第一章【①】少女失踪事件
「守屋さんは、最期はどう死にたい?」
履歴書を片手にそう問われたとき、守屋卯月は驚いた。
ここまで、志望動機や通勤手段など、通り一遍の問答が続いていたからだ。面接もそろそろ佳境だろうというころに、先程の質問がラスボスの如く投下されたのだった。
「最期、ですか」
反芻したのは、聞き間違いを考慮してだ。脈絡のない質問内容なので、つい自分の耳のほうを疑ってしまう。
向かい側の黒革ソファに座る人物――時雨宵は頷き、金縁の片眼鏡を軽く指で押し上げた。
ここ『時雨調査事務所』の所長だという彼女は、年の頃は三十代前半。中性的な雰囲気にメンズスーツを着こなし、緩くウェーブのかかった髪を後ろで束ねている。穏やかな笑顔と、低めのアルト声。時折大袈裟な身振りを挟むところが、舞台役者のようだった。
「そう、最期」
「つまり、どう死にたいかということですか」
時雨は大きく頷くとにっこり微笑み、答えを急かすように体を前傾姿勢にした。
卯月は少し考えて口を開く。
「誰かの役に立って死にたいです」
時雨の目が、つと細くなる。
「おや、またそれはどうして?」
――贖罪のため
そう喉元まで出かかった瞬間、胃が締めつけられるように痛んだ。無意識に指先が震えて、慌てて握り締める。
こんなことを面接で口にすべきではない。その程度の常識はあるので、卯月は無難な答えを考える。その間をどう取ったのか、時雨は早々に会話を締めくくった。
「まぁ、理由なんて色々だよね」
今の問いは、合否に関係あるのだろうか。
時雨が手元のファイルを広げた。彼女の第一印象は、笑顔の優しい青年、だった。声の高さから女性だと気づいたが、優しい人という印象は変わらない。こんな人と働けたら素敵だろう。
「じゃあ最終確認だ。あ、これが雇用契約書。一緒に確認していこう」
卯月は目をぱちくりとさせた。
「私、合格ですか」
「そうだよ」
理解すると同時に、じわじわと喜びが溢れてくる。
社会復帰を決めて半年、何枚の履歴書を書いたか。今回も落ちただろうと落胆していた事もあり、喜びもひとしおだ。
だが、どうして合格なのか。募集枠の一人に卯月を選ぶ理由がわからない。疑問が過ったものの、ここで余計なことを聞いて採用が取り消されるのだけは避けたかった。
「おめでとう、卯月ちゃん。これからよろしくね」
「あ……よろしくお願いいたします」
名前で呼ばれて驚きつつも、差し出された手と握手を交わす。
時雨は手元のファイルから雇用契約書を取り出して、卯月の前に置いた。
雇用内容は週五日勤務、簡単な事務と調査補佐。時期は半年間。土日は休みだが、状況により変動あり。時給は高めで交通費もでる。
それらの説明を聞き終えると、促されるまま書類に署名と押印をした。
控えを卯月に渡すと、時雨は軽く手を打った。
「いやぁ助かったよ。皆面接に来ても、仕事内容を聞くなり帰っちゃうからさ」
はたり、と卯月は固まった。
仕事内容については土地関係の仕事としか、募集のチラシには書かれていなかった。
どんなことでもやるつもりだったから、面接中に仕事内容について質問もしていない。
「あの、どういった会社なんですか」
「うちは、会社じゃないんだ。とある大きな母体組織から、調査隊として派遣されてきてるんだよ」
意味を側りかねて、首を傾げる。組織というのは、会社のことではないのだろうか。
「何を調査するんですか」
「土地の歴史の調査が主だね。我々は、この国に眠る怨霊を管理し鎮めるのが役目なんだ」
沈黙が降りた。おんりょう。音量。温量。……怨霊?
