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宵闇の残響 ―Last Message from the Ashes―

作者: 初 未来
掲載日:2025/12/22

 ひび割れたコンクリートの隙間から、凍てつくような風が入り込み、笛のような音を立てている。 かつては地下鉄の心臓部だった変電所跡。その湿った暗がりに、汎用人形兵器「宵闇よいやみ」はうずくまっていた。


「……っ、ふ……っ」


 コックピットの中で、ローリー・キサラギは、かじかんだ指先に自身の吐息を吹きかけた。 狭い空間には、古いオイルの焦げた臭いと、鉄の錆びた匂いが充満している。 彼女は震える手でメインスイッチを入れた。


 ギ、ギギッ……。


 背後で、老いた獣が喉を鳴らすような駆動音が響く。 正面のモニターが瞬き、横走りのノイズを撒き散らしながら、濁った緑色の光を投げかけた。 画面の隅には、真っ赤な文字で『警告:左脚部アクチュエータ出力35%低下』の文字が点滅している。


「大丈夫。まだ、立てる。……よね?」


 ローリーは、計器盤の横に貼られた、一枚のボロボロの写真を指でなぞった。 そこには、自分を逃がすために笑って散っていった第13小隊の仲間たちが写っている。 写真の端は、彼女が何度も触れたせいで色が剥げ、隊長の顔はもう半分も見えない。


 その時、彼女の瞳から、こらえきれなかった雫がひとつ、膝の上にこぼれ落ちた。 それは、汚れた耐圧服に小さな黒い染みを作った。 彼女は泣くまいと唇を噛む。ここで泣いてしまえば、自分を繋ぎ止めている最後の「兵士としての糸」が切れてしまう気がしたからだ。


 地下から地上へと這い出した「宵闇」を待っていたのは、赤茶けた砂漠のような廃墟だった。 空は低く、重苦しい灰色の雲が、外宇宙からの侵略者の母船を隠すように垂れ込めている。


 ザッ、ザッ……。


「宵闇」が歩くたび、足首の関節から砂を噛んだような不快な音が伝わってくる。 右手に握られたライフルは、もはや銃というよりは、ただの鉄の杖だ。銃身は熱で僅かに歪み、電子照準器は昨夜の戦闘で完全に沈黙した。


「……熱源感知、なし。音響センサー、正常」


 ローリーは、誰に聞かせるでもない報告を口にする。 そうでもしなければ、この静寂に押し潰されそうだった。 かつて、この街には数万の人々が暮らし、夜には星よりも多くの灯りが灯っていたという。 今はただ、風に煽られた鉄板が、どこか遠くで『カン、カン』と、弔いの鐘のように鳴り響いているだけだ。


 突如、音響センサーが、高周波のうなりを捉えた。 空を裂くような、有機的でいて機械的な、あの忌まわしい羽音。


「来た……」


 ローリーの背筋に冷たい戦慄が走る。 彼女は「宵闇」を、崩れかけたビルの影に滑り込ませた。 最新鋭の敵機に、正面から勝てるはずがない。彼女ができるのは、息を殺し、相手が隙を見せるまで泥にまみれて待つことだけだ。


 彼女は、左腰のホルスターから、一本のナイフを抜き放った。 「宵闇」の巨大なマニピュレーターに握られたそれは、刃こぼれが目立ち、超振動の輝きもどこか弱々しい。


「お願い、皆。私に、あと一度だけ、力を……」


 モニター越しに見る空には、白く、美しい、残酷な敵の影が、優雅に舞い降りてくる。 ローリーは操縦桿を強く握りしめた。 指先は白くなり、掌にはじっとりと汗が滲む。


 勝算はない。弾丸もない。 あるのは、ボロボロの鉄の塊と、一人の少女の、消え入りそうな命の灯火だけ。


 それでも、ローリーは目を逸らさない。 彼女の瞳の中で、絶望を焼き切るような鋭い光が、一瞬だけ宿った。


 白い影が、重力など存在しないかのように音もなく着陸した。 敵機——それは、人類がかつて空想した「機械」の概念を嘲笑うような、滑らかな流線型のシルエットを持っていた。真珠色の装甲が、薄暗い曇り空のわずかな光を吸い込んで鈍く発光する。


