その11
「――良かろう! ただし、質問は三つまでだ。それ以上は際限がなくなるからな……パーシヴァルも構わないか?」
「ええ、もとよりそのつもりでしたので」
「ッ! ……感謝いたします、殿下。パーシヴァル殿も」
「いやぁぁあああああ……!!」
伯爵が再び折り目正しく礼をするのとは対照的に、ジェシカが甲高い悲鳴を上げた。
殿下は不快を露わにすると、目線だけで護衛騎士の一人へ指示を出す。騎士は主人の意を汲んですぐさま動くと、先ほどから頽れたままのジェシカを無理やりに立たせた。
「では伯爵、質問を許可する」
その言葉を噛みしめるように伯爵は一度、目を閉じる。そして数秒ほどしてからゆっくりと瞼を上げると、この審議が始まる前まで向けていた視線とはまるで真逆の――まるで怜悧な刃物にも似た刺すような眼差しを己の妻へと向けた。
「ジェシカ……君は本当に私とホリーを騙していたのか?」
伯爵の言葉を一言一句違えず、パーシヴァルが復唱する。
対して沈黙を貫こうとしたジェシカだが――
「……ワーズワース夫人、声を出さぬというのであれば実力行使も辞さない。『はい』か『いいえ』か、それだけでも答えるんだ」
殿下がそれを赦さない。騎士に身体を拘束されていることも相まって、ジェシカは怯えた表情のまま、ついにおずおずと口を開いた。
「…………はい」
その口からは靄が出ることは当然ない。刹那、伯爵の顔が今までで見たことがないほど、クシャクシャに歪んだ。泣き出すのを必死で堪えるみたいな表情に、マーガレットの胸の奥が僅かに痛みを覚える。
(この人は……ジェシカ様のことも、きちんと愛していたのだわ……)
当然と言えば当然だ。でなければ妹が生まれるわけもない。
伯爵は目頭を押さえながらしばらく俯き、気持ちを整えているようだった。
そんな伯爵に縋るような眼差しを送り続けているジェシカ。彼女もまた、伯爵のことを愛していることに疑いはない。伯爵もそれは分かっているのだろう。
それでも情に流されない姿勢を貫き通すように、伯爵は厳かに口を開いた。
「……次の質問だ。お前はホリーには私ではなく他に好いた男が居ると言っていたな……あれも嘘か?」
「い、いいえ! 違――……あっ!」
おそらく反射的なものだったのだろう。
パーシヴァルが復唱する前に伯爵の質問に回答したジェシカは、己の失態にすぐに気づいたのか慌てて口を噤む。だが一度出てしまった言葉を取り消すことを、彼は決して許容しない。
パーシヴァルが質問を復唱した後、他ならぬ殿下が追い打ちをかけた。
「さぁ夫人、早く『いいえ』と答えるんだ」
王族の指示に真っ向から逆らえるような豪胆さは、流石のジェシカにもなかった。
彼女の口から質問への回答が聞こえた瞬間――黒い靄が発生する。しかしそのサイズは実演の時のものよりも遥かに大きく、どことなく不穏な動きを見せていた。パーシヴァルが嫌そうな顔をしながら手を伸ばして、その一端に触れる。
『そうよ! あんな病弱で世間知らずな女なんかに男を誑し込めるわけないのに、騙されるなんて馬鹿な旦那様! まぁ、ジュリアの魔法を使ってそう仕向けたワタクシの手腕が見事だったということかしら――』
あまりにも聞くに堪えない、醜い女の嘲るような言葉が室内に充満した。
そんな中、マーガレットは母の無実がこれで証明されたことに安堵しつつも、一部の発言が明確に引っ掛かる。そしてそれは他の者たちも同様だったのだろう。
「……ジュリア嬢の能力、というと『変声』だったか?」
「――まさかッ!? ジェシカ、あの時に聞いたホリーの声は、お前が……ッ!?」
伯爵には思い当たる節があったようだ。
と同時に、突然自分の名前が出てきたジュリアが怯えたように実母を見る。
「お、お母さま……ワタシの魔法って、どういうこと……?」
