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#ウマ娘世界史 三国志時代の武将「公孫瓚」について

作者: クレヤ
掲載日:2023/01/17

中華の歴史で人気の高い「三国志」、その中で有名なウマ娘といえば、呂布の相棒だった赤兎や、劉備に支えた的盧を上げる人は多いだろうが、もう一人抑えて置くべき人物がいる。

人の名を授かり、高い教育受け、そして容姿以上に声まで記載がある人物、白バ長史「公孫瓚」というウマ娘である。


生まれは代々豪族の家系ではあったが、当時のウマ娘の身分が低かった為、公孫瓚はあまり厚遇されて来なかったと言われている。

しかし武勇に優れ、今でも珍しい「白毛」であった事から容姿にも優れており、かつ非常に通りの良い綺麗な声をしていたと言われており、そう言った点を太守に気に入られ、様々な援助を受け教育機関に通ったと言われている。


ちなみにであるが、学友には劉備がおり、三国志演義において劉備が的盧を気に入り、口説き落とす際に出てくる「似た知り合い」というのは公孫瓚を指していると言われている。

さらに加えてであるが、的盧は芦毛であり、劉備と知り合った頃はまだ鹿毛だったというのが現在の学術的な見解である。


その後、太守の劉氏に支える事となり、

当時、北方のウマ娘部族である烏桓族や鮮卑族と言った異民族の討伐で一躍名を上げる。

その際に特に降伏させた烏桓族の中でも同じく白毛、もしくは芦毛のウマ娘を徴用し、作ったのが「白バ義従」であり、歴史家の中では「世界初のウマ娘のみで構成された特殊部隊である」という見解もある。

その武名はかなり高く、時には暴れる賊達が白毛を見ただけで逃げ出したとする逸話も残っている。


そうして有名となった彼だが、当時勢いのあった袁紹と対立。

苛烈となっていく戦いの中で、太守とも対立し、その首を刎ねた事で立場が弱まり、最終的に袁紹に敗れ、自害するという結末を辿った。


しかし、一説では袁紹との戦いで負けた要因の中に彼女の悪癖である「凡庸な人材ばかり登用したがる癖」が将兵の質を分けたという話がある他、

先に触れた太守の処刑など、戦術家としては優れていたが、戦略家とはしては誤った判断を下す傾向のある人物であったことが指摘されており、そう言った悪癖や判断の甘さが、人心を失い、袁紹に負ける要因となったと語る研究家も多い。



そう言った意味では、ある意味人も同じであり、どれだけ優れた人物にも欠点はあるのかもしれない。そしてそれを理解し、補う事が出来る人物であれば、ウマ娘、人間関係なく成功を収めるのかもしれない。

三国志でお馴染みの公孫瓚は馬とそれに纏わる部隊を持っていた人物なのできっとウマ娘だろうという考えを元に書きました。


久々に文章書いて投稿したので、大目に見てくだされば幸いです。

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