「宵闇」のコックピットの中で、ローリーは心臓の鼓動が耳の奥で爆音のように鳴るのを感じていた。 ドクン、ドクンと、機体のアイドリング振動と重なり合う。


「……気づかないで。お願い」


 彼女は操縦桿に添えた指を、文字通りミリ単位で動かし、出力を最低限の「隠密循環」に切り替えた。 モニターに映る敵機が、昆虫のような動きで首を巡らせる。光学センサーが放つ青い走査線が、ローリーが隠れるビルの壁を撫でていった。


 操縦桿を握る指先が、自分の意思に反して細かく痙攣している。それを止めるために力を込めれば込めるほど、膝の震えはひどくなった。 視界の端で赤く点滅する警告灯が、まるでカウントダウンを刻む死神の瞬きに見える。


 ――チリ、チリ……


 崩れたコンクリートの破片が、敵の風圧で舞い上がり、宵闇の装甲に当たって乾いた音を立てる。そのささやかな音さえ、今の彼女には爆音のように思えた。


 だが、運命は非情だった。 古い「宵闇」の排熱ダクトから、制御しきれなかった熱い吐息が、一筋の陽炎となって漏れ出してしまう。 敵機のセンサーが、獲物を捉えた獣のように鋭く反応した。


「っ、来る!」


 ローリーは反射的に操縦桿を叩きつけた。


 ―― ガクン!


 衝撃と共に、宵闇の古いアクチュエータが悲鳴を上げる。 直後、彼女がいた場所を、無音の光条が貫いた。爆発音さえ置き去りにする高エネルギーの熱線が、ビルの残骸を一瞬で灼熱のガラスへと変えた。


「あ、あああああああ!」


 ローリーは叫びながら、ボロボロのライフルを向けた。 照準など、とうに死んでいる。彼女はただ、肉眼で敵の影を追い、引き金を絞った。


 ――ガガガガッ!


 20mm機関砲の重い反動が、宵闇の右腕を激しく揺さぶる。 弾丸は敵機の白い装甲に命中し、火花を散らしたが、致命傷には程遠い。数発の命中を確認した直後、ライフルの給弾ベルトが噛み込み、不快な金属音を立てて沈黙した。


「嘘……止まらないで、動いてよ!」


 無慈悲にも敵機が肉薄する。 敵の鎌のような触腕が、宵闇の胸部装甲を紙のように切り裂いた。 火花が狭いコックピット内に飛び散り、ローリーの頬を焼く。


「熱い……! まだ、まだ……!」


 彼女はライフルを投げ捨てた。 捨て去る瞬間の、右腕が軽くなる感触。それは、最後の手だてを失った絶望の感触でもあった。 だが、その軽さを利用して、彼女は逆の手で「ナイフ」の起動スイッチを押し込んだ。


 ――ブ、ブゥゥゥン……


 不安定な振動が、マニピュレーターを通じてローリーの手元まで伝わってくる。 「宵闇」は、敵の懐へと飛び込んだ。 かつて仲間が命を賭して見せてくれた、教科書にはない、泥臭い「肉薄戦」の距離。


「皆が繋いでくれた体……壊させない!」


 ローリーは泣き叫ぶような声を上げながら、宵闇の全重量をナイフに預け、敵の関節部へと突き立てた。 超振動波が敵の装甲を削る、耳を劈くような高音が響き渡る。


 ――ギギギギギ!


