プロローグ
※※ご注意※※
本作はフィクションです。
登場する人物・団体・事件等はすべて架空であり、実在のものとは関係ありません。
また、作中の思想・行為は作者の思想や価値観を示すものではありません。
人の生命力とは、かくも強いものか。
四肢をもがれてなお、彼は生きているのだから。
古坂部悠二は珍しく感心した。
止血はしたが、とうに死んでいてもなんら不思議ではない。だが、生島誠人の目は怒りに燃え、こちらを睨んでいる。
これまで手にかけた者たちは脆かった。手首を落としただけで死んだ者もいる。
やはり、刑事というのはしぶとい。
それとも単純に、この男は格別に丈夫なのだろうか。
古坂部の口元は愉快げに歪む。
「私が憎いか」
鎖に繋がれた誠人に問いかけながら、数歩手前で足を止める。この男は、まだ油断ならない。
「さぞ憎かろう。お前をこんな姿にしたのだから」
罵れ。醜く、愚かに。この映像を見れば、ミヨも目を覚ますだろう。
「……憎い」
ぽつりとつぶやかれた声に、古坂部は口元を歪めた。
しゃべる力も残っていないと思っていたが、誠人の声は明瞭で、絶対的な意思がそこには宿っていた。
「私を殺したいだろう?」
答えはわかっている。これだけの仕打ちを受けて、恨まない人間などいるはずがない。どれほど高潔で崇高な信念を持っていようと、憎悪の前では理性など脆く崩壊する。
しかし、誠人の返事は古坂部の望むものではなかった。
「お前の罪はいずれ暴かれ、法が裁く」
興醒めだ。
壁に掛けてあった斧を手に取った。小型のものだが、充分な殺傷力があることは確認済みだ。
「つまらないな。最後に言い残すことはあるか」
「ミヨを解放してやれ」
ハッ、と古坂部は鼻で笑う。
「馬鹿なことを。ミヨは私の傍でなければ、生きていけないというのに」
彼女をもっとも理解しているのは古坂部だ。古坂部のことを誰より理解しているのが、ミヨであるように。
「彼女が、かわいそうだ」
古坂部の顔から笑みが消えた。
かわいそう。誰が。……ミヨが?
「お前の姪は、最後には泣き叫んで命乞いをしていたぞ」
誠人の表情が歪む。
ははっ、と声をあげて笑った。なんと滑稽なことか。これを見れば、ミヨも自らの過ちに気づき、たかが刑事ふぜいに唆されたことを恥じるだろう。
ミヨは、古坂部が自ら選んだパートナーだ。児童養護施設で燻っていた才能を見いだし、古坂部が長年をかけて会得した技術を教え込んだ。
彼女は選ばれたのだ。
彼女の存在意義は、古坂部の傍でこそ意味がある。初めて人間を解体したときの手捌きといったら、古坂部が震えるほどの美しさだった。躊躇いもなく、教えたまま背骨にそって切り出し、内臓の摘出も見事に終えたのだから。
彼女の人殺しの才能は、古坂部のためにあるべきで、それが彼女の幸福でもあった。
――生島咲良が現れるまでは。
あの小娘にそそのかされ、挙げ句その叔父までもが「救う」などと戯言を口にする。ミヨの幸せは古坂部と共にあることだというのに、なんと迷惑な血筋だろう。
ふいに、誠人の視線が古坂部の背後へ移った。振り返ると、ドアの隙間に裸足の少女が立っていた。
ナイトドレスを纏った十二歳のミヨが、凍りついたようにこちらを見つめている。驚愕に目を見張り、恐怖を顔にありありと浮かべていた。
彼女の顔は蒼白で、震える唇がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「け、刑事さん」
「逃げろ、ミヨ。ここにいてはいけない!」
古坂部は笑みを消した。
斧を軽く手の中で弄びながら誠人の背後へ回り、高々と振り上げた。
ミヨが制止しようとするのを視界の端で捉えたまま、うなじにむけて斧を振り下ろす。確かな感触があった。だが足りない。
誠人の体は大きく痙攣し、それはまるで、尚も生きようともがいているようだ。
もう一度、淡々と斧を振り下ろす。今度は手ごたえがあった。ごろんと床を転がった頭部は、図らずもミヨの足元で止まった。
光を失っていく瞳が、彼女を見つめる。ミヨは顔をさらに歪め、言葉にならない何かを呟いた。やがて、おそるおそる両手を誠人の首に伸ばそうとした――そのとき。
「ああああああっ」
ミヨは絶叫し、がくりと床に膝をつく。青い顔に汗を浮かばせている。それでも尚、伸ばした手は誠人に触れようとしていた。
古坂部が眉をひそめた。
――始まったか。
予定より早いが、問題はない。
古坂部は斧を捨て、愛おしいミヨに微笑んだ。




