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第二章【①】宝田杏花の事件

「記念すべき卯月ちゃん出勤二日目だね。気を取り直して、今日も頑張ろう」

 卯月が出勤すると、時雨が開口一番に言った。

「とはいえ、疲れが残ってるみたいだし無理のない範囲でね」

「疲れてるように見えますか」

「うん。眠れなかった、って感じ」

 昨日、手首と鞄が残された奇異な場に居合わせた卯月と貴一は、すぐ警察に通報した。その後、あっという間に現場は規制線が引かれ、大変な騒動となった。

 ――手首は、本物だったのだ。

 第一発見者として事情聴取を受けたが、自分でも呆れるほどに現実離れした話になってしまう。卯月は確かに、道の向こうから歩いてくる少女を見た。しかし、次に彼女のほうを振り向いた時、そこには手首と鞄だけが残されていたのだ。

 きっと信じて貰えないだろう、なんなら第一発見者として犯人扱いされるかも。

 途中からそんな思いが芽生え始め、被疑者となる自分の姿まで妄想を膨らませたが、意外にも聴取を務めた刑事は卯月の話に納得した。

 解放された時はあまりの疲労から喜びしかわかなかったが、今思えば、あんなにあっさりと解放されたのは逆におかしい。

 そういえば、あの刑事に見覚えがある。記憶を探るまでもない。杏花の殺人事件を調査していた刑事だ。

 体格のよい男の刑事で、厳めしい顔つきがいかにも刑事といったふうで記憶に残っている。彼がバディを組んでいるらしい女の刑事の姿もあったから、今回の事件も彼らが担当しているのだろう。

 卯月は考える。杏花の事件は殺人だ。つまり彼らは強行班係ということになる。

 彼らが、ただの失踪もしくは誘拐事件の捜査もするのか。いや、事件の残忍さを鑑みると当然のことかもしれない。

 ふわりと清涼感のある独特の香りが鼻腔をくすぐった。目の前にカップが差し出されて、咄嗟に受け取る。

「疲れたら、仮眠をとって構わないよ」

「ありがとうございます。でも、出勤するって決めたのは私ですから」

 時雨は昨夜、今日は休んで構わないと言ってくれた。それを断って、ここにいるのだ。

 カップから立ち上る湯気に顔を近づける。柔らかな香りに、笑みがこぼれた。

「良い香り」

「ローズマリーだって。こういうの好きな同僚がくれるんだよ、まだまだあるから好きに飲んでね」

 卯月はカップに口をつけてほっと息をつく。

「先輩、遅いですね」

「明智くんならもう来てるよ。向こうで寝てる」

 自分のデスクに回り込みながら、時雨が奧のドアを示す。

「先輩は、もう出勤されてるんですか」

「そ。って言っても、彼の自宅はここの一階なんだけどね。社員割引で貸してるんだよ」

「そうでしたか」

 この建物そのものが、時雨の所属する組織の所有物なのだろうか。

 卯月はパソコンを立ち上げた。起動音を聞きながら、瞼の奧に熱を感じて目を閉じる。

 眠れなかったのは、少女の失踪に居合わせたことだけが理由ではない。

 連続少女失踪事件が、現在起きている事件だと認めざるを得なくなったからだ。

 刑事らに、今回の件について固く口留めされたこと。荒唐無稽の目撃証言しか述べなかった卯月の話を信じ、あっさり解放した警察の態度。それらは、時雨から聞いていた連続少女失踪事件に対する信憑性を補完するには充分だった。

 卯月は深呼吸をして決意を固めると、時雨のほうへ行く。椅子を回転させながらファイルを読んでいた時雨は、卯月に目をやると動きを止めた。

「所長、昨日の資料を見せて貰えませんか」

 時雨が、猫のように目を細める。

「やる気が出たみたいだね」

「……できることを、したいと思ったんです」

 卯月はまだ、怨霊というものが本当にいるのか信じ切れていない。ましてや事件の犯人であると断言するには根拠が乏しい。

 だからこそ全力で調査に取り組み、怨霊が関わっているという確信を得るのだ。

 資料にそれほどの量はなく、十分足らずですべて読み終えた。全体量が少ないとはいえ、被害者の名前や年齢、住所から、失踪の際の現場の状況や目撃証言、近隣の防犯カメラの有無までつぶさに記載されている。

