その2
パーシヴァルとジュリアの新居は、王都でも一等地として名高い住宅街にある侯爵家所有の屋敷である。
現当主であるストラウド侯爵と侯爵夫人は領地にある本邸に住んでおり、王城勤めのパーシヴァルが以前からこの屋敷の実質的な主だった。
今回の婚姻で正式に譲り受けたという説明を聞き、マーガレットはなるほどと頷く。
「あの、そういえば御義父様達は今どちらに?」
ストラウド侯爵領まではここから馬車で二日ほど掛かる距離だ。
昨日の結婚式からすぐに領地に引き返すには無理がある。だが、夫妻やパーシヴァルの弟がこの屋敷に泊まっているような雰囲気はない。
「あー……家族は王都のホテルに泊まってるよ。……一応、気を遣ったみたいだ」
やや気まずそうに笑ったパーシヴァルにマーガレットも思わず頬を薄っすらと染める。
新婚夫婦の夜の営みを邪魔しない侯爵家の配慮、ということなのだろう。
そんな会話を繰り広げながら、マーガレットはパーシヴァル自らのエスコートで屋敷の中を順番に回っていく。
「本邸に比べればだいぶ手狭だけど……」とパーシヴァルは謙遜するが、とんでもない。
屋敷内はどこも洗練されており一部屋一部屋も十分に広く快適な構造と内装をしていた。
昨日は夫婦の寝室と、寝室から繋がるジュリア用に設えられた私室以外はほとんど見られなかったので、マーガレットはどの部屋に対しても興味深く見学していった。
同時に脳内で屋敷内の地図を入念に作成していく。
説明されたことは一度で完璧に覚える。それがマーガレットの常識だった。
そんな中、屋敷内ですれ違う使用人たちは皆、笑顔でマーガレットへ頭を下げてくれた。その態度から歓迎されていることは明らかで、戸惑いつつも面映ゆい気持ちになってしまう。
最後に色とりどりの花々が咲き誇る見事な庭まで出ると、パーシヴァルは傍に控えていたメイドに「お茶の用意を」と声を掛けた。
「一度に色々と説明してしまったから疲れただろう? 少し休憩にしよう」
その言葉で速やかにセッティングされたテーブルセットに、マーガレットは素直に感嘆する。
(ストラウド侯爵家の使用人の方々は大変優秀なのね……連携に無駄がないわ)
自分自身が使用人として働いてきたからこそ、その質の高さが分かる。
各々が役割を自然と把握して連携するのは言葉で説明するよりも遥かに難しい。互いの仕事を信頼しているからこそ出来ることだ。残念ながら、ワーズワース伯爵家はこのレベルには到達していない。
「……リア? やっぱり疲れた? 部屋で休んだ方が良いかな?」
うっかり状況を忘れて使用人たちの動きを観察してしまったマーガレットは、パーシヴァルの心配そうな表情を受けてハッと我に返った。
「も、申し訳ありません! その、使用人の方々のお仕事ぶりに感心していたのです。疲れてなどおりませんので、どうぞお気遣いなく」
「そう? それなら良いけど。それにうちの使用人を褒めてくれるのは素直に嬉しいな」
笑顔のパーシヴァルが手ずから椅子を引き、マーガレットを席へと誘導する。
貴族令嬢ならば慣れていて当然のエスコートだが、マーガレットは生憎と普通の令嬢ではない。
(……こんな風に大切に扱われるなんて思ってもみなかったから、逆に心苦しいな)
ありがとうございます、と小さく礼を述べながら内心で嘆息する。
するとそんなマーガレットの愁いを帯びた反応を訝しく思ったのか、向かい側に腰かけたパーシヴァルが紅茶を手に問うた。
「……何か、不安に思うことがあるなら遠慮なく言って? 改善出来るところはしていくから」
優しい人に気を遣わせてしまったことに余計、罪悪感が増す。
マーガレットは慌てて「違うのです」と首を横に振った。
「むしろこんなにも善くしていただけるなんて思ってもいなかったので……」
「? それは、どういう意味かな?」
