第二章【③】宝田杏花の事件
奥背山は高い山に挟まれた小さな集落だ。
高月台から西側に、川を挟んでT山という集落がある。そこからさらに山を越えてM町に向かう山中に、奥背山はひっそりとある。
中央に通るのは車が一台通れる細道。その脇から、山を這うようにして民家へ続く坂が伸びている。家々は切り開かれた斜面に点在していた。
「引くほど田舎だな。……ここは昭和か?」
貴一がワゴン車を端に寄せる。前方から軽自動車がやってきて、運転手が小さく会釈をしながらすれ違っていった。
「よくこんなところに住めるな。見渡す限り田園と……なんの木だ。同じ畑ばかりだが」
「柿の木です。大体どの家も柿を作ってるんですよ。以前は出荷も盛んだったそうですが、今は高齢化で畑の手入れも儘ならないところも増えているようです」
マムシ注意、と書いてある古びた看板を通り過ぎると、青い屋根の集会場が見えてきた。集会場の前には広場が設けてあり、野ざらしにされた遊具が朽ちている。
さらに道を進むと、右手に古びた自販機が打ち捨ててあり、そこからさらに進むと、右手に酒屋があった。
「こんなところに店を構えて、売れるのか」
「でも、重宝してるんですよ。あ、ここを左に上がってください」
貴一がこれ以上ないほど顔をしかめた。
卯月が示したのは、田んぼに挟まれた細い土道だ。車一台がようやく通れるほどの幅しかなく、奥で道が二股に分かれている。どちらも急な登り坂である。
「あの田んぼ終わりのところで対向できます」
「そもそも、道がギリギリだぞ。建築基準法的に大丈夫なのか」
「たぶん大丈夫です。高齢者世帯が多いからか、救急車がよく出入りしてますし」
「救急隊は運転もプロか」
貴一はそうぼやいてから、ゆっくりとハンドルを切った。田んぼ道を通り過ぎて、さらに右手の道を登っていく。
「まったく、とんでもないところだな。都会生まれ都会育ちの僕には耐えられん」
「私も都会育ちですよ。二年前ここに越してくるまで、東京で暮らしてましたし」
「ああ、どうりで」
首を傾げると、標準語だから、と貴一が言う。
「敬語や丁寧語でも、関西のほうだとイントネーションが異なるだろう。だが、きみのそれは標準語と同じだ」
「そんなことあらへんわぁ」
「違和感の塊だな」
こっそり練習している関西弁をお披露目したが、未熟だったらしい。
「だが、なぜこんな辺鄙なところへ越してきたんだ」
「田舎暮らしに憧れてたんです」
「嘘くさいほど早い返答だな」
卯月は視線を逸らして、肩をすくめてみせる。
あえておどけた仕草で誤魔化した。実際のところ別の目的があるのだが、それを貴一に話すつもりはない。興味がないのか、貴一はそれ以上つっこんで聞いてこなかった。
急こう配となっている箇所を通り過ぎると、なだらかな傾斜へと変わっていき、坂道は広い庭を持つ古式ゆかしい一軒家へとたどり着く。
塀も柵もない戸建て住宅は、いつ頃建設されたのかすらわからないほど古いものだ。少なくとも前の居住者は、戦前から暮らしていたというから、築百年はくだらないだろう。
しかしながら、現代に至るまで使い勝手のよいように増改築を繰り返しているので、屋内のつくりは和洋折衷になっている。家屋の裏手には渡り廊下で繋がった風呂とトイレがあり、その向こうは自然のままの竹藪がすぐ傍まで迫っていた。
ワゴン車を庭に留めてもらい、卯月は家を示した。
「私の家です。あ、以前に車で送ってくださったんでしたっけ。案内、不要でしたね」
「あのとき運転していたのは時雨だ。……というか、本当にここに住んでるのか?」
「はい。市の移住促進計画で、格安に借りてます」
貴一は呆れたような顔で、「広すぎるだろう」と呟いた。
奥背山は、排他的な風土が残る集落だ。杏花の事件以降、その風潮はより強くなり、よそ者への警戒が一層強まった。社用車をあちこちに止めるわけにもいかず、卯月の家を拠点にすることにしたのだ。
ワゴン車から降りた途端、陽射しが刺すように肌を焼いた。
五月の序盤とは思えない暑さだ。
「暑いな。麦茶でも出してくれるなら、ご馳走になってやらんでもないが」
「喜んで。水筒にも入れていきましょう」
二人で玄関へ向かおうとしたとき、門扉の影に女性が立っていることに気づいた。
五十代くらいの女性で、名前は山川花子。卯月の自宅から坂を下ったところにある、隣家の住人だ。彼女は回覧板を抱きしめたまま、ぽかんと卯月たちを見つめていた。
「おはようございます、山川さん。回覧板ですね」
「あっ、卯月ちゃん!」
駆け寄った卯月の手を山川が引いた。
「ちょっとちょっと。誰なん、あのイケメン。彼氏なん?」
「いえ、職場の先輩です。以前教えてくださった求人の」
「ああ、就職した言うてたもんなぁ。いややわぁ、こんなイケメンがいるんやったら、私も応募したらよかったわ。頑張りや、おばちゃん応援してんで」
意味深に笑いながら山川は回覧板を渡すと、汗を手ぬぐいで拭きながら帰ろうとする。卯月は慌てて彼女を引き留め、今後、『歴史の調査』で奥背山の聞き込みを行うことになる旨を伝えた。山川はやたらと嬉しそうに頷き、足早に去って行った。
「……個性的な人だな」
「楽しい方ですよ、お隣さんに恵まれました」
軽く笑い合いながら、家屋へ入る。
卯月は冷えた麦茶を取り出しながら、縁側の日陰に座っている貴一を見る。自宅に貴一がいるのが不思議だった。だが、決して嫌ではない。それどころか、二人の空間が居心地がいいとすら感じる。
冷茶で一息つくと、聞き込み調査のために二人で坂を下りた。




