2、グロリア・ノーティカ
ノーティカ家の次女として生まれたグロリア・ノーティカの今までの人生は順調だった。
親との仲は良好だった。優しい友人もいる。また、勉強でも苦労することがなく、グロリアは学校で優秀な成績だった。
この国では実力のある人間が重宝される。そんな中で優秀なグロリアはこの世界に生きづらさを感じたことはあまりなかった。
唯一少し気になったのは、自分の基本魔法の適性についてだ。グロリアには闇魔法の適性があった。
この国の人間は魔法を使うことができる。その魔法の中にも種類があり、基本魔法と特殊魔法だ。基本魔法には、火、水、風、土、光、闇がある。
光魔法に適性がある人間と、闇魔法に適性がある人間は極端に少ない。適性じゃなくても使える人間はいるらしいが、それはごく僅かだ。
光魔法はいい。光魔法に適性があるというだけで一目置かれる。上級の光魔法では治癒もできるというのだから。
一方、闇魔法は何かよく分からず、恐れられることがあった。グロリアは闇魔法に適性がある。明らかに異質だ。片手の数しか闇魔法の適性をもつ人間はいない。しかし、自分よりも目立つ人間がこの国にはいた。
アエラス・クレアティオ。魔法の才という才をほしいままにした男。グロリアよりも一世代くらい年上であるが、その名を知らぬ者はいなかった。
天才。救国者。アエラス・クレアティオをあらわす呼び名はいくつも存在した。アエラス・クレアティオはかつての戦争でたった一人の力をもってコスモ国を降伏させたという。
アエラスよりも異質な存在はいなかった。だから、多少変わった力を持っていても「アエラス・クレアティオよりは普通だ」と言われるだけであった。それにより、グロリアは生きづらさをおぼえたことはなかった。
◆
グロリアは18歳で学校を卒業した後、自分の家の仕事を手伝っていた。
グロリアは婚約者がいた。トニトルス・ノックスと結婚することになっていたから、就職をすることもなく準備をしていた。
トニトルスは、仕事に慣れて結婚できるようになったら、結婚しようと卒業の際に言っていた。
しかし、なかなか連絡はこない。最初は、仕事が立て込んでいるのか、忙しくて連絡ができないのかと思っていた。グロリア自身も家の仕事を手伝うようになり、忙しくしているうちに、気がつけば5年経っていた。
流石にグロリアは、訝しくおもい、こっそりトニトルスの様子を見に行った。
そこで見た光景を一生忘れないだろう。
トニトルスは、見知らぬ女性と口づけをしていたのだ。
頭が真っ白になった。
だって。トニトルスはグロリアと結婚まで約束していたはずなのに。それなのに。
グロリアはトニトルスを問い詰めた。決定的な場面を見られたはずのトニトルスは、全く悪びれる様子はなく、鼻で笑った。
「お前みたいな、闇魔法に適性があるような気味の悪い女と結婚をしたくなかったんだ。ちょうどいい。結婚の話はなしだ」
そんなこと言われても。闇魔法への適性は生まれつきのものだし、どうにもできない。そんな勝手な理由で婚約をなくすのか。しかし、婚約は互いの約束であり、法律上の縛りはない。解消なんてできてしまうのだ。
トニトルスが無能な男であったら、家族の説得はできなかったのかもしれない。しかし、幸か不幸かトニトルスはそれなりの能力があった。結婚の話をなしに持っていくほどには。
気がつけば、グロリアは捨てられた女になっていた。
惨めで、無様な自分が嫌だった。
何よりも辛かったのが、いまだにトニトルスのことを忘れられない自分だ。捨て方は雑であったが、元々は優しかった。その優しかった過去の思い出がグロリアの首を絞める。逃れ方を知らなかった。
そんな中、記憶消し屋の話を耳にした。だから、ここを訪ねたのだ。
トニトルスに関する記憶を全て消したくて。
◆
「なるほど。それは災難だったな」
ソムヌスと名乗った男は、黙ってグロリアの話をきいてくれた。気だるげにみえるのに対し、彼の瞳は真っ直ぐにグロリアを見ていた。
人に興味をなさそうにみえて、ちゃんと話をきいてくれるようだ。
グロリアがこれまでの経緯を話したのは、記憶消しができるかをソムヌスに判断してもらうためだった。
「私の記憶は消せそうですか?」
グロリアは祈るようにソムヌスを見つめた。ソムヌスは金の瞳を瞬かせながら考えた後で頷いた。
「ああ。できると思う」
「本当ですか⁉」
思わず大きな声を出してしまったグロリアであったが、ソムヌスは嫌な顔一つせずに頷いた。
「ああ。ただ、1つ問題がある」
「なんですか?」
「俺の特殊魔法の制約だ」
記憶を消す方法は、特殊魔法であることはなんとなく予想できていた。
特殊魔法。それは、普通魔法とは別に存在するものだ。形や性質が決まっているものではなく、それぞれ違った性質を持つ。特殊魔法は持つ人もいれば、持たない人もいる。グロリアは特殊魔法を持たない。ソムヌスは「記憶を消す」という特殊魔法を持っているのだろう。
そして特殊魔法には制約があることが多い。
「差し支えなければ、制約を伺っても?」
ソムヌスは頷いて答える。
「1つは制約というほどではない。詳しく話を聞かないといけないことだ。そうしないと、間違った記憶を消してしまうかもしれないからな」
そこで言葉を句切ったソムヌスは、少し目線を下げてから口を開いた。
「他の制約は、忘れることができるのは1人につき1つであること。ただし、別の記憶の方を消したくなれば、1度忘れたとしても解除すれば思い出す代わりに別の記憶を消すことができる」
グロリアは黙ったまま頷く。ソムヌスは続けて口を開いた。
「次が厄介な制約だ。この魔法は半年に1回しか使用できない」
それをきいたグロリアはソムヌスの顔をみる。彼の表情から、彼が何を言いたいかはすぐに分かった。
「最近、お使いになったのですね」
「察しがいいな」
グロリアは静かに息を吐いた。恐る恐る尋ねる。
「それで、最後に使ったのはいつでしょうか?」
「……一昨日だ」
グロリアは頭を抱える。想像よりも直近だった。
ソムヌスが使ってくれるとしても、半年後になる。
「……悪いな」
申し訳なさそうに眉を下げるソムヌスをみて、グロリアは慌てて首を振る。
「いえ。店主様のせいではありません。それで、私は店主様のお眼鏡に適ったのでしょうか?」
グロリアの言葉に、ソムヌスは首を振った。
「ああ。気が向かない話だと断るって知っていたのか?」
「……記憶消し屋のお噂はきいたことがあります」
記憶消し屋が実際に記憶を消してくれるかどうかは店主次第。自業自得なものであったり、消さない方がよいと店主が判断したりしたものは、断られるという。
「お前のような案件は断らない。ただ、時期が悪かった」
ソムヌスの申し訳なさそうな様子をみていると、逆に申し訳なくなってくる。
「いえ。お気になさらず。あなたに救われた人がいるのでしょうから」
「悪いな」
グロリアの前に、記憶を消したくて苦しんでいた人がいるということだ。その人が救われているのだから、ソムヌスを責めるのはお門違いだ。
ソムヌスの言う通り、時期が悪かっただけだ。誰が悪いわけでもない。
誤字報告をしてくださった方、ありがとうございました!