1.家畜となった元最高神
あの日までは、本当に、ただの平凡な高校生活だった。
「おーい蔵馬、パン買ってきてよー。メロンパンな!絶対だぞ!」
「なんで俺が……?てゆーか!メロンパンは戦争起きるって前に言ったじゃん!この前の争奪戦争止めたの、俺なんだからな……」
「またあれ再現してくれてもいいぞ?」
「二度とやらないからぁ!」
天月蔵馬。都内の私立高校に通う、高校二年生。
ミルクティーベージュの柔らかな髪。どこか抜けた雰囲気と、のんびりした話し方。
本人は無自覚だが、女子たちからは「弟みたいで可愛い」と人気があるらしい。
今も廊下から先輩後輩関係無く、女子が蔵馬に向かって手を振っている。無視をするのも悪いかと手を振り返してみれば女子はきゃあきゃあ笑ってどこかへ走っていく。
「また朝から人気だな、蔵馬。女の子に囲まれてアイドルか?」
「やめてよ。放課後が地獄なんだからー……」
「なんで?告白されるとか?」
「違う!恋愛相談って名目で、推しの話聞かされんの……俺に!」
「うわ、それ一番キツいヤツ!」
ドジでマイペースで、なぜか妙に人に懐かれる。
そんな天月蔵馬には、誰にも言えない“過去”がある。
__天月蔵馬は、かつて最高神だった。
人の願いを聞き、祈りに応え、救いを与える存在。
だが、ある日ふと気づいた。
「神よ、あいつに不幸を与えてくれ」
「神よ、憎い奴がいる。呪い殺してほしい」
「神よ、親父を事故に遭わせてくれ。保険金が欲しいんだ」
届く祈りのほとんどが、欲望に塗れたものになっていた。耳をふさいでも止まらない。心の中にまで染みてくる“穢れ”。本当に救わなければならない祈りが、穢れに染まって届かない。
「聞こえない、なにも。聞こえないんだ!」
神としての自分に、嫌気がさした。
だから、やめた。
人間を愛した心優しき龍でさえ、人間の欲望に穢され心を失って災厄の龍となった。
「神よ、災厄から救ってください」
神として、災厄から、人間を守らなければならない。
しかし、災厄となった龍はどうなる?あの、心優しき龍はどこへいくのだ。
「俺は、友を独りにはしない。共に逝こう」
自分の手で友であった龍を殺して神座を降り、魂の廻りの果てに人間として生き直すことを選んだ。
__そして天月蔵馬として、この世界に転生した。
(あれから十六年。俺は、もうただの高校生だ。十六年間ずっと探しているが龍の気配は無い。やはり俺を恨んでいるだろうか)
今は天月蔵馬として、かつての友の気配を探りながら平和な日常を過ごしていた。
はずだったのに。
それは、ある日の昼休みのことだった。
友人たちと笑い合い、購買で甘いドーナツを買い、ふわふわした気分で空を見上げた、その瞬間。
空が、裂けた。
「……え?」
世界が、ひっくり返った。
まるで真空に吸い込まれるような圧力。ドーナツなんてもうどこかに飛んで行ったし、視界が白く染まり、重力の概念すら失った。
__気づけば、そこは“異世界”だった。
異国風の神殿。煌びやかな装飾。空気すら違う。
クラスメイト全員が同じ場所に転移していた。
「ここは……どこ……?」
「皆、無事か……!?」
「もしかして……異世界……召喚……?」
誰かの言葉に、誰もが沈黙した。
だが、その混乱の中、神官と名乗る男が告げる。
「救世の勇者たちよ。我が世界を救ってください。我等が神・三大天の祝福を、あなた方に__」
そして、始まった“ステータス鑑定”。
次々に現れる“才能ある者たち”。
「この者は風の加護を!」
「こちらは雷帝の祝福を持っている……!」
「おお、光の加護だ!」
盛り上がる神官たち。英雄の卵たちが称賛され、皆の目が輝き出す。
__だが。
「次。天月蔵馬……」
蔵馬の番になった瞬間、空気が変わった。
神官の目が、ピクリと震える。
だが、すぐに柔らかな笑みを浮かべると、淡々と宣言した。
「……最低レベル。スキルなし。職業……【家畜】」
「はぁっ?」
「なんだよそれ……」
誰かが笑いをこらえ、誰かが目を伏せた。
蔵馬は、何も言わずに体を震わせながら静かに前に出る。
「……うそ、でしょ……」
クラスメイトのひとりで幼なじみの少女、篠原あゆみが、青ざめた顔で声を絞り出す。
それに応えることもなく、蔵馬はただ震えるふりをして、フラフラと外へ向かう。
「えっ、ちょっと天月くん!?」
「どこいくんだよ蔵馬!」
(――ここからが、本番だ)
実際、蔵馬の中にある神の力は封じられていない。
むしろ、この異世界では神性の影響力は増している。だがそれを隠すため、蔵馬は「ステータスにショックを受けた哀れな少年」を演じた。
