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その3

本日2話目の更新となります。前話未読の方はご注意くださいませ。


 三食昼寝付きなんてまるで夢のような生活――というよりも、


(……どうしてかしら。そこはかとなく病人扱いされている気がするわ……)


 嫁いでから四日目の昼。

 午睡から目覚めたマーガレットはベッドから上体を起こして溜息を吐いた。

 この屋敷に来てからはまさに至れり尽くせり。朝のお目覚めから夜のおやすみまで、屋敷の人々の甲斐甲斐しいサポートにより極限まで甘やかされた生活をほぼ強制的に送らされている。

 まさに厚遇。冷遇の心配とはなんだったのかと思わず遠い目をしたくなるほどだ。


 与えられた淡い色合いを基調とした可愛らしい私室をぼんやり眺めた後で、起き出したマーガレットはふと思い立って執務も可能な広いテーブルセットへと歩みを進める。

 そこには一冊の鍵付き日記帳が置かれていた。マーガレットは机に向かうと、ガラスペンにインクを付けて日記を開く。そして今日までの流れを出来るだけ詳細に綴り始めた。


 ――この日記帳は、いうなれば業務日誌のようなものである。


 ジュリアとの入れ替わりの際に、記憶に齟齬が発生しないように身の回りで起こったことを共有するためのもの。ちなみにマーガレットに扮したジュリアは当然ながらそんなものを用意してはくれないので、入れ替わり後のマーガレットはおそらく神経をすり減らしながら自分(ジュリア)が行なったことと向き合うことになるだろう。


(日記もだけれど、ともかく現状を伯爵家に説明しに行かなければならないわ……)


 考えただけでも陰鬱となる。早期に初夜を完遂出来なかったことへの叱責は免れないだろう。

 だが、とマーガレットはペンを動かす手を止める。


(時間があれば私にも出来ることがある筈……ジュリア様と入れ替わる前に、初夜以外でもパーシヴァル様の妻に相応しい淑女としての既成事実を作っておくべきだわ)


 マーガレットから見たジュリアはお世辞にも淑女と呼べるような少女ではない。

 自分の気に食わないことがあれば癇癪を起こす幼稚さ。嫌な課題はサボるか押し付けるし、礼儀もマナーもおざなり。夜会では毒婦マーガレットとして振舞うくらいだ。性にも奔放でおまけに金銭感覚も甘やかされて育ったために際限がない。


 そんなジュリアが侯爵家に嫁げば、最初はともかく徐々に本性を現していくのは目に見えている。

 すんなり我慢が出来るような性質ではないからだ。


(でも……ジュリア様は極度にプライドが高く見栄っ張りだから)


 だからこそマーガレットに完全無欠な貴族令嬢ジュリアを演じさせた。

 ならばそこに付け入る隙はある――そうマーガレットが人知れず思案を重ねていた時、


「……奥様、お目覚めでしょうか?」


 扉の外から、それほど大きくはない声が聞こえてきた。マーガレットはペンを戻し日記に鍵を掛けた後で「起きてます。どうぞ」と返事をした。

 入って来たのはメイド頭のナタリーである。この四日間で存分にマーガレットを甘やかしてきた代表的な一人だ。


「旦那様が、もしお目覚めのようならお茶はどうかとお誘いです。いかがいたしますか?」

「もちろん喜んでご一緒させていただくわ。……支度をお願いしても?」


 寝起きなので髪もメイクも服も直す必要がある。ナタリーは満面の笑みで首肯した。


「ええ、お任せくださいな! 三十分で仕上げてみせますので!」


 有言実行。ナタリーは見事な手際でマーガレットの支度をあっという間に整えていく。

 されるがままになりながら、マーガレットはその匠の技を目で盗もうと観察に余念がなかった。

 いつかここを去る時にこの技術が役に立つかもしれない。身に付けておいて損はない。


 そうして支度を終えて姿見に映る自分を改めて見分する。当然ジュリアではあるのだが、どことなく本来の自分(マーガレット)が滲み出ているような気がする。

 化粧により勝気なツリ目が少しだけ緩和されているからかもしれない。


「大変お可愛らしいです、奥様!」


 絶賛するナタリーにお礼を言いつつはにかんでいると、コンコンと控えめなノック音が室内に届いた。

 入室の許可を出せば、そこに現れたのはマーガレット甘やかし筆頭こと夫のパーシヴァルだった。


「暇を持て余して迎えに来てしまったけど、迷惑だったかな?」


 穏やかに笑いながらパーシヴァルが手を差し出す。そこに自らの手を重ね合わせながら、マーガレットは華やぐように微笑んだ。


「いいえ……とても、嬉しいです」

「そっか。君が元気だと俺もとても嬉しいよ」


 この四日間ですっかり慣らされたエスコートを受けながら、落ち着いた雰囲気のティールームへと招待される。互いに着席すると何故かパーシヴァルがケーキスタンドから楽しそうにお茶菓子を選び始めた。

