁が首を傾げた。嘘をついているとは思えない。実際、事件については今なお警察が情報を秘匿にしているため知らなくて当然だった。

 貴一は、卯月たちが共有している「K市連続少女失踪事件」の詳細を伝えた。途中から、水縁が意味も無く手を擦り合わせ、顔色がみるみるうちに青くなっていく。

 トドメとばかりに、貴一は時雨から預かったファイルを差し出した。

「これは被害者のリストだ。うちの上司が組織の力で手に入れた。確認してくれ」

 ファイルを持つ水縁の手が震えている。

「見覚えはあるか」

「あらへん」

「戦時中に、今回と同様の事件が奥背山で起きている。その際、行方不明になったのは水縁家と式役檀家の血筋の娘だったようだが」

 水縁はハッと貴一を見た。彼は何か言いたげにもごもごと口を動かしたが、結局何も言わず、もう一度被害者のリストを見た。

 すると、あることに気づいたように目を見開く。

「名字が変わっててわからんかったわ。この空子ちゃん、式役檀家の娘さんや」

 一人目の被害者、その母親の名前をそっと指でなぞる。他の者たちも同様に、被害者本人ではなくその親のどちらかが式役檀家の血筋だという。

 水縁は見たくないと言うように首を横に振り、リストを貴一に返した。

「奥背山で、失踪者が出てへん。せやから、なんも起こってへんのやと……あぁ、まさか、こないなことになっとるやなんて」

「高齢化が進む奥背山には、若い娘がいない。だから、祭事を中止したとしても被害はでない。そう考えていたんだな」

「杏花ちゃんだけが気がかりやったんや。せやけど、祭事を止めて半年が過ぎても、杏花ちゃんはピンピンしとった」

 だから、祟りは起きていない。水縁はそう思い込んでいた。だが実際は、彼の知らないところで、式役檀家の血筋の娘が失踪していたのだ。

「話してくれないか。僕たちは、奥背山の怨霊を鎮めるためにいる」

「前にも言うとったな。ここまで調べたいうことは、本気なんやな」

 水縁は静かにため息をつくと、柔らかな表情のまま自嘲を浮かべた。まるで遠くを眺めるよう目を細め、口を開く。

「水縁家の血筋は、とんでもない業を背負っとるんや。呪われとる。式役檀家も同様や」

 ――血筋。とんでもない業。

 卯月は小さく悲鳴をあげた。

「先祖が罪を犯したということか。だとしても千年のうちに血は薄まるだろう」

「償いきれん業がある」

「先祖がしたことであって、あなたが犯した罪じゃない」

「それでも、背負っとる罪は消えんのや!」

 水縁は声を荒げて、歯を食いしばる。

「どうしようもあらへん。わしに水縁の血が流れとる限り、逃れられんのや。当主を継いだ日からこっち、夢に見る。あのお方を怨霊にした先祖らの――」

 水縁が口をつぐみ、視線をそらした。

「よほどの業を背負っているのだと推測する。苦労したのだろう。これからは僕たちも手を貸そう」

「いらん」

「屋敷の裏側に『何かある気がする』んだが。そこに、御神体があるんじゃないか」

「言いとうない。もう帰ってくれんか。これは水縁家の役割や」

 水縁は被害者リストをちらりと見ると、悲痛な表情で唇を噛む。

「こういう仕事をしているが、僕は基本的に呪いを信じない」

 淡々とした貴一の言葉に、水縁が僅かに顔を上げる。

「罪は個人にあるもので、家族ですらその責任を負うことはない。ゆえに、遥か昔に死んだ先祖の罪を、今なお背負い続ける必要などない」

「あんたにはわからん。血の業は、とてつもなく深いんや。どれだけ償っても償いきれるもんやない」

 水縁の言葉が頭のなかで反芻される。

 ――血の業はとてつもなく深い。

 卯月のこめかみを鋭い痛みが刺し、視界が滲んでいく。

 真っ黒に塗りつぶされた過去へ意識が沈んでいき――そして、卯月の脳裏で記憶が弾けた。

 それは夢だ。夢のなかで、卯月は別の人間になっていた。自分ではない別の少女の意識に同化し、いつも同じ男に殺されるのだ。

 しかし殺された瞬間、卯月の意識は男へと移動する。先程まで意識が同化していた少女の死に顔は恐怖に歪み、怖気を誘う。それなのに、男の心からの愉悦が卯月の恐怖を捻じ曲げていく。

