第三章【②】守屋卯月
「正直なところ、期待以上だったよ」
休憩時間が終わり、それぞれが椅子につくなり時雨が話し出した。
古文書の解読までにかかった期間は、約一か月半。
すでに七月になっており、完全なる夏が到来している。
「思っていたよりかかったな」
「紙の修復や破損の復元から着手したからねぇ。すぐに読めたやつは、新しいものばかりでさ。民俗学的には重要っぽいやつなんだけど、今回はいらないかな」
時雨はホワイトボードを、彼女自身のデスクの傍まで引っ張ってきた。
「奥背山ができたのは飛鳥時代だろう? その頃ってまだ紙が普及してなくてね。だから古文書といっても新しい記録だろうと思ってたんだ」
時雨は興奮気味だ。先程も収穫があったと言っていたから、余程の進展があったのだろう。自然と卯月の期待も大きくなる。
「大量に借りることが出来た古文書のなかに、同一の文言が複数見つかった。全体的に解読不能な字が多いことから、おそらく字の読み書きができない者が見様見真似で複写し続けたんだろうっていうのが、専門家の見解だ。水縁家は、この事実を後世に残さなければならなかったんだろうね。複写は江戸初期まで続いている」
「江戸初期までって、もしかして飛鳥時代からずっとってことですか?」
思わず声をあげた。
時雨は頷くと「現代語訳に直してもらってきた」と言いおいて、内容を読み上げた。
奥背山は、始祖を慕う者たちによる集落である。
行き場のない者たちを抱き込み、始祖は皆が平和に暮らせるよう集落を作った。
皆が彼を尊敬し、このまま平穏が続くのだと思っていた。
しかし、始祖は気がふれてしまう。
傍若無人な振る舞いで人々を傷つけ、多くの命を奪った。
始祖の悪事を見過ごせず、彼を諫める男が現れた。
男は始祖を排除して新たな長となるが、新たな長は呪殺され、奥背山は不浄の地となる。
始祖の父親代わりであった僧侶が、始祖の魂を鎮め、奥背山の地に安寧が訪れた。
読み終えると、時雨は小さく息をつく。
「こんな感じだね。まぁ、現代語訳だから少しずつ違うかもしれないけど。おおよそ、合ってると思う。それから、水縁家と式役檀家ができたのもこの頃だ。奥背山の安寧を永久のものにするため、僧侶が定めたんだって」
「飛鳥時代から千年以上、その風習が続いているというわけか。祭事は金がかかると水縁が言っていたが」
「そう。過去にも、資金面の事情から祭事を取りやめたことがあったみたいだ。記録に残されていたのは二件。応永十三年と元禄九年だ」
時雨の表情が僅かに強張ったのを、卯月は見逃さなかった。嫌な予感がする。
「どちらも、奥背山で若い女が多数失踪している」
ぞくりと背筋に冷たいものを感じて、それを誤魔化すように咄嗟に腰を浮かせた。
「多数って、そんなに失踪者が出たんですか」
「前者が七人、後者が十二人だ。これだけ失踪すると血筋が途絶えそうなものだけど、不思議なことに奥背山住民は他の集落より遥かに子宝に恵まれたらしい。しかも、圧倒的に女児率が高い」
息を呑む。まるで、最初から行方不明者になる前提で生まれてくるようではないか。
「記録に残っているもの以外にもありそうだな」
貴一が唸るように言い、時雨が頷いた。
「おそらく奥背山の地は怨霊に祟られている。それを抑えるのが、祭事だ。しかし、平和が続くと怨霊云々の話は眉唾物に聞こえるだろうし、祭事を行いたくても資金面で不可能になってしまう年がでてくる」
卯月は想像する。
祭事を取りやめるたびに奥背山で多くの女性が失踪し、住民は祟りだと怯える。念入りに祭事を行うが、当人たちがこの世を去り、祟りの恐怖は忘れ去られてしまう。そうしてまた、同じことを繰り返すのだ。
ふと、水縁の怒りに満ちた顔を思い出す。
「もしかして、水縁さんは祭事の重要性を知ってる……?」
「だろうな。あのときの反応からしても、間違いない」
貴一が苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「今から伝えることは二点」
時雨がホワイトボードに、『怨霊の正体』『現在の連続少女失踪事件』と書いた。
「この二つについて、説明しようと思う。まずは、一つ目。怨霊の正体だね。きみたちはどう思う?」
答えたのは貴一だ。
「古文書通りに受け取れば、始祖が新しい長を逆恨みして怨霊になったんだろう。だが、所詮は水縁家が管理していた記録に過ぎない」
「私もそう思うよ。勝者の歴史とはよく言ったものだ。おそらく、都合がいいように改竄されてるだろうね」
「でもそれだと、せっかく解読したのにあまり意味がないんじゃないですか」
卯月の問いに、時雨が口の端を吊り上げる。
「水縁家が数百年も複写し続けてきたんだよ。改竄して尚、伝えられてきたことには理由があるはずだ。古文書では、始祖が大罪人で、新しい長が奥背山を救った英雄のように書いてある。さらにいえば、始祖の祟りから奥背山を守っているという水縁家と式役檀家もまた、同様に英雄のように扱われている。……これを、逆にとらえてみて」
「逆というと、つまり、始祖が被害者で……新しい長、水縁家、式役檀家が、加害者?」
「そういうこと。ふふっ、さすが卯月ちゃんだ。頭の回転が速いね。それらが事実だとしても、そうでなくても、この古文書の文面には、怨霊に関する重要な記載がある。おそらくこれこそが、水縁家が残したかった情報だよ」
軽快な口調とは裏腹に、時雨の目は落ち着いている。
意味をわかりかねて黙り込む卯月に、時雨が尋ねた。
