1話 落下の法則
──ぼうっとしていた。
なんとなく、崖の縁に立って。
空を見ていたら、考えごとをしていたら、落ちた。
ぐるり、と視界が回る。
骨の体が、風を切って落ちていく。
下に広がる谷間が、やけに遠い。
……あ、落ちているな。
そんなことを思いながら、私はゆっくりと空を仰いだ。
青くもなく、灰色でもない、くすんだ空。
火の玉たちがふわふわと漂い、
幽霊たちが笑いながら風に流されていく。
彼ら、飛べるんだよな。
死んでいるのに、ずいぶん自由そうだ。
私はリッチ。
死んでいるし、不死身だし、豊富な知識まである。
でも──飛べない。
おかしくないか?
地面が迫ってくる。
ふと手を伸ばした。
風が、骨の隙間を抜けていく。
なんだか、くすぐったい。
……思ったより、気持ちいい。
──ドン。
地面に叩きつけられた。
骨が数本外れたが、まあいい。戻せば治る。
私はゆっくりと立ち上がり、風の吹く方を見上げた。
「……あの上には、何があるんだろうな。」
火の玉が通り過ぎ、幽霊がくすくす笑う。
彼らは、何を見ているんだ。
──飛びたい。
理由は分からない。
空の上に意味があるとも思わない。
けれど、ただ気になる。
風はどこから来るのだろう。
なぜ彼らは浮いていられるのだろう。
……なぜ、私はできないのだろう。
考えていたら、胸の奥が少し熱くなった。
久しく感じていなかった、“何かをしたい”という衝動。
「よし、見てみよう。」
私は骨の腕を組み直し、空を指差した。
急に落ちてきた私に、ゴブリンがぽかんと口を開けていた。
「何をでしょうか……?」
「観測だ。」
「な、何を観測するんです!?」
「風だ。あと、ついでに私の限界も。」
ゴブリンたちの悲鳴を背に、私は再び崖を登った。
風が頬の骨を撫でる。
音も匂いも、ずっと懐かしい気がした。
「さて……第1回観測を開始しよう。」
私は笑い、翼もないまま―再び、空へ身を投げた。
落ちながら、思う。
風とは、もしかしたら“落ちている誰かの息”なのかもしれない。
だったら、この世界は、案外やさしいのかもな。
──観測記録第1号:風はどこから来るのか。
──観測者:リッチ。 状態:落下中。
……この世界には、火も水も土も風も、“魔法”ではない。
それらはただそこにある“仕組み”だ。
私のような存在──リッチは、個として固有の術を持つ。
死んだ瞬間に刻まれた法。
骨を組み、霧を呼び、光を放つ。
それらは四元素の模倣ではなく、ただの観測だ。
人間たちはそれを“魔法”と呼ぶが、
彼ら自身は決して使えない。
道具を作ることはできても、理を動かすことはできない。
──風が吹くように、私は動く。それが私の法則だ。
それだけのことだ。