『ああ、なんて――なんだ』

 男の呟きが蘇り、卯月は両手で口を押さえた。こみ上げてきた吐き気を懸命に飲み下すうちに、吐き気は更なる頭痛へと転じ、卯月の本能が危険信号を鳴らす。

 記憶の蓋を開いてはならない。

 再び、己の深くに沈めるのだ。そうしなければ、卯月は罪の意識で狂ってしまう。

「どうした、卯月くん」

 貴一の慌てた声が、卯月を現実に引き戻した。

 それをきっかけに急速に意識が朦朧として、卯月の体がゆらりと傾げる。

 床に身体が叩きつけられる寸前、意識を失った。


 ◆


「鍵を閉めろといっただろうが」

 直接的ではないにしろ、防犯についての話はしたはずだ。

 片手で玄関の引き戸を全開までひらくと、貴一は背負っていた卯月を軽く揺らす。

「ついたぞ、おい」

 卯月は貴一の背中から降りて、ふらふらと上がり框に腰をおろす。

「大丈夫です」

 呟いた彼女は、緩慢な動きで靴を脱ぎ、廊下に片足をあげたところでよろけた。

 慌てて支える。卯月は貴一の支えに体重を預けると目を閉じ、そのまま意識を飛ばしてしまった。真っ青だった顔色が回復しつつあるのが幸いか。

「何が大丈夫なんだ。救急車を呼んだほうがいいのか」

 卯月から返事はない。仕方なく彼女を抱き上げると、寝かせることができる場所を探すことにする。近くの部屋をのぞき込んだとき、ふいに廊下の奥から声を掛けられた。

「卯月、どうしたの」

 低い男の声だ。振り向くと、卯月とよく似た男が駆け寄ってくる。

 屋内は外と比べて極端に薄暗い。だがそれを抜きにしても、男の纏う雰囲気は奇妙だ。

 気配が薄い。今にも闇に溶けて消える。そんな質感だった。

「誰だ」

 尋ねると、相手は訝るような視線を貴一へ寄越す。

 そのとき初めて、男の右目が赤いことに気づいた。猫のように開いた瞳孔の奥が、鮮血のような色を灯している。確か卯月も、暗がりでは片目が赤かった。

 不快そうに男が顔を顰めた。

「そういうあんたは誰。僕は、卯月の双子の兄だけど」

「双子? 初めて聞いたが」

「卯月の私生活を全部あんたに話さなきゃならないわけじゃないだろう」

 それもそうだ。外見からも双子というのは嘘ではないだろう。とはいえ、貴一が双子だったことを話したとき、自分も双子だと教えてくれてもよかっただろうに。

 そんなことを考えたが、あのときはただの雑談ではなく古坂部事件について話していたときだった。卯月は軽口をたたくときもあるが、基本的に控えめな性格をしている。空気を読んで話さなかったのだろう。

「僕は、卯月くんの職場の人間だ。調査中に彼女が倒れたので連れてきた」

 男は心配そうに卯月を見たあと、廊下の奥を示した。

「こっち、卯月の部屋がある。悪いけど、そのまま連れてってくれるかな」

 廊下を和室に沿って左に折れた突き当たりに、卯月の部屋があった。

 卯月の兄がドアを開け、貴一は促されるように部屋に入るとベッドに彼女をおろした。胸が静かに上下していること、頬に赤みがさしていることを確認し、ほっと息をつく。

 部屋を出ようとして、ふと辺りを見る。あまりに簡素だ。

 奥背山に越してきて二年というが、卯月の部屋には生活感がない。家具に至っては、使い古されたベッドと子ども向けの勉強机、小さなクローゼットの三つだけだ。家具付きの物件だとしたら、卯月の私物はどこにあるのか。家屋自体が広いので、目的別に部屋を使い分けているのだろうか。

 かなり古い型のエアコンがあったので、クーラーをつけようとリモコンを探す。竹藪の陰になっているのでそれほど暑くないが、念のためだ。

 リモコンはすぐに見つかった。勉強机の上にあったそれに手を伸ばそうとして、デスクに置いてある写真に気づく。端正な顔立ちの男の写真で、一瞬、恋人かアイドルの写真かと思った。だが、どこかで見覚えがあるような気がして、写真を手に取ってじっと見る。