 どれも一般市民には得ることの出来ない情報だ。これは、組織が集めた情報だろうか。だとしたら、卯月が想像していたよりずっと、組織の規模が大きいと考えるべきか。

 ――そもそも、時雨の属する組織とは一体なんなのだろう。

 時雨を見ると、視線が合う。

 彼女は愉快そうに口角を上げてこちらを眺めていた。

「質問かい?」

 卯月は少し考えてから口を開いた。

「組織はどうして、連続少女失踪事件の犯人が怨霊だと決めつけてるんですか」

 組織そのものについては、面接の日に話せないと断言されている。もどかしくもあるが、無作為に組織の情報を求めて仕事をクビになってはたまらない。

「組織が? ああ、違う違う。誤解させたかな」

 時雨は立ち上がると、壁際に置いてあったホワイトボードへ近づいていく。

 これが組織、と言って、時雨が手のひら大ほどの丸を書いた。さらにそのなかに、小さなもこもことしたポップコーンのようなものを書く。

「で、これが私が所属している組織の……呼び方がわからないから、部隊にしよう」

 部隊、とポップコーンのようなそれに記載し、そこから矢印を右に大きく飛ばした。手のひら大の丸を突き抜けた長い矢印の上に『命令』と書く。さらに豆粒ほどの丸を矢印の先に書いて、『私たち』とした。

「組織そのものはわりと大きいんだけどね。怨霊を管理して日本を守ることを役割としてるのは、組織の中のここ、部隊の部分だけなんだ。昨日も話したけど、本部には優秀な霊能力者がいる。彼らが常に、日本全土の怨霊が活性化する様子はないか、見張ってるんだ。って言っても、現在、日本には生者の脅威となる怨霊はいない。信仰のなかで神となり日の元の国を守っているから、現状維持を務めるのが仕事って感じかな。……と、先に怨霊について説明しておこうか」

 くるりとホワイトボードを回転させようとして、角を壁にぶつける。時雨は構うことなく強引にひっくり返そうとするので、卯月が駆け寄って手伝った。

 ホワイトボードの裏面のまっさらなところに、時雨は怨霊と書いた。

「さて、卯月ちゃん。怨霊についてどのくらい知ってる?」

「日本三大怨霊、というのを聞いたことがあります。確か、菅原道真と平将門、それから崇徳天皇でした」

 すらすらと答えた卯月に、時雨が目を丸くした。

「おや、よく知ってるね。解説はいらないかな」

「いえ、通り一遍のことしかわからないので、ぜひお願いします」

 今後、仕事に取り組むうえで必要な知識だろう。そう考えて懇願する卯月に、時雨は感心したように頷いた。

「真面目な子は好きだよ。明智くんも見習ってほしいなぁ」

 怨霊、の文字の下に卯月があげた三人の名前を書く。

「すでに知ってると思うから、説明は簡潔にするね。まずは、菅原道真公からだ」

 菅原道真。平安前期の人物で、宇多天皇に仕えた忠臣。だが、藤原時平の讒言によって太宰府へ左遷され、二年後に没した。

「ただの左遷と思うなかれ。移動はすべて実費。給料と従者もなく、政務に関わることも禁じられる。衣食住すら儘ならない生活を強いられ、左遷後わずか二年で他界した。で、次に平将門公」

 平将門。平安中期の豪族で、関東八カ国の国司を追放し、自らを「新皇」と名乗り、新たな国家の樹立を宣言。しかしこのことが朝廷への反逆と見なされ、平将門は討伐隊によって打ち取られることになる。

「これだけ聞くと、まるで反逆者のようだけど。当時の関東八カ国は国司による圧制でひぃひぃしてた。国司の追放は、民らにとって望ましいことだったため、平将門を英雄視したという記録もある。志半ばで討伐された平将門は、さぞ無念だっただろう。しかも近親者や弟子まですべて皆殺しにされ、平将門の首は都で晒されたんだ。最後に、崇徳天皇だね」