 金属が削れる叫び声。


 敵の反撃が、宵闇の頭部センサーを直撃した。 メインモニターの半分が暗転し、残りの半分も砂嵐が混じる。 ローリーの視界は、飛び散った自分の額からの血で赤く染まった。


「あ……が、は……っ」


 肺から空気が押し出される。 それでも彼女の左手は、操縦桿を離さない。 力を振り絞り、ナイフをさらに深く、深くえぐり込ませる。


 ついに、敵機のコアらしき部分に刃が達した。 白い装甲の隙間から、青白い液体が噴き出し、宵闇の腕を濡らす。 次の瞬間、小さな爆発が起こり、両者は互いに弾き飛ばされた。


 静寂が、戦場に戻ってくる。 「宵闇」は、仰向けに倒れ、もはやピクリとも動かない。 コックピットの中で、ローリーは荒い息を吐きながら、曇り始めた強化ガラスを見上げた。


「……はあ……はあ……勝ったの?」


 返事はない。 ただ、どこかで電気系統がショートする「パチッ、パチッ」という小さな音だけが聞こえる。 彼女は、震える手で血を拭った。指先についた紅い色が、あまりにも鮮やかで、自分がまだ生きていることを突きつけてくる。


「っ……う、ああ……」


 勝利の悦びなどなかった。 ただ、また独り残されてしまったという恐怖と、ボロボロになった「宵闇」への申し訳なさが、波のように押し寄せてくる。 彼女は膝を抱え、狭いシートの中で声を上げて泣いた。 それは、荒廃した大地に響く、あまりにも小さく、あまりにも人間らしい慟哭だった。


 戦場に、雨が降り始めた。 外宇宙から持ち込まれた有害な物質を含んでいるのか、その雨はわずかに白濁し、焼け焦げた鉄の匂いを地面へと押し込めていく。


 ――ポツ、ポツポツ……


 大破し、沈黙した「宵闇」の装甲を、雨粒が叩く。 コックピットの中で、ローリーはどれくらいまどろんでいたのか。額の傷で固まりかけた血が、雨の湿気で再びふやけ、頬を伝った。


「……ぁ……」


 重い瞼を持ち上げる。 ひび割れた強化ガラスの向こう、雨に煙る廃墟の景色が滲んで見えた。 彼女は震える手で、ハッチの手動開放レバーを引いた。


 ――プシュゥゥ……ッ


 死に体の機体が、最後の息を吐き出すようにハッチを押し上げる。 入り込んできた冷たい空気に、ローリーは身震いした。 彼女は力の入らない体を引きずるようにして、コックピットの外へと這い出す。


「宵闇」の肩に座り、彼女は自分の機体を見下ろした。 白い敵機の返り血の青白い液体と、宵闇自身の黒いオイル、そして降り注ぐ白い雨。それらが混ざり合い、汎用機の無骨な装甲を汚らしく染め上げている。


「ひどい顔……。ごめんね、私のせいで」


 彼女はポケットから、オイルで汚れたウェスを取り出し、センサーユニットの周りを丁寧に拭き始めた。 拭いても、拭いても、傷跡は消えない。 それどころか、装甲の隙間から覗く配線はズタズタで、今こうして自分が座っていられること自体が奇跡のように思えた。


 作業の手が、ふと止まる。 腰のポーチから取り出したのは、先ほどの戦闘で守り通した、一通の封筒だった。 かつての仲間、ムラセ曹長が死の間際に彼女に託したもの。 雨に濡れないよう、自分の胸元に押し込んでいたせいで、封筒は彼女の体温で温かかった。


「……曹長。私、まだこれを持ってます」


 彼女は封筒の角をそっとなぞる。 これを届けるべき相手は、もうこの星のどこにもいないかもしれない。 それでも、この紙切れ一枚が、ローリーを現世に繋ぎ止める唯一の頼みだった。


 ふいに、意識が遠のくような感覚の中で、仲間の声が蘇る。


『ローリー、泣くな。お前は、俺たちのなかで一番、宵闇をうまく扱える』 『機械は正直だ。大事にしてやりゃ、土壇場で応えてくれる。……だから、行け』


「嘘つき……。うまくなんて、扱えてないよ……」


 押し殺していた感情が、再び溢れ出す。 雨の音に紛れて、彼女の声が震える。 彼女は「宵闇」の、冷たくて硬い首筋のあたりに顔を埋めた。


「怖いよ……。一人で、明日の朝を迎えるのが、怖い……。誰でもいいから……助けてよ……」


 鉄の匂い。雨の匂い。 少女の細い肩が、激しく揺れる。 彼女が流す涙は、雨に洗われることもなく、宵闇の錆びた装甲の窪みに溜まっていく。 それは、世界で最も無価値で、そして最も尊い、命の滴だった。