「……この婚姻は非常に強引に進められたものと理解しております。パーシヴァル様のお気持ちを無視したものだと。ですので、このように当初から善くしていただけるとは考えておりませんでした」
パーシヴァルはこの婚姻に最後まで反発していたと聞いていたので冷遇されてもやむなしと思っていたのだ。実際にジュリアからもそう脅された。
だが蓋を開けてみればパーシヴァルとても親切で優しい。使用人たちの態度もそうだ。
「……確かに、俺はこの婚姻には前向きではなかったよ。昨日も言った通りエルザ……亡くなった婚約者のことがあったからね」
でも、とパーシヴァルはマーガレットを真摯な瞳で見つめる。
「だからと言って、嫁いできた君をないがしろにするのは間違っている。こうして縁あって一緒になったのだから、たとえ政略から始まったとしても、時間を掛けて気持ちを寄せ合うことは出来る筈」
その言葉に、マーガレットの胸の奥が込み上げるように熱く揺さぶられた。
決して自分に対して向けられた言葉ではない。これは結婚相手に対して向けられた誠意だ。
それなのに自分は――伯爵家は誠実なパーシヴァルを騙している。その事実がとても痛い。
だけど同じくらい、この言葉に縋り甘えたいと感じている自分がいる。
虐げられることが当たり前だった日々を思えば、まるで奇跡のような、夢のような優しい時間。
(いつかは、覚めてしまう夢だけれど)
「……パーシヴァル様のお気持ち、とても嬉しく思います。私も……同じ気持ちです」
この人のことが、もっと知りたい。
せめて時が来るまでは、この人が砕いてくれた分の心に報いたい。
自分如きに出来ることなら何でもしたい。
身代わりの存在でありながら愚かで不遜な考えと知りつつも、マーガレットはそう願わずにはいられなかった。
「……良かった。君も同じ気持ちでいてくれて」
心から安堵するように、パーシヴァルは言った。
どこか噛みしめるような物言い。まるでこちらの想いに確信を持っているような。
「いつか……君が気兼ねなく俺に本音を言ってくれるような、そんな関係になれるよう努力するよ」
そう口にしながら、パーシヴァルは不意にテーブルの上に置かれた小さなクッキーを一つ摘まむ。
「さしあたっては――はい、口を開けて」
「え? パ、パーシヴァル様!?」
「君はもう少しその……たくさん食べたほうが良いと思うんだ」
口もとへ差し出されたクッキーにマーガレットは目を白黒させる。だが、パーシヴァルが引く気はなさそうだと判断し、勇気を出してクッキーに唇を寄せた。
一口サイズのそれを咀嚼すれば、ホロホロと口の中であっという間に溶けてしまう。
とは言っても口の中の水分をだいぶもっていかれたので、スッキリとした味わいの紅茶で喉を潤す。
ふぅ、と人心地ついたマーガレットが目線を上げれば、一連の様子を眺めていたであろうパーシヴァルが温かな眼差しをこちらへと向けていた。
「……あの、パーシヴァル様? どうして突然このようなことを……?」
「気にしないで。どうやら俺は君を見てると何か食べさせたくなるみたいなんだ」
「は、はぁ……? そう、なのですか……」
「――嫌なら止めるけど」
そう言いながらも彼の表情からは止めたくないという思いが滲み出ている。
断ってパーシヴァルに悲しい顔などさせたくはないマーガレットが選べる選択肢は一つしかなかった。
「いや……では、ないです」
実際別に嫌ではない。ただただ気恥ずかしいだけ。
「うん。じゃあ、もう一枚どうぞ」
「えっ!?」
遠慮のないパーシヴァルからの餌付けに翻弄されながらも、マーガレットは有意義なお茶を堪能し。
庭から私室まで送られると、睡眠を取るよう半ば強制的にベッドに入らされてしまった。
当初は眠れるかどうか心配だったマーガレットだが、満腹感と窓から差すぽかぽかとした陽の光に誘われるように――夕方までぐっすりと寝てしまったのだった。
 




