17.敗北とは、生きている限り次の挑戦に繋がるチャンスである。
死、とはグレイにとってとても身近なものだった。
殺し屋稼業に手を染めているのだ。いつ自分が狩られる側になったとしてもおかしくはない。
敗北は即ち死を意味する。
だから、結局何も成せずに死んだのだと思っていたのだが。
「……っ」
ぼんやりとした意識が浮上し、視界に入ったのは拠点にしている根城の天井。
身体中に包帯がまかれ、痛みが走る。
痛い、ということはまだ生きているという事だ。
グレイの中で先程の出来事が鮮明に蘇る。
ずっと探していた妹が生きていたという事実に、グレイは怪我を押して起き上がる。
「目を、覚まされましたか」
音もなく現れたパトリシアを無視して銃を取り出したグレイはそのまま上着を羽織り出て行こうとする。
「どこへ行かれるおつもりですの?」
「どけ」
パトリシアの問いには答えず、立ち塞がる彼女に低く冷たい声で命じるグレイ。
「まぁ、せっかくバラバラになりかけた旦那さまをわざわざお持ち帰りして、命を繋いで差し上げたというのに随分な言われよう」
グレイの命には従わず、ふふっと応じるパトリシアの目は全く笑っておらず、
「旦那さまがそんなに死にたがりだとは思いませんでしたわ」
そんなボロ雑巾のようなナリで何をしにどこへ行くというのです? と再度問いかける。
「お前には関係ない」
「大有りです。あなたは私の食糧なのですから」
ここまでフォローしてきたというのに、今更他の悪魔にくれてやれと? とパトリシアの目が妖しく光る。
「そうか」
グレイはパトリシアを睨むと、
「なら、倒して行くだけだ」
銃口を彼女に向けた。
「聞き分けのないヒトは嫌いですよ」
ふっと口角を上げたパトリシアは武器を取り出す事なく、グレイの足を薙ぎ払いベッドに縫い付ける。
「たったこの程度も躱せない、そんな状態でユズリハを取り戻せるとお思いで?」
淡々とした強い口調と何故か泣きそうな空色の目。
取られた腕には全く力が入らず、パトリシアを退かすことすらできない。
「おやすみなさいませ。せめて、今だけは」
ヒトとは容易く息絶えてしまうほどか弱い存在なのですからと言ったパトリシアがグレイの額に自分の額をコツンと合わせるとグレイの意識は再び暗闇に落ちる。
「眉間の皺は取れませんね」
苦悶の表情を浮かべ寝ついたグレイの髪をそっと撫でながら、
「……少々力を、使いすぎましたね」
パトリシアは鏡に映った片方しかない自身の真っ黒な羽を眺めてつぶやいた。
何度も何度も繰り返し悪夢を見たような気がするが、覚醒する頃にはひどく朧げになっていて。
意識が浮上したグレイはゆっくり目を開けた。
「……重っ」
実際文句を言うほど重くはないが、ズタボロに切り裂かれたはずの腹部に何かが乗っている。
グレイがそっと毛布をめくれば、拘束するように巻きつかれた白い腕と腹部に容赦なく乗せられた頭部が視界に入った。
「……悪魔って寝るのかよ」
そこにいたのは猫のように身体を丸めた姿勢で、規則正しく呼吸を繰り返すパトリシアだった。
思い返せば彼女が休んでいる所を見たことがない。
かと言って四六時中片時も離れず側にいたわけでもないので、知らないだけでずっとこうだったのかもしれないが。
「俺は、悪魔について知らないことが多過ぎる」
ターゲットを碌に調べもせず向かっていくなんて、仮にも殺し屋であるくせに愚策もいいとこだった。
幾度目かの覚醒で、随分冷静さを取り戻したグレイは深いため息と共に猛省する。
視線を流せば床には血塗れの包帯が山のように落ちているし、身体に巻かれた真新しい包帯の下の傷が痛む。
きっとパトリシアがいなければあの場で呆気なく死んでいた。
「コイツについても、知らない……な」
答えてくれるかは別だが、パトリシアについては目が覚めたら聞いてみることして、とグレイはじっと彼女を見つめる。
中身が悪魔とはいえ、見た目十代の女の子といつまでも同衾しているのはいかがなものかととりあえずベッドから抜け出そうと試みるも。
「……力強ぇよ」
びくともしない。
しかも全く起きる気配がない。
普段飄々としているくせに隙などほとんどないこの悪魔がすよすよと寝息を立てて寝ついている。
びっくりするほど隙だらけ。
あちらの世界で昼寝中に階級証を盗まれたと言っていた話の信憑性が増す。
「はぁ、もう」
諦めてどさっとベッドに倒れ込んだグレイは、そのままの体勢で束の間の休息を取る事を選択する。
が、どうにも眠れそうにない。
目を閉じれば、あの夜の光景とユズリハが脳裏に浮かぶ。
状況がいいとは言えないが、それでもユズリハは生きている。なんの手がかりもなかった十年に比べれば、格段に進展した。今はその事実だけあればいい。
「次、はきっと」
負けないし、取り返す。
手を伸ばしたグレイは起きない悪魔の淡いピンク色の髪を梳くように優しく撫でながら、
「お前のおかげだ。礼を言う」
ぽつりと静かにつぶやいた。