その1
生まれて初めて体験した最高級の寝具のあまりの寝心地の良さに逆に眠れない夜を過ごして迎えた朝。
侯爵家のメイド達の手により速やかに支度を整えられたマーガレットは、食堂へと連れて来られた。
「――おはよう、リア。よく眠れた?」
「おはようございます、パーシヴァル様。はい、とてもよく眠れました」
「……なるほど。でもまだ疲れが残ってるはずだから、午睡の時間もきちんと取ろうね」
有無を言わせぬ笑顔に、マーガレットは思わずコクリと頷き返す。
そのまま案内された席――パーシヴァルの真向かいに腰を下ろせば、テーブルには次々と朝食が並べられていった。
各種の焼き立てパン、サラダ、スープ、お肉料理や魚料理や卵料理、フルーツの盛り合わせなどが目に映る。料理はどれも出来たてなのか湯気が立ち、食欲をそそる香りがマーガレットの鼻腔を刺激した。
そして最後にマーガレットの目の前に供されたのは、甘い匂いのするミルクのパン粥だった。
他の料理とは明らかに毛色の違うそれに困惑していると、
「昨日の今日で胃も疲れているだろうから、消化に良いものをと思って用意させたんだ。勿論、好きなものを好きなだけ食べて欲しい」
と、聞いてもいないのにパーシヴァルが補足説明を入れてくる。
正直なところマーガレットとしては有難かった。マーガレットに朝食を摂る習慣はない。
というか、食事の機会自体が人より少ないため、いきなり大量の食事を摂取出来るほどの容量はないのだ。
「……お気遣いありがとうございます、パーシヴァル様。とても美味しそうです」
パーシヴァルの気遣いに礼をしながら、マーガレットはスプーンを手に取る。
ゆっくりとパン粥を掬い、口に含む。気を抜くと涙が出そうなくらい優しい味がした。
「……とても美味しいです」
「それは良かった! 食べられそうならサラダやフルーツも遠慮なくどうぞ」
そう言って満足げに微笑んだ後、パーシヴァルも自分の食事を開始する。
彼は朝からよく食べる性質なのか、テーブルの上の料理が見る見る間に減っていく。マーガレットもその食欲につられて、胃が驚かない程度に食事を少しずつ喉へと滑らせていった。
「リア、この卵料理も一口どうかな?」
「こっちの魚料理はあっさりしてるし、朝でも重くなく食べられると思うよ」
「このオレンジも良ければどうぞ。さっぱりして美味しいよ」
途中、何故かパーシヴァルから熱心に各種の料理を勧められたのは予想外ではあったが。
ほどなく食後の珈琲が運ばれてきて朝食が一段落すると、
「リア、とりあえず先に紹介しておくね――グレアム、ナタリー」
パーシヴァルの声に反応して、落ち着いた雰囲気の男女が彼の隣に立つ。
片や執事服、片やメイド服を着ている。
どちらも年齢としては二十代後半から三十代前半といったところだろう。
女性の方は今朝の支度を手伝ってくれたうちの一人だった。
「屋敷で俺の補佐を務める執事のグレアムと、メイド頭のナタリーだ。屋敷内で何か困ったことがあったら彼らを頼るといいよ」
「奥様、初めまして。グレアムと申します。誠心誠意お仕えいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「ナタリーと申します。奥様の身の回りのお世話を担当させていただきますので、ご用命の際はなんなりとお申し付けくださいませ」
二人からの丁寧な挨拶を受け、自然と背筋が伸びたマーガレットも慌てて言葉を返す。
「こちらこそ不慣れなことばかりで迷惑を掛けると思いますが、どうぞよろしくお願いいたしますね」
「奥様、我々に敬語を使う必要はありませんよ?」
グレアムが目を細めながら柔らかく言うのに、マーガレットの胸に苦いものが混じる。
本来の奥様――つまりジュリアではない自分にはとても抵抗のある行為だ。だが、女主人としてはグレアムの言が正しい。
「……分かったわ。グレアムもナタリーも、私が何か間違ったことをしそうになったら遠慮なく指摘してね?」
マーガレットの言葉に二人が優しく微笑み返してくる。
それを目の当たりにしながら、マーガレットは自分が屋敷を去った後のことを考えた。
どんなに遅くとも半年後には自分はここを出て行く身だ。
その時、入れ替わりでやってくる妹のことを考えると何か問題があった際に忠言してくれる関係性を構築しておくべきだろう。
(伯爵家でのように私がサポートに回るわけにもいかないし……)
侯爵家の未来のためにも、これは自分の仕事だとマーガレットは密かに決意を固めた。
「ところでリア、朝食が済んだら屋敷の中を案内したいと思うけど良いかな?」
「もちろん構いませんが……パーシヴァル様自らが案内をしてくださるのですか?」
「は? え、当たり前だけど……?」
「僭越ながら、お仕事の方は大丈夫なのですか? 私のために無理はされていませんか?」
「ああ……うん、昨日から五日ほど休暇を貰ってるから時間はたっぷりあるんだ。だからこの機会に俺としてもぜひリアと交流を深めたい」
こちらを真っ直ぐに見つめながら恥ずかしげもなくストレートな物言いをするパーシヴァル。
男性はおろか人間との会話にも不慣れなマーガレットには、なかなかに刺激が強い。
おまけにパーシヴァルは誰もが認める美青年だ。本来なら近寄るだけでも恐れ多い相手である。
「……リア? 何か不都合でもあるかな?」
「い、いえ……! その、こういった交流自体にあまり慣れていなくて……少し気恥ずかしくなってしまっただけです……」
咄嗟に口に出たのは本音だったが、それを受けたパーシヴァルはどこかホッとしたような、嬉しそうな顔をしていた。
「そっか……なら少しずつ慣れていこう? 時間はたっぷりあるのだから」
「はい……」
そんな自分たちの初々しいやりとりを使用人たちが微笑ましく眺めていたことを、余裕のないマーガレットが気づく筈もなかった。