 どれほどそうしていたか。 不意に、雨の音を切り裂くように、「宵闇」の機体内に残った警報装置が、力なく鳴り響いた。


 ピ、ピ、ピ……。


 微弱な、しかし確実な熱源接近。 それも、一つや二つではない。 先ほどの戦闘の衝撃波、あるいは青い体液の臭いが、獲物を飢えさせた群れを呼び寄せてしまったのだ。


 ローリーは顔を上げ、濡れた髪を払い、空を見上げた。 雨雲の向こう側、幾百もの光の点が、星のように輝きながら降下してくるのが見えた。


「……そう。休ませては、くれないんだね」


 彼女は、不思議なほど静かな心で、再びコックピットの中へと身を沈めた。 もう涙は出てこなかった。 代わりに、冷徹なまでの決意が、彼女の小さな体に満ちていく。


「いこう、宵闇。……最後の一歩まで」


 彼女は、ボロボロのライフルを拾い上げることはしなかった。 ただ、右手のナイフを強く握り直す。 勝ち目なんて、最初からなかった。 けれど、彼女は今、仲間たちが自分に託した「自由」の意味を、本当の意味で理解し始めていた。


 降り注ぐ光の粒は、雨を蒸発させ、廃墟の街を白く焼き尽くそうとしていた。 「宵闇」は立ち上がる。右膝のアクチュエータが火花を散らし、過負荷による異音がコックピットを震わせる。


「……っ、こい……っ!」


 ローリーは残った全エネルギーを四肢に回した。 敵の群れは、まるで無機質な雪崩のように押し寄せてくる。 彼女は「宵闇」を走らせた。一歩ごとに装甲が剥がれ落ち、内部のフレームが剥き出しになる。最新鋭の敵機が放つ熱線が、宵闇の左肩を掠め、金属を飴細工のように溶かした。


 敵の光条が宵闇の装甲を焼くたび、ローリーは自分の皮膚が剥がされるような錯覚に陥った。


「ごめんなさい、みんな……私、こんなに……っ!」


 彼女の脳裏をよぎるのは、気高い戦士としての覚悟ではない。自分を逃がすために盾となった仲間の、砕け散る機体と、最期の通信。


『ローリー、生きろ』


 その言葉が、今は呪いのように重い。自分だけが生きていることの罪悪感。けれど、それ以上に「ここで終わらせたくない」という剥き出しの生存本能が、彼女の細い指を操縦桿に食い込ませる。


「死にたくない……っ! まだ、何もしてない! 美しいものなんて、何一つ見てないのに……! こんなところで、ゴミみたいに壊されるなんて嫌だ!!」


 それは叫びというより、獣の咆哮に近かった。プライドも、兵士としての規律も、すべて恐怖という炎で焼き尽くされ、後に残ったのは「ただ生きていたい」という純粋で、醜く、そして何よりも力強い渇望だけだった。


 でも無理だ。分かっていた。 数、性能、状況。あらゆる計算が「全滅」を導き出している。 敵の一撃が、宵闇の胸部を直撃した。


 衝撃でローリーの視界が白く弾ける。


「あ……ああ……」


 シートに叩きつけられた衝撃で、肺の空気がすべて引きずり出された。 モニターは完全に沈黙し、コックピット内は真っ暗な闇に包まれる。 外からは、敵が「宵闇」の装甲を食い破ろうとする、不快な金属の摩擦音が響いていた。


