第7話:少しだけ耳を傾けて_3
百パーセント、父であると信じたわけではない。ただ、目の前の男性が父だと信じたかった。だって、もう会えないはずの人間だから。会いたいと望んだ人間が、思いもよらない形ででも目の前にいるから。目の前の人間を父だと認めて、現状に甘んじることは、私にとってはこのうえなく魅力的な話だったのだ。
「……お母さんは、元気か?」
「見てたんじゃないの?」
「まぁ、なんだ。その、ずっと家にいたわけじゃないからな」
「どこにいたの?」
「うーん、難しいなぁ。記憶が曖昧なんだ。ハッキリと周りを見ていると認識できる時と、ぼんやりと靄が掛かったみたいに、何となくしかわからない時があって。後者の場合は、見て考えてるはずなのに、全然何がどうなってるのかわからない」
「ふーん。ずっとしっかりとした意識があるわけじゃないんだ」
「意識はないだろ。死んでるんだから」
「そうなんだけどさ。……って、お父さんがそれ言う? なんか、眠ってるみたいなものなのかなって。意識のない時」
「どうなんだろうなぁ。最近はハッキリしてるぞ? この身体になって、フラフラと彷徨わなくなって、生きてる時と変わらないんだ」
「元気になった?」
「元気も元気だよ! 最後のほうは、やっぱり呼吸がちょっと苦しかったんだけどなぁ。それも今はないしなぁ」
「……ねぇ、さっきミルクティー飲んでたけど、お腹空いたりするの?」
「それがな? するんだよ。トイレも行くぞ?」
「生き返ってるんじゃんそれ」
「はっはっはっ。父さん火葬されたのに、生きてるってすごいな」
おおらかに笑う父は、どことなく幸せそうな雰囲気をまとっていた。
「お義母さんには、会わないんですか?」
いつの間にか自分用のミルクティーを飲み干した俊君が、二杯目を淹れながら父に聞いた。
「信じてくれるかどうか心配なのと、いきなり行ったらビックリしてお母さん倒れちゃうかもしれないだろ? そのままポックリ逝っちゃったら大変じゃないか。死んでもお父さんまだいないのに」
「ちょっとポックリって……」
「お母さんだって若くないだろう? 美代だって信じられないことを、言い方は悪いが古い人間のお母さんが、そんなにすんなりと信じてくれるとも思えないしなぁ」
「でも、お父さんだよ?」
「だって、美代だって、まだ百パーセント信じたわけじゃないだろ?」
「……う」
父の言う通りだ。今は、父に会いたかった、もっと話をしたかったという、自分の欲望から信じている部分も大きい。何の拍子で、信じることをやめるかはわからない、私にも。
母は、きっと大喜びするだろう。『信じられない』そんな顔をして、でも涙を流しながら、父の帰還を大手を振って受け入れるに違いない。勝手にそう思っていた。
だって。
母の大好きな、大好きなお父さんなんだもの。あれだけ『化けて出てきてくれないかな』と言っていたんだもの。喜ばないわけがない。
「あ、でも、確かめたいことがあるから、会いには行きたいんだよなぁ。その時はついて来てくれるか?」
「いいよ」
「骨壷はお母さんところか?」
「そうだと思うけど」
「骨壷見たいんだよ。仏壇に置いてあるよな、きっと」
「え、骨壷見たいの?」
「正確には骨壷の中身」
「自分の骨じゃん。……変なの」
父は時々変なことを言う。死んでもそれは変わらないみたいだ。
「……なぁ、美代。お願いがあるんだけど」
「何?」
「生まれた息子に、会わせてくれないか?」
「そういえば、どうして息子って知ってたの?」
「美代に聞いた時、おとうさんもうわかってたんだよ。伝えられなかったけど」
「そう、なんだ」
「遠くから見ていた。手を伸ばしても、届かないからな」
「お母さんに言わないと。雪も実家だし」
「そうか、今日はダメか?」
「俺、迎えに行ってくるよ」
俊君が、そう言って席を立つ。私が声を掛けるよりも早くに、車のカギを手に取り、リビングのドアノブに手をかけた。
「お義母さんに連絡しておいて。すぐ着くからって」
「……わかった」
私は言われるがまま、スマホと手に取ると、母に電話を掛ける。その姿を見届けて、俊君は小さく手を振るとリビングを後にした。
「……あ、お母さん? 今、俊君が雪と司迎えに行ったから。……うん。すぐ着くと思う。うん、うん。お願い。それじゃ」
「司……良い名前だな」
「……ありがと」
「お母さん、大喜びだっただろ? 久し振りの孫だもんな」
「それはもうすごい喜びようだったよ。毎日でも会いたい、って言ってるもん」
「子どもが好きだからな、お母さんは」
「ホントに。それにね、ずっと『お父さんもすごく喜んだだろうに』って言ってるんだよ」
「そりゃあ喜ぶさ」
(……あ。私今、普通に会話してる)
一度仮にも父と認めたら、すんなりと会話できている自分に驚いた。それと同時に、やはり自分は、まだ父の死を受け入れていなくて、現状を喜んでいることを痛感した。
「雪も大きくなったなぁ」
「ちょっとね、食べ過ぎ」
「まだまだ良いだろ」
「でも、女の子だし」
「ちょっとぽっちゃりしてるほうが可愛いもんだ」
父は笑っていた。その顔はただ、孫の成長を楽しみにするおじいちゃんの顔だった。