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国王溺愛の掌中の珠、という作り話を事実にするため、半年間で大量のドレスと宝飾品がウエンディのために作られた。
侍女が5人つき、メイドが増やされ、輿入れのための持参品もどんどん積みあがって行く。
珍しい布や、芸術の域に達した扇、宝石の散りばめられた宝石箱、彫刻の美しい手鏡、専用の馬車、馬、大量の金貨。
これまでウエンディが使うはずだった予算から比べれば、微々たるものだ。
ついでに、兄弟姉妹たちとも顔を合わせることになった。
貴族たちや国民に、ウエンディが嫁ぐことを周知する過程で、パーティーを何度か開いたからだ。
公に顔を見せている間、挨拶以外の口を利くな、と言われた。
だから雪乃は、兄弟姉妹たちが勝手なことを言い捨てていく時間を、ただひたすら微笑んで過ごした。
「これが妹か。現れたとたんにいなくなるのなら、覚える必要もないか」
「これが妹か。地味だな。華やかさのかけらもない。価値がない」
「これが妹なの? この子のおかげでダリアが遠くにいかずに済んだのはありがたいわね」
「これが妹なの? とても隣に置いてはおけないわね、知性も美貌も足りないもの。あ、どうせ蛮族の国に嫁ぐのか」
好き勝手言われても、気にならなかった。
どうせいつか絶対に、まとめてぶっ潰すんだから。
ただ、姉姫の一人が言った言葉は少し気になった。
「これが妹なの? 呪われた子らしいわね。
この年まで生きてしまっては、なかったことにもできないし、小国に嫁がせるのはいい厄介払いになったじゃない」
呪われた子、という罵倒は初めてだった。
そこに、別の兄がやってきて、二人で会話を始めた。
内容は、やはりウエンディを馬鹿にするものだが、会話を聞くうち、つまり、ウエンディのことを頭の足りない子だと考えていることが分かった。
これまで教育を拒否してきたのは、抗議ではないことにされている。
出来ないからやらなかった、フォークのひとつも使えないほど、この子は頭が弱いのだ、そのように解釈されている。
知性を習得できないレベルであることを、ここでは『呪い』と呼ぶようだ。
雪乃の意志をねじまげて解釈されていることに少し腹が立ったが、まあいいか、と思い直す。
馬鹿だと思っているのか思いたいのか分からないが、舐められているほうがなにかと都合が良い。
そして、約束の日、雪乃はアウリラ地方国に向けて出発した。
見送りには、王家の誰一人現れず、ただ、王国の封蝋のある一通の手紙だけが手渡された。
『余計なことはするな、お前はただ愛想よく笑っているのだ。
何もせず、口を閉じ、その後のことは侍女の指示に従え。
嫁いだからにはこの国とのつながりは断たれたとし、アウリラに骨を埋めよ。
呪われた娘であるお前にも、使い道があったこと、誇るがいい』
失敗しても出戻りは許さない、という話だろう。
本人はどこか励ましのつもりで書いていそうな気もするが、このような手紙が娘の心にどんな影響を及ぼすかについては考えていないのだ。
あるいは娘とは思っていないか。
道中は、馬車で40日間だった。
ウエンディとしての生涯で、おそらく最高の40日間になるはずだ。
王宮から一歩も出ずに過ごした雪乃が、この世界を初めて垣間見た日々だった。
向こうへ到着すれば、人質として、祖国と同様にほとんど住処から出ることはないだろう。
一生で一度、草原で風を感じ、川のせせらぎを聞き、宿に泊まって現地の名物を食す素晴らしい時間であった。
それでも、当たり前だが旅はいつかは終わる。
雪乃はアウリラに到着してしまった。
最初に出迎えたのは、アウリラの宰相だった。
ひげを生やし、長いローブのようなものを着ている。
まるで祭司かなにかのようだが、周囲の人間も同じようなものを身に着けていた。
王宮で働く人たちの制服かなにかなのだろう。
よく見れば、襟元にそれぞれ違った刺繍が入っている。
階級か役職を表しているらしい。
軍服についている徽章のようなものだろうか。
「ようこそいらっしゃいました、ウエンディ王女殿下。
宰相のティム・ウォーカでございます。姫様の案内をおおせつかりました」
ウエンディは黙って微笑んだ。