 崇徳天皇。平安後期の人物で、三歳にして天皇の位についた人物。実権はほとんどないまま、十代で譲位させられ、上皇となる。鳥羽上皇の死後、後白河天皇に戦いを挑むが敗れて、出家するものの、讃岐へ流罪となる。のちに、写本を京都の寺に納めてほしいと朝廷におくるが、送り返されてしまう。

「写本を送り返されたことにより、崇徳天皇が憤死したというのは有名な話だね。呪詛の言葉を吐きながら死んだ形相はすさまじく、鬼のようであったとも言われている。――と、三人を簡単に紹介したところで問題。怨霊とは、何をもって定義していると思う?」

「凄惨な、あるいは哀れな最期を迎えた人物、でしょうか」

「惜しい。ざっくりとしたものだけど、定義としては『死して尚、恨みを抱いて人に祟りを及ぼすもの』を怨霊と呼ぶ。恨みの種類はなんでもいいし、そこに正当性は必ず必要ではない」

 正当性、と繰り返す卯月に時雨が頷く。

「例えば、私が大切にしていたチョコレートを、明智くんが捨ててしまったとしよう。そのことがショックで、死後も明智くんを恨んで祟れば、私は怨霊になったということだ。だが現実問題として、怨霊にはなれない。せいぜいが地縛霊かな」

 突拍子もない例えに唖然としながら、卯月は首をかしげる。

「祟りを齎さないってことは、怨霊でないってことですね。でも、怨霊になる素質というか資格はある、ということですか」

「そう。誰でも怨霊になる可能性がある。にも拘わらず、どうしてさっきの三人は日本三大怨霊と呼ばれるほど有名な怨霊になったのか。共通項の一つとして、さっき卯月ちゃんがあげた点がある。三人は、凄惨かつ哀れな死を迎えたんだ。もっとも、怨霊信仰には加害者側の自責の念やその後の対応も欠かせないんだけど、それは割愛するね」

 時雨は指を一本たてて、それから二本目をたてた。

「二つ目は血筋や身分だ。やんごとなき血が流れていたり立場ある者のほうが、怨霊としての力が強い。先の三人は言わずもがな、日本最古の怨霊と言われる長屋王もそうだ」

「確かに、農民や平民の怨霊というのは聞きません」

「まぁ、あくまで強いというだけで、存在しないわけじゃないよ。……で、話が最初に戻るんだけど。この『力が強い怨霊』に定義されている者たちを管理するのが、私たち部隊の役割なんだ」

「日本三大怨霊も、ですか」

「そう。あのお三方は丁重に祀られているから問題ないんだけどね」

 時雨はタブレットを操作し、卯月の前に掲げた。

 そこには、点々と赤いマークのついた日本地図が映されている。

「このマークがある箇所が、現在部隊が把握している怨霊なんだ。で、ここをアップしていくと」

 京都府の南部を拡大していくと、K市に紫色のマークがついていた。

「紫……?」

「部隊の超すごい霊能力者がね、K市に怨霊の気配を捉えたんだ。つまり、未確認の怨霊を発見したってわけさ」

 まるで、新種の昆虫を見つけたような言い方である。

「それって珍しいことなんですか?」

「いんや、割とあるよ」

 時雨はホワイトボードに向き直り、くるりとボード部分を回す。部隊から伸びた矢印の先に『怨霊調査』と書いた。さらに、K市と付け足す。

「霊能力者らの見解では、今回確認された怨霊は『微弱な力しか持たない』とされている。本来なら、うちの管轄外だ。うちはあくまで『力の強い怨霊』担当だから」

「それなのに、所長が派遣されてきたんですか」

「最初はうちから誰かを派遣するんだ。綿密な調査が必要になるからね」

 時雨は、ホワイトボードに力の弱い怨霊と書く。

「部隊本部にとって、霊能力者の言葉は何より信憑性のあるものだ。だから私も最初は、本部の命令通り調査してきた。……状況からして、おそらく最近無念のうちに死んだ誰かが怨霊となった、と仮定してね」