 暗闇の中で、ローリーは意識を失いかける。


「……もう、いいかな」


 痛みも、寒さも、孤独も、全部終わらせてしまえる。 そう思った瞬間、閉じた瞼の裏に、あの写真の笑顔が浮かんだ。


『お前だけでも逃げろ』 『お前は未来だ』


 みんな、自分を逃がすために死んだのではない。 自分を、この「先」にある、いつか訪れるはずの明日へと繋ぐために、命を置いていったのだ。


「……しに、たくない」


 唇から、掠れた声が漏れた。 それは、兵士としての言葉ではなく、一人の少女としての、魂の底からの叫びだった。


「死にたくない……! 生きて、これを……この手紙を、届けなきゃいけないんだ……!」


 カチリ、と彼女の中で何かが噛み合った。 彼女は血の滴る手で、手動予備電源のレバーを、折れんばかりの力で引き下げた。


 彼女は叫び、血の滲んだ爪が剥がれそうになるほど操縦桿を握りしめた。 痛みなど、もうどうでもよかった。生きたい。その一念が、恐怖で凍りついた彼女の体を無理やり動かしていた。


「動けぇぇぇ!! 宵闇!!」


 沈黙していた鉄の塊が、応えた。 死に体の「宵闇」が、その身を震わせ、組み付いていた敵機を力任せに引き剥がす。 メインモニターは復活しない。だが、センサーの警告音と、自身の皮膚に伝わる振動だけで、ローリーは敵の位置を感じ取った。


 彼女はナイフを逆手に握り直し、モニターの代わりにハッチの一部を物理的にこじ開けた。 吹き込んでくる雨と風。生身の視界で、彼女は「生」への道を射抜く。


「そこを……退けええええ!!」


 勝ち目がないから戦うのではない。生きるために、敵を退ける。 宵闇は、もはや歩いてはいなかった。這い、縋り、削りながら、敵の包囲網の一角へ、そのボロボロの体を弾丸のように投げ出した。


 激突。爆発。 装甲が砕け散る音。 ローリーの視界は涙でぐちゃぐちゃだった。 仲間の顔を、名前を、一つずつ叫びながら、彼女は操縦桿を限界まで押し込む。


 どれほどの時間が経っただろうか。 背後で大きな爆発音が響き、衝撃波が「宵闇」の背中を押し出した。 気がつけば、あれほど耳をつんざいた敵の羽音は遠ざかり、周囲には重苦しい静寂と、雨の音だけが戻っていた。


「宵闇」は、地下高速道路のトンネルの入り口で、力尽きたように膝をついていた。 右腕は失われ、頭部ユニットも半分が消し飛んでいる。 それでも、その心臓部だけは、小さく、頼りなく、鼓動を続けていた。


 ローリーは、震える手でハッチを押し広げた。 雨は、いつの間にか止んでいた。 雲の切れ間から、白々とした、けれど確かな朝の光が、荒れ果てた大地に差し込み始めている。


「……生きてる」


 彼女は、自分の胸元にある手紙を確かめた。 オイルと血に汚れているが、まだそこにある。


 雨に濡れた「宵闇」の肩に座り、ローリーは自分の掌を見つめた。 煤と、血と、オイル。汚れきったその手は、冷たい雨に打たれて激しく震えている。


 彼女はそっと、自分の喉元に手を当てた。 ドクン、ドクン。 狂ったように脈打つ鼓動が、掌を通じて脳を揺らす。


「あ……あぁ……っ」


 声にならない嗚咽が漏れた。 怖い。明日もまた敵が来るかもしれない。この雨に打たれて炭化し、誰にも看取られず死ぬかもしれない。


 それでも――


 ローリーは、破れかけた手紙を胸に強く押し当てた。


「生きてる……。まだ、私の心臓、止まってない……。みんな、私……まだ、生きてるよ……っ!」


 流れ落ちる涙は、恐怖の余韻か、それとも生き延びたことへの歓喜か。彼女は泥にまみれた顔を上げ、震える足で立ち上がった。


 彼女は機体から降り、ふらつく足取りで一歩、また一歩と、誰もいない道路を歩き出した。


 背後で、「宵闇」が最後に出力を使い果たし、静かに目を閉じる音がした。 ローリーは振り返らず、ただ前だけを見つめる。 頬を伝う涙は、もう恐怖や悲しみの色ではなかった。


「おはよう、宵闇。……行こう。明日まで」


 滅びゆく世界の片隅で。 ボロボロの少女は、泥にまみれた靴で、まだ見ぬ明日へと踏み出していく。 その背中を、昇り始めた太陽が、静かに照らし出していた。

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