その6(パーシヴァル視点)
「じゃあ、俺は自室に戻るよ。今日は疲れただろうから、ゆっくり休んで。今後についてはまた明日、朝食の席にでも話をしよう」
「はい。お心遣い感謝いたします」
「……君は何も心配しなくていいからね。おやすみ、リア」
「? ……おやすみなさいませ、パーシヴァル様」
少し不思議そうな顔をしながらもおやすみの挨拶をする自分の妻となった少女へ、パーシヴァルも笑みを返す。彼は夫婦の寝室の中から繋がる扉を敢えて使わず、廊下に出る側の扉を潜って部屋を出た。
そして私室には戻らず、早足で寝室からそれなりに離れている執務室まで来ると――
「……いや本当にあの子は誰なんだっ!?!?」
扉を閉めた直後に思わず叫び、ぐしゃりと前髪を掻き上げながら頭を抱えてしまった。
今日、自分が結婚する相手はジュリア・ワーズワースだったはずだ。
ワーズワース伯爵家の次女で、十六歳という年齢にも関わらず社交界では既に清廉潔白な淑女の鑑と称されるほどの才女。にもかかわらず、
(彼女はジュリアではない。それは間違いない)
それは己の固有魔法が証明してくれている。
パーシヴァルは扉に背中を預けるように床に座り込みながら、精神的にも肉体的にも疲れた身体に鞭打って思考を回す。
そもそも事前に聞かされていた情報だと、ジュリアの外見はチョコレート色の艶やかな髪にルビーのような赤い瞳だったはずだ。
だが実際に現れた花嫁は――月光のような淡い白金の髪に透明感のあるペリドットの瞳を持っていた。
しかもその顔は化粧でも誤魔化せないほどに酷く痩せこけていた。
とても高位の貴族令嬢とは思えない健康状態も含め、真相を問い詰めたい気持ちが湧き上がってきたのも事実。
それでもその場で言及しなかったのは、病人のように痩せている彼女の表情があまりにも不安そうで……それが、晩年の婚約者の影と重なってしまったからだ。
だから咄嗟に彼女の唇を避けつつも、誓いのくちづけの儀式をそのまま決行してしまった。
もしかしたら自分の記憶違いという可能性も捨てきれなかったので。
そうやって式をやり過ごした後で、両親や弟にそれとなく探りを入れてみたが、誰一人として花嫁の姿に疑問を抱いてはいなかった。つまり彼らの認識では、この花嫁こそがジュリア・ワーズワースということになる。
パーシヴァルは緩慢な動作で立ち上がると、執務室の端に追いやられていた一枚の絵画を取り出す。埃避けに掛かった布を取り外せば、とある少女の姿絵が現れた。
ワーズワース伯爵家から送られてきたその絵の中の少女は、やはりチョコレート色の髪とルビーの瞳を持ち、美しいがやや勝気そうな笑みを浮かべている。
(この子がジュリア・ワーズワースの筈……なんだけど。じゃあ、リアはいったい何者なんだ……?)
偽名であることが明らかだったため、ジュリアとは呼びたくなくて即席で付けた愛称を脳内で転がしながら、パーシヴァルは嘆息する。
真っ先に考えられる可能性は入れ替わりだが、伯爵家がそれを行なう理由がさっぱり分からない。
(本当は、すぐにでも父に相談するべきなのだろうけど……)
先ほどまで話をしていた少女の姿を改めて思い浮かべる。まるでやせ細った捨て猫のような、弱々しくも庇護欲を抱かせる外見。そんな不健康そうな状態でも、彼女の顔立ちの良さは見て取れた。
姿絵のジュリアとは正反対の、儚げで優し気な面差し。
そして何よりもパーシヴァルを悩ませるのは彼女が――リアが、自分の名前以外はまったく嘘を吐かなかったこと。
婚約者を亡くしたばかりのパーシヴァルを心から気遣い、発せられた言葉の数々。
その全てが彼女の本心だと確信したからこそ、パーシヴァルは敢えて結論を先送りにした。
(悪い子じゃないことは明らかだ……ならば事情を把握してから動いても遅くはないだろう)
何より、彼女の健康状態が心配だった。
ひとまずは様子を見ながら健康を取り戻して貰うことだ。その間に自らの手で情報収集もしなければならない。父たちをも欺くほどの何かがそこにはある筈だから。
(しばらくは大きな仕事の予定もないし……まぁ何とかなるだろう)
新婚ということで半ば強制的に調整された感のある仕事状況が今はありがたい。
外交官という立場上、パーシヴァルは国外へ出向くことも多い。しかし一年ほどは出来るだけ国内仕事を優先して回すというお達しだ。
(これに関しては跡継ぎのこともあるからだろうけど……そうだ、後でグレアム達にも説明しておかないと)
初夜を果たさなかったのは半分以上パーシヴァルの都合だ。
その為に花嫁が冷遇されることなどあってはならない。
一応、半年という期限も区切った。
それだけあれば今回の結婚に隠された真実を明らかにすることも可能だろう。
(……まずは消化にいい朝食を用意させるところから、かな)
パーシヴァルは姿絵に布を掛けて再び部屋の片隅へと追いやると、就寝前に侍従達への指示を言付けようと執務室を後にした。