 卯月はゾッとした。最近、無念のうちに死んだ者。友人の笑顔が脳裏を過ぎる。

「でも、私はそうは思わないんだ。というか、調査過程で思えなくなった」

 時雨はさらに、『連続少女失踪事件』と付け加えた。

「さっき卯月ちゃん、どうして組織はこの事件を怨霊の仕業だと思ったのか、って聞いたね。組織は、この事件は怨霊と無関係だと考えてる」

「でも、あの消え方は人間業とは思えません」

 昨日、失踪を目の当たりにしたからこそ、卯月は断言できた。

「そう。でも組織側の言い分は違うんだ。失踪事件の犯人は人で、怨霊は無関係だって」

「どうしてですか?」

「微弱な力しかない怨霊には、無理な話だからさ」

 時雨は、ホワイトボードに向き直ると『力の弱い怨霊』から『連続少女失踪事件』まで矢印をつけ、その矢印の上に×印を書いた。

 連続少女失踪事件が怨霊の仕業だとすれば、霊能力者らの見解と辻褄が合わないのだ。

 卯月はあることに気づく。

「それって、もし連続少女失踪事件が怨霊の仕業だとしたら。その怨霊は、とても強大な力を持ってる……?」

「まさにその通り。状況からして、失踪した少女たちは忽然と姿を消している。そのためには、空間を捻じ曲げることになるんだけど、それほど力の強い怨霊は早々いない。残された体の断面が鋭利なのは、空間ごと切り取られたからだと思う」

 時雨は手を軽く伸ばすと、とん、と手首を手刀で叩いてみせた。

「でも本部は取り合ってくれないんだ。信じられないよね」

 時雨はペンを放り投げると、ぐったりとした様子でデスクについた。

「まぁ、私は組織からの命令通り、おとなしく最近生まれた可能性のある怨霊について調査を進めるよ」

「でも、所長の考えは違うんですよね」

「うん。この怨霊は強大な力を持っている。すなわち、古くから存在している怨霊だ。近世で生まれた悪霊の類ではありえない。……だから、卯月ちゃんたちに代わりに調べてほしいんだ」

 時雨が指を拳銃のように卯月に向け、「ばぁん」と撃つ真似をしてみせる。

「私の考えは、霊能力を持たない者の所詮は推測。されど、少女らの失踪が人の仕業じゃないって確信がある」

「断言できるんですね」

「人の仕業だともっと痕跡が残るからね」

 時雨は何のこともないように言うと、机に肘をつく。猫のように細めた彼女の目は、どこか遠くを見ており、卯月のほうを向いているのにこちらを見ていない。

 実際に人を攫ったことがあるような言い方だ。

 時雨は一体何者なのだろう。ふとそんな考えが過ったが、すぐに打ち消す。彼女は卯月にとってバイト先の上司であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 奥のドアがひらいて、貴一があくびを噛み殺しながら出てきた。

「なんだ、講義中か」

「終わったところさ。さて、早速二人には今日の調査内容を伝えよう。というか、一か月間分決めておいたから、これに沿ってよろしく」

 時雨が引き出しから黒いファイルを取り出し、貴一に押し付ける。開いた途端に顔をしかめた貴一は、溜息をついてファイルを卯月に投げて寄越した。

「けっこう、ハードですね」

 スケジュール表は、ギチギチだった。K町、Y町、M町とそれぞれ地名で分かれており、さらに細かい調査地点が記載されている。対象は、木々や草花といった自然に関するものと、ここ一年間の変化だ。怨霊信仰の名残がある場所の確認も含まれていた。

「この『なんとなく感』っていうのはなんですか」

 調査項目の一つを指で示す。わざわざ項目の一つとして入れるくらいだから、大切なものなのだろうけれど。答えたのは、貴一だった。

「そこは僕が担当する。一応、霊能力があるからな。何かありそうな場所は重点的に確認する手筈なんだ。それよりも時雨、昨日話した件はどうした」

「勿論、調査して貰うよ。きみがK市に来て初めて『なんとなく感じる』と言ったんだから」

 なんの話だろう、と二人を見る。

「昨日、卯月ちゃんを送ったとき、明智くんが『何かいる』って言い出してね」

「奥背山に、ですか」

「そう。だから、あえてこのリストに奥背山は入れてないんだ。さっきは組織の霊能力者に不満があるみたいに言ったけど、彼らの力は侮れない。明智くんもそうだ。『感じる』程度でもね」

 自宅がある地域に怨霊がいるかもしれない。

 どこか他人事のようだった怨霊の話が、ふいに現実味を帯びて卯月にのし掛かった。

 ふと、耳の後ろ辺りに生暖かい風を感じた気がして、後ろを振り返る。そこにはホワイトボードがあるだけだ。気のせいだろう。……本当に?