「それは、幽霊とかそういう」
「そう、まさにそっち系。ああ、わかるよ。胡散臭いよね。私も配属されたときはそうだったんだ。幽霊なんているわけないじゃん、みたいな。まぁ、信じる信じないは自由だ。ただ、仕事として『いるなら』という仮定で動いてほしい」
卯月はなんと答えるべきか窮した。宗教か。詐欺か。
犯罪グループは、印象のよい会社を装って働き手を募っている――というのが、卯月の勝手な印象だ。だが、時雨は胡散臭さを隠す気配がない。
自分の考えに唸り、テーブルに視線を向けた。時雨が手ずから入れてくれた緑茶は、ハンドメイド感のある桃色の布コースターに置かれている。
殺風景な応接間のなか、コースターからは温かみを感じた。
玄関入ってすぐが応接間で、さらに奥へ続くドアがある。メインの仕事場といったところだろう。
K駅から徒歩二十分。高月台の住宅街にこの事務所はあった。右手には大型スーパーや生産工場、大学附属の農地、科学研究所などが区画ごとに行儀よく立ち並ぶ。
どの建物も真新しいのは、この辺りの土地が開かれて間もないからだ。すぐ側には小学校や公立高校もある、休日には子ども連れの家族で賑わう平和な場所。
だが卯月は、平凡な日常にこそ悪意が息をひそめていることを知っている。
辞退すべきだろうか。だが、やっと決まったバイトだ。
就活を始めて半年。あることがきっかけで長期療養に入っていたことや、前職を一年で辞めたことがマイナスに働いていた。
いい加減、貯蓄も底をつく。背に腹はかえられない。
こみ上げる苦いものを飲み下すように唇を噛むと、時雨を見返した。
「よろしくお願いいたします」
時雨が笑みを深めた。
「何か質問はあるかい?」
「母体の組織について知りたいです。あの、一体どんな組織なんですか」
「そこは秘密だ。詳しく話せなくて、ごめんよ。怪しい者じゃないから安心して」
怪しさしかない、と思ったが、卯月が躊躇う間もなく時雨が話を進めていく。
「じゃあ、今後のことを簡単に話すね。卯月ちゃんには、うちの調査員と二人でひと組になってもらう。彼、すごく優秀だから……まぁ、ちょっと偉そうなところがあるけど」
眉をひそめた卯月を見た時雨が、慌てて続けた。
「仕事も丁寧に教えるから、心配しないで。私も、手取り足取り教えてあげる。あとは何を説明するんだっけ。ええっと――」
時雨の話を一通り聞き終えると、その日は帰路についた。
帰りがけにスーパーで三日分の食材を買い、バスに揺られながら窓際の席で考える。
怨霊を管理する組織など、本当にあるのだろうか。
携帯電話で検索してみるが、それらしい情報は見つからない。検索結果には、怨霊となった偉人に関するものや都市伝説といったオカルト話ばかりが並ぶ。
時雨調査事務所との雇用契約は、たった半年だ。
かなり怪しいが、社会復帰の足がかりと割り切ればいいだろう。詐欺まがいのことをさせられそうになったら、その足で警察に駆け込めばいい。
携帯電話を鞄に戻し、バスに映った自分の姿を見る。
肩に擦れるくらいの黒髪に、ほっそりとした輪郭をもつ小顔。鼻は高く、引き結ばれた唇はぽってりと艶やかだ。世間では美人と称される外見で、卯月もその自覚があった。
フッ、とバスが高架下を通った瞬間、陰が落ちる。
窓に映る卯月の右目が、赤く染まっていた。
――まるで鮮血のような色だ。
慌てて右目を手で覆う。
陰はあっという間に去り、バスのなかはもとの明るさに戻った。周囲の誰も卯月の異変に気づいていないことを確認してから、そっと手を退ける。
右目はもとの黒色に戻っていた。
ふいに、ねっとりとした視線を感じた気がして辺りを見回した。あの分厚いコートの悪魔はいない。当たり前だ。あの男はもう死んだのだから。
深呼吸をして、そっと拳を握る。
だが早鐘をうつ卯月の心臓は、なかなか落ち着いてはくれなかった。