「以前に話した、日本三大怨霊の共通点を覚えているかい」
「凄惨かつ哀れな死を迎えた者、ですね」
思い出しながら告げる卯月に、時雨がわが意を得たりとばかりに口の端を釣り上げた。
「奥背山の怨霊はとにかく力が強い。定期的に失踪者が大勢出ていることからも、日本三大怨霊に引けをとらない力がある。となれば、もう一つの条件も当てはまるかもしれない」
――二つ目は血筋や身分だ。やんごとなき血が流れていたり立場ある者のほうが、怨霊としての力が強い。
時雨の言葉を思い出し、卯月は図書館で見た歴史を脳内で照らし合わせる。飛鳥時代は政権争いが激化していた。大化の改新が有名だが、それに付随する争いは常に起きていたため、争いに敗れて逃げてきた貴族がこの地に身を隠してもおかしくはない。
「まぁ、そっちは推測どころか妄想の域を出ないけどね」
「怨霊の正体は始祖。そして始祖は、凄惨かつ哀れな死を迎えており、その力は強大。時雨はそう言いたいんだな」
「その通り」
「過去に起きた失踪事件は、どうなったんだ」
静寂が降りた。窓の外で、蝉がジージーと鳴き始め、僅かもしないうちに飛び立った。
時雨は視線を上げ、はっきりと告げた。
「祭事を再開したことで、失踪は収まったらしい。少なくとも記録にあった二件には、そう書いてあった。ただ……どちらも、失踪した者たちが戻ってくることはなかったと」
息を呑む。失踪者は全員で十九人だ。その全員が、一体どこへ消えたというのか。
穏やかな住宅街。懐かしさを覚える夕陽。そして、地面に落ちた鞄と、転がる手首。それらを思い出して、知らずのうちに自分の身体を抱きしめていた。
「……怨霊は、どうして少女ばかりを狙うんでしょうか」
「さぁね。その件については、水縁家の当主が知ってるかもしれない」
時雨は結局ほとんど使わなかったホワイトボードを端へ追いやり、自身のデスクをこんこんと指で叩いた。
「来てくれる? この資料を見て欲しいんだ」
卯月と貴一が向かうと、バインダーを渡された。二人で身を寄せ合うようにして資料を読み始めてすぐ、卯月は右手で口を覆う。
「それは、戦時中に起きた失踪事件の資料だよ」
西尾から情報を得て、水縁が顔色を変えた事件の詳細がそこにあった。
日本全体に貧困が蔓延していた時代だ。
疎開を受け入れていたこともあり、とにかく多忙な日々を送るなか、奥背山では祭事を一時的に中止することに反対する者はいなかった。
しかし、祭事を取りやめてから半年。若い娘が失踪する。一人目は、元々家族仲が悪く、奥背山を出ていくと息巻いていた娘だったため、失踪してもそれほど気にかけなかった。だが、二人三人と失踪が続き、ついに六人に及んだ頃、水縁家が祭事を再開。たちまち失踪事件は収まった。
尚、四人目の失踪者である娘の私物と手首が、彼女の実家の前で発見されている。
卯月は資料を読み込むなかで、最後に記載されていた文面を見てぎょっとした。
――失踪者は全員、水縁家か式役檀家の血筋の者である。
「これって、本当なんですか」
「確かな情報だよ。古文書にあった失踪事件も、もしかしたら、同様の共通点があったのかもしれない。あれには、失踪者が娘たちだったということ以外は書いてなかったから、これも推測だけどね」
怖気が走って卯月は口を固く閉じた。人智を超えた存在が、圧倒的な力で人々を消してしまう。そんな神隠しのような出来事が、あの平和な奥背山で繰り返されてきたなんて。
「ならば、現在起きている連続少女失踪事件も同様か」
貴一の呟きに、卯月は顔を上げる。視線が合うと、貴一が続けた。
「可能性としてあるはずだ。無差別よりも何かしら共通点があるほうが、怨霊の行動と合致する。逆に言えば、現在失踪している者が全員、水縁家や式役檀家の血筋と証明されれば、怨霊の仕業だと確定できる。組織の上層部も、認めざるを得ないんじゃないか」
最後の言葉は、時雨に向けられていた。
時雨は頷き、別の資料が入ったファイルを渡す。
そこには、現在失踪している少女たちの個人情報が記載されていた。以前見たときより具体的かつ詳細で、両親の名前や年齢にまで及ぶ。
「午後からは、水縁家に借りていた資料の返却を頼むよ。その際、この被害者の資料を見せて、水縁家や式役檀家に関わりがないか聞いてきてほしい。もし私たちの推測通りなら、御神体の確認もよろしく。今後重要になってくるかもしれないから」
御神体とは、神が宿る物体のことだ。
水縁家でもっとも尊い物として扱われている品が一体どれでどこにあるのか、それを確認せよということだろう。
なぜ必要なんですか、と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
これ以上は、さらに先の除霊や浄霊といった分野に入る気がした。卯月の役割はあくまで調査補助であり、組織の仕事に立ち入るわけにはいかない。
「わかりました。先輩、いけそうですか」
貴一が頷き、それから静かな双眸で時雨を見る。
「これだけの資料を、どうやって集めたんだ。戦時中の事件に関する資料など、そうそう手に入らないだろう。……まるで、警察に保管されているものをそのまま写したようだ」
「まぁ、ちょちょっとね。組織の一員である以上、私単独でも動かせる力があるんだ」
時雨は緩く微笑んだ。
「じゃあ、調査を頼むよ。私はその間に、今回の発見を本部への報告書にしたためるから。これだけの資料があれば、さすがに本部も動かざるを得ないさ」




