#悪役令嬢と初めての友達
アステリウスが戻るまで、ナルシアはアルフォンスとの談笑を楽しんでいた。最初はぎこちなかった会話も、次第に自然と打ち解け、互いの笑顔が増えていった。
「それで、隣の老夫婦が飼ってる猫の尻尾を、うちの一番上の兄が踏んでしまってさ。驚いた猫が顔中引っかいて…」
「ふふふ、それは猫ちゃんも災難だったわね。」ナルシアは楽しそうに笑った。
会話が途切れないまま、ナルシアは心からリラックスしているのを感じた。アルフォンスもそれを察したようで、ほんのり満足げに微笑む。
「今日はすごく楽しいな。」
ナルシアが言うと、アルフォンスの瞳に一瞬だけ優しさがこぼれた。
ナルシアは、こんなにも気が抜ける時間が初めてだと感じていた。あっという間に過ぎる穏やかなひととき。二人の間には、まるで長い時間を共に過ごしてきたかのような、自然で親しい空気が流れていた。
その時、先程の騎士が「アステリウス王太子殿下がお戻りになります」と声をかけてきた。
「ねぇ、アルフォンス様。よかったらお友達にならない?」
アルフォンスは無邪気に笑って「もちろんです」と言い、手を差し出してきた。ナルシアはその手を握り返し、微笑んだ。
「それなら、敬語はなしでいこう。」
「ナルシア様が望むなら。」
「敬称もなしよ、アルフォンス!」
「ああ…喜んで。」
アルフォンスは照れくさそうに一瞬視線を外したが、すぐに心からの笑顔が浮かんだ。その笑顔は照れ隠しのものではなく目元まで優しさに溢れていた。
「ほら、そろそろ行かないと、王太子殿下をお待たせすることになるぞ。」
「そうね。」
ナルシアはベンチから立ち上がり、「またね、アルフォンス」とまるで光が差し込むような清らかな笑顔を向け、手をひらひらと振った。その笑顔は見るものを魅了するような美しさを放っていた。そして、まるで風を纏うような、足早に騎士の元へと向かう。
アルフォンスがその姿を見送りながら、微かに笑みを浮かべたが、その目はどこか遠くを見つめるように寂しげで静かに「転ぶなよ」と声をかけた。
王宮のお茶会会場に戻ると、アステリウスは大人たちに囲まれ、何やら政治的な話をしていた。その姿に少し圧倒されながらも、ナルシアはしばらく離れた場所で騎士と待つことにした。
しばらくして、王様と王妃様が現れ、席に着くと、他の貴族たちも爵位の高い順に指定された席に座った。ナルシアは王太子殿下の婚約者であり、実は公爵家の一人娘なので、アステリウスの隣に座ることとなった。
「長らくお待たせして申し訳ありません。」アステリウスが耳打ちしてきた。
「いえ、有意義な時間を過ごしました。」
ナルシアは軽く微笑みながら返すと、アステリウスの眉毛がピクリと動いた気がした。
席は中央にあるテーブルに、王子、王妃、アステリウス、ナルシアが座ることとなった。ナルシアが周囲を見渡すと、アルフォンスが隣の席に座っているのが目に入った。赤い髪の男の子たちと共に、にこやかな表情で話している。ふと目が合うとアルフォンスはいたずらっ子のように笑う。
その笑顔をみてナルシアの心が少し暖かくなるのを感じた。
王様が乾杯の合図をすると、お茶会が静かに始まった。大人たちはワインを、未成年者にはぶどうジュースが配られる。運ばれてくる料理は、どれも豪華で美味しそうだ。色とりどりのサラダ、香り豊かなスープ、焼きたてのパン。ナルシアは思わず目を輝かせた。
その時、王妃がナルシアに話しかける。
「ここ最近、ナルシア嬢は勉学にとても励んでいると聞いています。」
「はい、最近は学ぶ楽しさを覚え、特に魔法学に力を入れています。」
「ほう、魔法は開花したのか?」