なにも、父王から言われた、必要以上に喋るな黙っていろ、という言いつけを守ったわけではないが、こちらでも呪われた子のふりをするのはメリットがある。
いやそうでなければならない。
慌てたように、横から、お目付け役のレヴァーゼの使者が進み出た。
「お迎えご苦労様でございます。
当国より、我らがウエンディ・リー・ダウセット王女殿下をお連れ致しました」
自分のフルネームを初めて知った雪乃は、へえ、という顔をしそうになって、慌ててぼんやりとした表情を作る。
「ずいぶんと長旅であったことでしょう、お疲れを癒す準備を整えてございます。
使者殿を含め、お国へお戻りになる方々は客室へご案内いたします。
王女殿下と、こちらへ残る侍女、メイドは、各々の部屋へとお連れしましょう」
馬車からは次々に荷物が降ろされ、無駄のない動きで移動が始まる。
こちらの人員も、案内先に分かれて、ぞろぞろ歩き始めた。
なかなか案内の手際が良い。
当たり前か。
見る限り、この国の規模は相当に大きい。
入国からずっと窓の外を眺めながら来たが、建物がちゃんと基礎から作られ、漆喰で仕上げられているし、橋も立派で、なにより道が整備されていて馬車がスムーズに進んだ。
技術も国力も、レヴァーゼ王国よりかなり上だ。
なぜ、父王が、どう考えても価値のないウエンディを送って平気だと考えたのか、全く分からないほどだ。
ニヤニヤしそうになるのをこらえる。
きっと、この国は、レヴァーゼを無礼な国だと考えるだろう。
まともに付き合う気のない、尊重する気がない、それどころか呪いの子を送ってくるようでは、あなどっているに違いないと。
いや、その通りだ。
その証拠に、使者たちはとても顔色が悪い。
王宮のきらびやかながら堅実な作りと、そこに立ち並ぶ騎士たちの勇壮さ、つけている甲冑や武器のレベルの高さに、青ざめているのだ。
国に帰って、何を報告するのだろう。
楽しみだ。
「……おそれながら王女様。侍女はお一人のみお連れでしょうか」
部屋へと案内されながら、正直、久しぶりに履いて歩くヒールに気をとられていた。
前世ではビジネスシューズの低いヒールばかりだったし、こちらでは室内履きがほとんどだった。
そもそも、この世界の硬い靴底と柔軟性のない素材は、歩くのが苦痛すぎる。
だから、案内する宰相に言われて初めて、後ろをついてきているのが侍女一人だと気づいた。
「あら……あなた、メイドから侍女になったのぉ?」
そこにいたのは、30代前半と思われる、侍女の装いをした女性だけ。
それも、よくよく見れば、ずっと雪乃の部屋に配属されていた、あの下級メイドだ。
彼女は、困ったように黙っている。
それが今までの彼女の仕事だった。
「ウォーカ宰相様、こちらでは侍女とメイドをつけてくれる?」
「必要があればもちろんでございます」
「そう。なら、あなたも国に帰っていいわよぉ、オリーブ」
メイドあらため侍女は、ぴくりと反応したが、黙って首を振った。
「帰らないの? ……じゃあ宰相様、この二人で受け入れをお願いしますねぇ」
「かしこまりましてございます。
それと……私のことは、ウォーカと」
敬称をつけるのは立場上まずいのかもしれない。
とはいえ、日本人の習慣で、年上を直接呼び捨てにする文化はほとんどない。
身内である場合ですらない。
「はぁい。私が正式に王子様の妻になったら、そうしますねっ」
できれば、その前にあの国をぶっ潰してくれたらいいのだけど。
雪乃は、王妃に贈られた羽根飾りの扇を、そっと広げて口元を隠した。
半日ほど部屋で休み、午後遅くに、王家の面々との謁見になった。
再び使者たちと顔を合わせ、メイドや侍女は控室に残したまま、5人のみが入室を許される。
「よく来た、レヴァーゼの王女」
王家は、質実剛健、というのがぴったりの一家だった。
国王は濃い茶色の髪に、同じ色の瞳、そしてその辺の騎士に負けないような屈強そうな体をしている。
そういえば、ティアドリィ連合国の王は、武闘派だ。
建前では合議制を敷いているが、実質武力政権のようなもので、元首そのものが武力で周囲をまとめ上げた男なのだ。
その遠縁だというこの国の王が、同様に武闘派でもおかしくない。
