#悪役令嬢の王子への接し方
今日はこの国の第一王子を迎えるために、家中が朝から大忙しだった。メイドたちも、ナルシアの父も母も、突然訪れる王子に失礼がないようにと、壁に飾られている装飾まで入念にチェックしていた。
ナルシア自身も朝からジェーンや他のメイドに手伝われ、湯船に浸かり、マッサージを受け、髪はゆるく巻かれ、きらめく宝石のような装飾を施されていた。王子に合わせた金色の刺繍が施されたクリーム色のドレスに、腕輪やネックレスをつけて、まるで絵に描いたように煌びやかに仕上げられていた。
ナルシアの両親は、王子が到着すると挨拶だけを交わし、早々に応接室に案内して退席した。この部屋にはジェーンとナルシア、そして第一王子でナルシアの婚約者であるアステリウス、彼の後ろには騎士の男性が二人いた。アステリウスはソファに腰掛け、ジェーンが紅茶を用意する。
ナルシアの目の前に座っている王子は、びしっと整えられた短髪の金髪に、清らかな碧眼を持っている。幼いながらも知性を感じさせる顔立ちで、天使のような笑みを浮かべているが、ナルシアが近づくことをあまり好まないのはゲームをしていたから知っている。彼は、国のために感情を抑え込む術を小さなころから身につけているのだろう。さすが王族だ。
アステリウス、安心して。私の推しは魔王ダリウスただ一人だから。
ナルシアが想いに浸っていると、アステリウスが目の前の紅茶を一口飲み、カップを静かに置いた。あまりにも自然で優雅な仕草に、ナルシアは思わず息を呑んだ。
「お加減はよさそうですね。私は責務があるので、これで失礼します。」
アステリウスはスッと立ち上がると、ナルシアは衝撃を受けた。
こんなに嫌いなのに、笑顔を絶やさず、わざわざお見舞いに来るなんて…。しかも、同じ7歳の子供でしょ?!えらい、えらすぎるよ!私が7歳だったら絶対行きたくないって駄々こねて行かないよ!
立ち上がり、扉に向かって歩くアステリウスの背中を、これでもかと言うくらい拝みながら見送った。
「お待ちください!」
王子の騎士の一人がドアに手をかけたとき、ナルシアは声を上げた。
「なんでしょうか?」と、アステリウスはにこやかな笑顔を崩さずに振り返るが、その笑顔の裏に、早く帰りたいオーラを感じ取ったナルシアは、どうしても言いたかった。
「本日はわざわざお越しいただきありがとうございました。アステリウス様の顔を拝見できて、とても嬉しく思います。気をつけてお帰りくださいませ。」
ナルシアは完璧なカーテシーを見せる。自分が周囲にどう思われるかを気にして、カーテシーや表情の作り方にはかなり研究を重ねていたから、体が自然に覚えていたのだ。アステリウスは少し驚いたような表情を浮かべるが、すぐに再び天使のような笑みを浮かべた。
「とても綺麗なカーテシーですね。それでは失礼します。」
アステリウスは微笑みながら退室し、扉が閉まると、ナルシアはまだカーテシーの姿勢を崩さずに続けた。ジェーンが「もう行かれたようですよ」と声をかけると、ナルシアはようやく息を吐き、ソファにどかっと座り込んだ。
めちゃくちゃ嫌われてるじゃん!!心の壁が分厚すぎる!
心の中で盛大に叫びながら、頭を抱えるナルシア。
「ナルシアお嬢様!だ、大丈夫ですか?!」
またしても怯えるジェーンを見て、ナルシアはふと思った。
「ねぇ、そんなに怯えるなら、他の家で仕えることも考えてみた方がいいんじゃない?」
「く、クビってことですか…?」
ジェーンが青ざめて言ったその言葉に、ナルシアは小さく苦笑しながら答えた。
「違うわよ。ただ、この家で私の機嫌に振り回されるより、他の貴族の元で働いた方が、きっと気が楽だと思って。私の気分に左右されることもないし。」
ジェーンはしばらく黙っていたが、やがて重い口を開いた。
「私には10人の弟妹がいて、両親だけでは経済的に厳しくて…。三女が体が弱いから、少しでもお給料のいいところで働かないといけないんです。」
その言葉を聞いて、ナルシアは言葉を失った。ただ、ぼんやりと「そうなのね」と呟くのが精一杯だった。ジェーンはそのまま深く頭を下げた。
「あ、あの、私はどんな事でもします!…だからクビにだけはしないで下さい!」
ジェーンの必死な姿に、ナルシアはソファから立ち上がり、ゆっくりとジェーンに近づく。
16、7歳くらいであろうジェーンのことを思うと、胸が締め付けられる。こんな若い年齢で、傲慢な令嬢の機嫌一つで鞭打ちされたり、意地悪をされているなんて…。ナルシアはジェーンの髪を優しく撫でると、彼女は体をびくんと震わせた。「顔を上げて」と言うと、ジェーンは恐る恐る従う。
「そう、よくわかった。ならこれ以上怯える事はないわ。あなたの頑張りを期待している。」
ナルシアはできる限り優しく微笑んだ。その美しい笑顔は、朝から王子に会うために手入れをされたものだが、ジェーンには、今まで見たどんな美しいものよりも輝いて見えた。