「いえ…まだ開花してません」
ナルシアは少し顔を伏せて、静かに答える。
この世界では、どんな子も5歳から10歳の間に魔法の紋章が現れ、それに応じた魔法を使えるようになる。ナルシアもまたその力を持っているはずだが、未だその紋章は現れていない。
「そうか、ではこれからも我が国のために精進しなさい。」
「はい、最善を尽くします。」
ナルシアは静かに答え、少しうつむいた。
その後、会話は政治的な話題へと移った。王妃教育の開始時期や、公爵家の領地に関する話など、難しい話が続いていく。ナルシアは集中して聞きながらも、その合間に料理の味わいを楽しんだ。
会話の中で自分がいかに多くを学び、成長しなければならないかを再確認する。いくらこの世界の知識を持っていても、学び続けなければならないことには変わりないのだ。
「お開きにしよう。」王様と王妃様が席を立つと、お茶会は静かに終わりを告げた。
「すみません、馬車まで送りたいのですが、税金について質問を受けていて、代わりに先程の騎士に送らせます。」
アステリウスが立ち上がり、頭を下げる。ナルシアはその言葉にうなずきながら、心地よい食後の余韻に浸っていた。
「気にしないでください、それじゃあ行きますね。」
その言葉に反応するように、背後から少し明るい声が響いてきた。
「じゃあ、俺が馬車まで送りますよ。」
ナルシアが振り向くと、そこにはアルフォンスがにっこりと笑いながら立っていた。驚く間もなく、彼はいたずらっぽくウィンクをし、膝をついて大げさに手を差し出した。
「ナルシア様、よければこのアルフォンス・フォン・リッツェンベルクに馬車までお送りさせていただけませんでしょうか?」
その仕草に思わず笑いがこぼれ、ナルシアは肩をすくめながらも、無意識に手を差し出した。
「ふふ、お願いするわ。優しい騎士様。」
アルフォンスは嬉しそうにその手を取ると、何気なく視線を交わし、少しだけおどけた表情を見せた。
「それじゃ、行きましょうか。」
その軽やかな言葉に、ナルシアは少しだけ心の中で、ほんのりとした温かさを感じていた。
その時、アステリウスが微笑んで声をかけた。
「アル…ナルシア嬢とお知り合いだったのか?」
「いーや、さっき庭で少しお話ししたんだ」
二人の会話を聞きナルシアはアステリウスとアルフォンスは幼い頃の付き合いだった事を思い出した。
アステリウスはまた眉毛をピクリと動かしていた。
「そうか、では、よろしく頼む。ナルシア嬢、お気をつけてお帰りください。」
アステリウスが足早に去るとアルフォンスは「はっはっは!」と声を上げて笑った。
「動揺してたな、アスター。」
「そうなの?わからなかったわ」
「アスターは動揺すると、片方の眉が上がるんだ。」
アルフォンスはいたずらっぽく言い、ナルシアは思わずその表情を思い出していた。
「内緒だぜ。」アルフォンスが小声で言うと、ナルシアもその秘密に軽く笑ってしまう。
「さ、行こうぜ。」とアルフォンスが歩き出そうとした時だった。
「なんて田舎くさいドレスなのかしら!」
「私なら恥ずかしくて家から出れませんわ!」
「あなた、そんな汚らしい格好しか出来ないのであれば、断るべきではなくって!?」
退出しようとしたその時、耳に飛び込んできた言葉に、思わず足が止まった。
昔の私が言いそうなセリフ…
声が聞こえたさきには、プラチナブロンドの髪に、ヘーゼルの瞳を持つ少女。今にも泣き出しそうに俯いているその姿に、ナルシアは息を呑んだ。
え、嘘…あの子、主人公じゃない?
物語の中で見たあの聖女、彼女が目の前に立っている。その姿にナルシアはただただ驚くばかりだった。