「そ、んな……家畜ってさぁ……そんなの……」
フラフラしながら皆がいる大広間から廊下へ向かっていれば、どこかから指示を受けたらしい神官達が影でニヤついた笑みを浮かべて蔵馬を見ていた。
「三大天様方からの指示だ……」
「不要品は処分して地下層に廃棄とのこと……」
その言葉を聞いた蔵馬はひとり廊下へと出て"刺客"の気配がする方に泣き真似をしながら走る。
「うわぁぁぁん!俺は家畜じゃないぃぃぃ!」
すると蔵馬の予定通り、すぐに“刺客”が来た。
暗闇から突き出されるナイフ。無慈悲な刺突。
蔵馬は抵抗せず、それを受け入れた。
「さようなら、来世は救われるよう神に祈るんだな」
そう呟いた暗殺者に、思わず笑いそうになる蔵馬。
(俺にはもう聞こえないんだよ。祈りなんて__)
そして天月蔵馬は、一度そこで人生を終えた。
偽りの神……三大天と呼ばれる三柱の英雄は、自らの脅威となり得る者、不要な存在を国の地下層……彼らがゴミ箱と呼ぶそこに廃棄する。
殺された蔵馬の死体もまた、三大天の指示により地下層へと落とされる。
死んだ蔵馬の体は宙を舞っていた。
重力に引かれ、闇へと落ちる。
胸元に刺さったままの短剣。服に滲んだ鮮血。
全身の感覚が遠ざかり、意識が薄れていく__。
(…………ふふ)
意識が、醒めた。
「やれやれ。予想より雑だったな」
落下する空中で、ゆっくりと目を開ける。
目に映るのは、黒く開いた奈落の口__地下層。
罪人たちの死体が累々と積まれ、誰も生きて帰れない“ゴミ捨て場”。
思考は冴えていた。体温は奪われつつあるが、血液の流れは変わらない。
なぜなら、この肉体には“完全な死”が訪れない。
__なにせ、これは人間の器であって、神の核が宿っているのだから。
天月蔵馬は、落下しながら背中を地に向けて、ゆっくりと手を組んだ。
「さて__“演技”はもう終わりだ。三大天」
彼の青い瞳が、燃えるような深紅へと染まっていく。
髪色が、空気を染めるように漆黒へと変化する。
空中で、彼の姿が“人間”から“神”へと静かに変容する。
制服の布が千切れ、代わりに黒きマントがその身を包む。
仮初の名を捨て、真の名を纏う時。
「再び名乗る時が来たのか。俺は……“レーヴェンシュタイン”」
言葉が終わるよりも先に、彼の体が奈落の底に着地した。
ドン……!
地鳴りが走る。周囲の瓦礫が風圧で吹き飛び、死屍累々の空気に、神の気配が満ちる。しかし、自らが頂点の存在だとふんぞり返っている三大天は自分達よりも上の力が溢れたことに気付けない。
彼は立っていた。
地獄の底に、ただひとり。傷ひとつない姿で。
「…………」
彼の前で、魔族らしき者が膝を抱えて震えていた。
血にまみれた少女。角の折れた幼い魔族。
周囲には、死んだ者たちの亡骸が積まれ、希望のかけらもなかった。
しかし、その少女はふと顔を上げる。
視線の先に__黒衣の“何か”が立っていた。
神でも、人でも、悪魔でもない、恐ろしいほどに美しい影。
「…………だれ……?」
少女のか細い声に、レーヴェンシュタインは静かに歩み寄り、膝をつく。
そして、優しく問いかけた。
「名前は?」
少女は、一瞬躊躇い__それでも、呟いた。
「ミリナ……ミリナ・クレストリア……」
その名を聞いた瞬間、レーヴェンシュタインの瞳が、微かに細められる。
(……ああ、知っている。クレストリア。魔族の王の血。なるほど、奴らは魔力を利用しようとしたが扱いきれず此処に落としたのか)
彼は、自らのマントを脱ぎ、ミリナの肩に掛けた。
そして、ひとつの宝石細工を作り出す。
魔力を抑制する“封晶石”の髪飾り。神が作り出した、特別な魔具。
「君にやろう。これは、君の力を“安定させる”ものだ」
「え……?」
「力があるから奴らに恐れられ、利用され落とされた。だが制御できるなら、君は“選べる”。戦うか、逃げるか、誰かを守るか……」
彼の声は、まるで聖歌のように優しく、しかし深いところで凍てつくように冷たかった。
ミリナは、恐る恐る髪飾りを受け取り、小さく頷いた。
「あなたは……だれ?」
「名乗ろう。俺は“レーヴェンシュタイン”」
「レーヴェ、シュ……ン?」
「レーヴェで良い」
闇に、名が響く。
「レーヴェ」
「影に堕ちたただの家畜だ」
その瞬間から、地下層は変わり始めた。
地に捨てられた者たちが、再び“希望”という光を見るための、長い物語が始まる。
__その中心に、影の神が立っていた。
「偽りの神よ、お遊びはここまでだ」