 例えば、毎夜ざわざわと葉擦れを奏でる、自宅裏の竹藪。風もないのにピシリと音を鳴らす天井。あれらは本当に、自然の音だったのか。

 卯月は薄ら寒いものを感じて、咄嗟に自分の体を抱きしめた。

「まぁ、今のところ何一つ確定していることはないから。奥背山が怪しいなぁっていうのは、目星をつけた程度に過ぎない。それでも、怨霊がいるかもしれないエリア第一候補だからね。奥背山に、一番時間を割きたいと考えてる」

「でも、予定だと奥背山を調べるのは一か月先になってます。急ぎなら、明日からでも着手してもいいんじゃないですか」

 思ったままを述べると、時雨は首を横に振る。

「私が先行して情報収集するよ。二人は、今後奥背山の調査に集中できるよう、他を潰しておいてほしい」

 そういうことか、と卯月が頷いた。

 時雨が満足そうに頷いたところに、貴一のため息が割り込んでくる。

「それにしてもこのスケジュールはハードじゃないか。せめて地域ごとに二日は欲しい」

「ええぇ」

「慌てて見過ごしたらどうするんだ」

「困る」

「感想を聞いてるんじゃない」

「大丈夫、できるように段取り組んでるから」

「お前の『できるように』は馬車馬の如く働いて、ギリギリ間に合うという意味だろう」

「そう、つまり頑張ればできるんだ。私は、できない仕事はふらないよ」

 ふと、時雨が笑みを収めて真剣な顔をする。

「悠長なことを言ってられないんだ。私としては、まさか昨日、新たな失踪者が出るとは思わなかった。明らかに、事件が起こるスパンが短くなってる」

 卯月は息を呑む。それは貴一も同様だった。

「私もハードスケジュールなんだよ。組織の命令に従いつつ、先に奥背山の情報収集を行うんだから。連続少女失踪事件に関する情報も欲しいから、そっちも手を回しておくよ」

 一体どうやって。浮かんだ疑問は、時雨が胸の前で両手を打ったことで、思考の奥へ押しやられた。

「お互い、一か月間全力で取り組もう」

「わかった。人命がかかっているのなら、仕方がない」

 貴一の言葉には、明日からを思っての疲労がすでに滲んでいた。

「労働に見合わない給料なのは承知してるよ。すべてが解決したら何か奢ろう。二人には期待してるんだ」

 話は終わりだというように時雨がキーボードを叩いた。


 *

 

 卯月と貴一は簡単な打ち合わせをして、駐車場へ歩き出す。昨日と同様に貴一が運転席に乗り込み、卯月は助手席に座った。

「奥背山に、怨霊がいるんですか」

「僕は『何かいる』と感じるだけで、怨霊かどうかはわからない」

 ワゴン車が動き出し、卯月は視線を下げる。怨霊とは、死して尚、恨みを抱いて人に祟りを及ぼすもの。組織はあくまで、最近怨霊になった者がいると考えている。

 卯月の頭に、無邪気な笑顔をした杏花の姿が浮かぶ。すぐにその物騒な思考を振り払った。そんなはずがない。杏花が怨霊になって、少女たちを攫っているなんて。

 ぼうっと窓の外を眺めていると、窓が開いた。

 暖かな風が入り込み、思考が溶けるように心地よい眠りに誘われる。うとうとするたびに慌てて顔をあげていると、貴一の大きな手のひらが頭をぽんぽんと撫でた。

「なんですか」

「寝ていろ。昨夜、眠れていないんだろう」

「ありがとうございます。先輩も眠れてないんじゃないんですか」

「きみよりは寝ている。想定より早くセーブ地点にも着いたからな。午後二時には寝た」

「……セーブって、保存ポイントのことですか?」

 まさかゲームの話だろうか、と探るような目を向ける。貴一は軽く笑うばかりで、真意が読み取れなかった。

 もしかしたら、卯月を気遣って軽口を叩いたのかもしれない。

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