王妃は、色白で金の髪を持つ、貴族らしいたおやかな女性だった。
そして、筋肉と美貌の間に生まれた王子は、三人。
すでに立太子した第一王子は、筋肉。
まだ幼い第三王子は、美貌。
間の第二王子、すなわち、雪乃の夫となる男は、平凡だった。
薄い茶色の髪で、遠目には、ちょっと彫りの深い日本人といった印象だ。
身長は高いが、これはこの国のスタンダードだろう。
少なくとも威圧感はなく、少しほっとする。
さすがにこの場で、使者に挨拶を任せる訳にはいかなかった。
事前にしつこく言い含められていたように、雪乃が前に出る。
「丁寧なお迎えを感謝しますぅ、レヴァーゼ王国王女ウエンディですぅ」
最低限の挨拶とともに、あからさまに付け焼刃のカーテシーを披露する。
ざわ、と一瞬、室内が揺れたのが分かる。
こんなにも質の低い挨拶しかできない娘を、王子妃として送り込んできたのか。
呆れとも怒りともつかない空気が、あっという間にその場を支配した。
もちろん、王家の面々も厳しい顔をしている。
王妃などはあからさまに不快な表情で、というよりももはやあれは軽蔑に近い。
そしてその空気を正面から浴び、レヴァーゼの使者たちは軒並み青い顔をしている。
この国に足を踏み入れた時から分かっていたことだろうに、もしかして何か期待していたのだろうか。
ウエンディがまともな挨拶をするとか、王族がウエンディを受け入れてくれるとか。
なんて甘い。
いいぞいいぞ、と雪乃は思う。
目的のほとんどを、すでに達してしまったと言ってもいい。
これで、国の中枢部に、レヴァーゼがこの国を軽視していることがはっきり伝わった。
さて、何が起こるだろう。
この計画が、なんの取柄もない雪乃に向いているのは、雪乃自身が何かする必要がないことだ。
とにかくぼんやりと過ごせばいい。
それだけで、外交関係がひっかきまわされる。
苦々しい顔の人々に囲まれ、挨拶を終えて、王族の退室を待ってから、雪乃は再び自室となった北向きの部屋へと戻された。
日当たりが悪く、一階で、裏庭への出口が近い。
太陽は浴びておきたいので、少しは外へ出られるといいのだが。
それにしても、出入口が近いということは、それだけ外敵の手が届きやすいということだ。
北向き一階の危険が大きい部屋を最初からあてがってくるのは、端から人質として下層の扱いをするつもりだったか、それとも──。
「邪魔するぞ」
夫となる王子の訪問は、それから二日後のことだった。
朝の紅茶、昼と夜の食事、寝る前の風呂、それ以外の時間を放っておかれたままの二日間だった。
まあ、慣れている。
「こんにちは、王子様」
微笑み付きで挨拶をしたが、返って来たのは冷ややかな目線だった。
そして、返礼はなく、腕組みをして突っ立ったままだ。
ぐるりと周囲を見回す。
この部屋は、実にシンプルだった。
ウエンディの故郷の部屋は、元側妃の部屋だっただけあって、調度品だけは豪奢だった。
残された茶器や書籍も、側妃のために、あるいは側妃が揃えたもので、高級品がほとんど。
そんな環境で暮らしてきた雪乃の目には、一段どころか、二段三段とグレードの落ちる品質のものばかりに見える。
ただ、そこに収められているのは、雪乃が持ち込んだものだ。
持参品として与えられた服や宝飾品、自室から根こそぎ持ち出したものたち。
王子の目は、それらをゆっくりと観察している。
「お前の国の使者たちだが」
「はい?」
「今朝、出立した」
はや。
さすがの雪乃も、驚きを隠せず、目を瞬いてしまう。
王女の生活が落ち着くまで待つつもりもない、というのは、忠誠心がないのだから当然だろう。
それにしても早い。
ふむ。
おそらく、この国の国力を見誤っていたことに気づき、それをいち早く知らせるための帰国だろう。
残念ながら、ウエンディという存在自体が宣戦布告のようなもので、事態は遅きに失しているとしか言いようがない。
「あらぁ。最後にもう一度確かめようと思ってたのに。
オリーブ、あなた、ここに残るしかなくなっちゃったわ」
こればかりは本当に困ってしまった。
出来れば一緒に帰ってほしかった。
だって、もしも十分に雪乃の存在が浸透し、どんどん国交が悪化し、最終的にレヴァーゼがぶっ潰れた暁には、自分は死ぬつもりなのだから。