 皿の上に次々と盛られていくそれらに、なんとなくこの後の展開が予想出来てしまったマーガレットは控えめな声を上げる。


「あの、パーシヴァル様……お夕食もありますので、そんなに量は食べられないかと……」

「えっあ、そっか……そうだよね。ごめん」


 目に見えてしょんぼりするパーシヴァルの姿が年上の男性なのにどこか可愛らしくて、マーガレットは思わず素の笑みを浮かべてしまった。


「お気持ちはとても嬉しいのです。ですが、あまり食べ過ぎてはドレスが入らなくなってしまいますわ」

「いや、それはない。君はもっと食べるべきだ」

「そ……そう、ですか?」

「うん。でも無理に食べさせるのも良くないね……これは俺が食べることにするよ。で、リアはどれなら食べられそうかな?」


 サンドイッチやスコーン、各種焼き菓子が盛られた皿を自分の前に置いたパーシヴァルは、改めて空のお皿を手に取るとマーガレットに聞いてくる。

 本来であれば給仕の仕事のはずなのだが、何故かマーガレットの分は毎回パーシヴァルがサーブしてくれるのだ。初めは遠慮したが、その方が悲しい顔をされるのに気づいてからは彼の希望を尊重するようにしている。これもパーシヴァルなりの交流の深め方なのかもしれないと判断して。


「では、そちらのプチケーキとチョコレートを何粒かいただけますか?」

「もちろん。足りなかったら追加するから言ってくれ」


 嬉々として手を動かすパーシヴァルは、それだけでも大変絵になる男性だった。

 マーガレットは彼がサーブしてくれたお菓子を上品に食しながら、ちょうどいい機会だと考えていた話題を持ち出すことにした。


「パーシヴァル様、ひとつお願いがあるのですが……」

「ああ、やりたいことでも欲しいものでも遠慮なく言ってくれて構わないよ?」

「……お仕事が、欲しいのです」

「――うん?」


 笑顔のまま首を傾げたパーシヴァルに、マーガレットは熱い眼差しをもって言葉を続ける。


「明日からパーシヴァル様もお仕事に復帰されますよね? 私はその間、このお屋敷の――延いては侯爵家のために出来ることがしたいのです。ですが、勝手に動いてご迷惑になるわけにも参りません」

「……あの、リア? まだ嫁いだばかりなんだし、もっとゆっくりしていても全然おかしくないよ?」

「いいえ! 時間は有限ですから無駄にしていいことなど御座いません。勿論、家政に関することなど急遽嫁いだ私に任せるのに不安があるのは当然かと思います。しかし可能な範囲でお教えいただければ必ずやお役に立ってみせます……っ」


 穀潰しなどもってのほか。労働は生きる上での義務だ。

 この四日間、あまりにも居心地の良すぎる生活を送ったからこそマーガレットは危機感を抱いていた。このままずるずる厚意を甘受すれば、自分が堕落してしまいかねない。


 ある意味で鬼気迫るマーガレットの言葉に、パーシヴァルはしばし唖然としていた。

 しかし気を取り直したのか、その表情に苦い笑みを乗せる。


「……うん、君の考えはよく分かったよ。偽りない気持ちで言ってくれてるのも」

「っ! では……」

「俺も仕事が忙しくて、この屋敷についてはグレアムにほとんど任せているんだ。だからグレアムと相談して、君に任せるべき仕事をお願いすることにするよ」


 瞬間、マーガレットの顔がパッと明るくなった。


「ありがとうございます!」

「……俺としてはもっとのんびりして欲しいし、なんなら一日中寝ていてくれたって構わないんだけど……」

「それでは病人と変わりませんわ。私は健康なのですから、きちんと働きたいです」

「その気持ちは尊重するけど……うーん……」


 どこか躊躇いを捨てきれていないパーシヴァルの様子に、マーガレットは頭を捻る。

 だが何が引っ掛かっているのか見当もつかない。


「あの……それほどまでにご迷惑でしたら、やはり大人しくしていた方が宜しいでしょうか?」

「あ、いや! そんなことはないよ! ……ごめん、なんだか変に過保護になってるな俺」


 自嘲気味にそう漏らしたパーシヴァルは、ここで話題を切り替えた。


「確かに俺も明日から仕事だし君も一人では退屈だろう。護衛さえつけてくれれば外出の制限も特にしないから、友人を訪ねたり招いたりも好きにしてくれて構わないよ」

「宜しいのですか? それでは、その……時間があれば孤児院への慰問なども行いたいと思っているのですが」

「孤児院に? そうか……勿論いいよ。ただ都合がつけば俺も一緒に行きたいかな」

「はい、是非に!」


 このような会話の後、パーシヴァルの休暇は明け。

 次の日の朝から王城へと出仕し始めた彼を見送ったマーガレットは、にっこり微笑みながらグレアムへと声を掛けた。


「……それではグレアム、お仕事について今日からご教授をお願いしますね?」


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