第9話 地面の優しさ
――結論から言おう。
地面は、思ったより優しい。
朝。
風の名残号の周囲には、モンスターたちが集まっていた。
スライムが緊張でぷるぷる震え、
コウモリたちは木陰で羽をすぼめ、
火の玉はぼんやりと熱を漏らしていた。
リッチはいつも通りの調子で立っている。
司祭服の裾は焦げ、袖はちぎれ、
それでも姿勢だけは凛としていた。
「では――観測開始だ。」
静かな声が響く。
「ほんとに乗るんですか、リッチ様!?」
「当然だ。観測者が現象の中にいなければ、真のデータは得られん。」
「観測者ってそういう意味じゃないですよ!?」
風が吹く。
スライム膜が鳴り、屍操の骨格が軋む。
火の玉たちが下で燃え、上昇気流を作る。
リッチはコックピット(らしき木枠)に腰を下ろした。
司祭服の焦げ跡が、太陽に照らされて金色に光る。
「風速良好。熱上昇確認。
――今日こそ、空を掴む。」
助走。
コウモリたちが「風向き南西!」「上昇流あり!」と叫ぶ。
火の玉が燃え上がる。
屍操の骸たちが一斉に翼骨を押し出す。
轟音。
膜が膨らみ、機体が跳ねる。
砂が舞い、風が唸る。
リッチの骨が震えた。
「……押されている。
世界が、私を拒んでいる!」
「それ飛ぶ前にヤバいサインでは!?」
「違う! 拒みは揚力だ!」
瞬間――
風の名残号が地面を離れた。
数メートル。
わずか数秒。
だが確かに、地面が遠ざかっていく。
リッチは風を感じた。
骨の間を抜ける空気。
音のない空。
重力が、優しく引き戻そうとする手。
「……なるほど。
風は支えるのではなく、慰めてくれるのか。」
次の瞬間、
機体は派手に傾き、
火の玉が悲鳴を上げ、
スライム膜がはじけた。
「ぎゃあああ!!」
「データだ! 貴重なデータだ!!」
どしゃああああん。
土煙が上がり、リッチが転がる。
司祭服の裾が燃え、骨の一部が脱落した。
スライムが駆け寄る。
「リッチ様! 生きて……じゃなくて、無事ですか!?」
「問題ない。落ちたということは、上がっていた証拠だ。」
リッチは骨を組み立てながら答えた。声には喜びが滲みでていた。
火の玉がぽつりと呟いた。
「……ちょっとだけ、飛んでたな。」
「そうだ。世界が、少しだけ私を許した。」
「許しって言い方すんなよ……泣きそうになるだろ。」
コウモリがそっと羽ばたく。
「リッチ様、地面が……遠かったですか?」
「遠かった。
だが同時に、世界が近かった。」
スライムが小さく跳ねた。
「また飛びましょうね。」
「当然だ。探究は飽きない。」
リッチはゆっくりと立ち上がり、焦げた翼の欠片を拾い上げた。
骨の指で、それをそっと撫でる。
「落下とは、空が私を抱いた証だ。」
火の玉が即座に叫ぶ。
「いやいや!! 地面のビンタだろ!!」
スライムは、恐る恐る……しかしどこか嬉しそうに、
自分の身体をぷるりと揺らした。
「……でも、僕……ちょっと気持ちはわかるかもです。
落ちても、広がるだけで痛くないから……。
空に押されて包まれる感じ、あります。
……なんか、また飛びたくなってきます。」
火の玉が振り返る。
「お前まで観測者っぽいこと言うな!!」
それでもスライムは、どこか誇らしげに揺れていた。
リッチがわずかに頷いたことに、気づいていたからだ。
そして、リッチは地面に線を刻む。
落下の軌跡ではなく――
“もう一度空へ向かうための線”を。
――観測記録第99号:地面は優しい。
――補足:揚力、確かに存在。
――余談:被害軽微。倫理的死者ゼロ。観測的死者三。
風が吹いた。
火の玉の残光が揺れた。
夜明けの空に、リッチの笑い声が溶けていく。
「理は笑っている。
ならば、次はもっと高く笑おう。」