 ――古坂部悠二。

 一般に出回っている写真とは異なる写真だったので、気づくのが遅くなってしまったが間違いない。

 なぜ古坂部悠二の写真がここにあるのか。

 何気なく裏を見ると、『写真資料④』と書いてあった。入手した日付と共に記載されたそれには、見覚えがある。時雨の部屋にあった資料にも、同様の記載があったはずだ。

 時雨の古坂部事件に関する資料から、この写真を持ってきたのか。だがなぜ。

 じっと写真を見つめていると、既視感を覚えた。古坂部悠二に会ったことがあるような、そんな奇妙な感覚がする。

 ありえない。古坂部悠二は二十年以上前に他界している。では、どこで。

「お兄ちゃん」

 ふいに卯月が呼ぶ。起きたのかと思ったが、どうやら寝言のようだ。

 写真を机に戻し、携帯電話を取り出す。電波が届かず、家の外に出る。軒下の日陰に立ち、時雨に連絡を入れた。

「――というわけだ」

 卯月が倒れたことと、水縁の件を報告した。

『わかった。卯月ちゃんの目が覚めるまで、傍にいてあげてくれないか』

「自宅に、卯月の兄がいる。彼に任せてもいいんじゃないか」

『卯月ちゃん、一人暮らしだったと思うけど』

「一人暮らしなだけで、家族がいないわけじゃないだろう。たまたま来てるんじゃないか」

『いないよ。面接のときに聞いたんだけど、卯月ちゃん児童養護施設で育ってるから。あ、これって個人情報流出になるのかな。コンプライアンス的に問題ありか』

「大ありだ。だがわかった。目覚めるまでついている」

 携帯電話を切って戻る途中、玄関でふと足を止める。ここにある靴は、卯月の分だけだ。貴一は居間を始めとしていくつかの部屋を覗きながら、声をかける。だが、卯月の兄と名乗った男はどこにもいない。

 どういうことだ。会話をしたし、案内もされた。確かにあの男はいたのだ。

 家は不気味なほど静まり帰っていた。あの男の気配が跡形もない。まるで、空気に溶けて消えてしまったか、あるいは最初からそんな男などいなかったかのように。

 なぜだ。外見も覚えている。卯月によく似た――。

 貴一は雷に打たれたように立ちすくんだ。次の瞬間、勢いよく卯月の部屋へ飛び込むと、古坂部悠二の写真を持つ。

 既視感の理由がわかった。

 写真の古坂部悠二は、つい先程会った卯月の双子の兄とよく似ているのだ。

 だがそんなはずはない。あの男は、どう見ても卯月と一卵性双生児だったではないか。

 写真を持つ手が震えた。恐る恐る卯月に近づき、写真と彼女の顔を見比べる。まさか。

 性別や年齢が異なるので気づかなかった。しかし、こうして見比べると――いや、もはや見比べるまでもない。

 意識してしまえば、古坂部悠二の鼻筋の通った端正な顔立ちや少し垂れた目、凶悪犯とは思えない穏やかな雰囲気まで、卯月と共通していた。


 ◆◇◆


「前の前の人は、すぐに死んじゃったよ。ご飯食べれなくて、弱っていったの。でも、前の人は元気だった。悠二さんが気に入ってたから、まだもつと思う」

 仲良くなるに連れて、私が置かれている状況について話してくれるようになった。

 それでも、「私はこれからどうなるの」と尋ねると黙り込んでしまう。考えたくないけれど、大体の予想はつく。

 ミヨがいない間、闇のなかで身体を小さくして考える。

 お母さん、私を心配してるだろうな。

 お兄ちゃんは、どうだろう。もう私のことなんて忘れたいかな。沢山喧嘩もしたし。

 お父さんは、多分無関心だ。変な事件に巻き込まれたなんて知ったら、不快そうな顔をするかもしれない。だって仕事人間だし。それが理由でお母さんと離婚したし。

「死にたくないな」

 あえて声に出して呟くのは、ここから逃げる可能性が見えないからだ。

 きっともうすぐ、私の順番がくる。

 なんの順番かはわからないが、前の人たちがいたということはそういうことだろう。

 誰も知らない場所で、私は死ぬ。まだ十代なのに。将来の夢だってあるのに。恋だってしたかった。

 ぎゅっと目を瞑る。親友の顔が浮かぶ。引っ越した先で仲良くなった、大切な友達。これまでも友達と呼べる人たちはいたけれど、私にとって彼女は初めての『親友』。

「心配させたくないのに……」

 唇を噛み、勢いよく身体を起こす。頬を両手で叩いた。諦めるな、私。ここから出て、また大切な人たちと過ごすんだ。

 ミヨがくるのを待って、私は彼女に声をかける。

「ねぇ、ミヨ。ここから一緒に逃げよう」

 彼女は、驚いた顔をした。

「警察に助けを求めるの。今、私は監禁されてて、ミヨは洗脳されてる。これは犯罪だよ」

「警察は、役に立たないって悠二さんが言ってたよ」

「それは悠二さんが、警察に知られないようにしてるからだよ。事件が起きてることを知ったら、警察は絶対に守ってくれる。私の叔父さんね、刑事なんだ。正義の味方なんだよ」

「警察は、正義の味方なの?」

「勿論だよ!」

 わたしは身を乗り出した。

「ここを出たら、うちにこない? 狭いアパートだけど、寝泊まりくらいできるし」

 ミヨの瞳に輝きが宿る。外に出て共に暮らす生活を想像したのかもしれない。

 だが、それも一瞬のことだった。ミヨは勢いよく首を横に振る。

「だめ」

「どうして」

「いけない」

 追及を避けるように、ミヨは足早に出て行ってしまった。私は一人、消沈しながら床に寝転ぶ。

 いかない、ではなくて、いけない。その言葉の差異は、大きいような気がした。

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