その問いかけにジェシカは娘の方を見ることすら拒否して俯き沈黙を通す。
代わりにジュリアの問いを受けたのは伯爵だった。
「ジュリア、お前が固有魔法に目覚めたのは四歳の頃だな? その頃に、ジェシカから『マーガレットの母親の声』を頼まれたことはなかったか?」
「えっ!? ……う、うん……変なお願いだったから、よく覚えてるわ」
魔法に目覚めてひと月ほど経った頃、ジュリアは母の希望で彼女の声をマーガレットの母――つまりホリーのものに変声した。母曰く、魔法の実戦練習という話だった。
ジュリアは皆の前でたどたどしくもそう証言した。
チラチラとパーシヴァルを窺っているところを見るだに、嘘を吐かず素直に話した方が得策だと判断したのだろう。
「……察するに、ジェシカ夫人がホリー夫人のふりをして、伯爵に聞かせる前提で不貞を匂わせる言葉でも吐いた……といったところか?」
殿下の推測に伯爵は沈黙する。それは概ねの肯定を意味していた。
マーガレットは思わず呟いた。
「……どうして、そこまで母は貶められねばならなかったのですか……」
母ホリーは最期まで、伯爵のこともジェシカのことも恨んではいなかった。ただ政略で二人の邪魔をしてしまったことに罪悪感を覚え、伯爵の愛が得られないことを粛々と受け入れ、ただひたすら遺されるマーガレットのことを心配し続けていた。
本来であれば母はここまで辛い日々を送ることも、寂しい最期を迎えることもなかったはずだ。
マーガレットは母が受け続けた理不尽を想い、無意識のうちに奥歯を噛みしめる。すると呟きを拾ったのだろうジェシカがおもむろに顔をこちらへと向けた。
「あら、そんなの当たり前じゃないの……あの女狐さえいなければ、旦那様はワタクシだけを愛してくれた。お前などという愚物が生み出されることもなかった。ジュリアだけが伯爵家の直系になる筈だった……ああ、本当にあの女狐の所為ですべてが狂ってしまったの。だから死んで当然だし、幸せを味わう権利だってなかったの。それはマーガレット……貴女も同じなのよ?」
ここにきて開き直ったのか、嘲笑を交えながらジェシカが朗々と謳う。
あまりにも身勝手な物言いにマーガレットは言葉が出なかった。ただただ、この義母にとって母や自分は排除の対象だったのだと強く実感する。
決して相容れない存在。それが身に染みてよく分かった。
「伯爵、最後の質問を」
場の空気を戻すためだろう。殿下が率先して先を促す。
伯爵はそれを受けてしばし黙考していたが、やがて覚悟を決めた表情でジェシカに問うた。
「――ジェシカ、お前から見てホリーは……私を愛していたと思うか?」
「……? なんなのですか、その質問は?」
「率直に答えてくれればいい」
パーシヴァルが復唱した後で、ジェシカは伯爵を訝し気に見つめながら口を開いた。
「ええ、愛していたんでしょうね。忌々しいことに」
その唇から靄は――出なかった。
伯爵は大きくため息を吐くと天を仰いだ。
どこか遠くを見るような眼差しに、マーガレットは彼が母のことを考えているのだと直感的に察する。
今後、伯爵は死ぬまで母ホリーのことを悔やみ続けるに違いない。
誤解から虐げ続けた過去は消えない。
赦しを請う相手も既にいない。
それはつまり伯爵が永遠に赦されないことを示していた。
「質問は以上ですね……では殿下、最終的なご判断を」
毅然としたパーシヴァルの声に、殿下が表情を引き締める。
「――では此度の審議の結果、我が名において裁定を下す。まずはワーズワース伯爵」
「……はい」
「固有魔法の虚偽申請とストラウド侯爵家との婚姻に対する故意かつ重大な詐称行為により、貴殿をワーズワース伯爵家当主の座から罷免、貴族籍も抹消とする。これよりその身柄を拘束、余罪追及も含めて再調査の上で最終的な苦役を決定するものとする」
「…………承知いたしました」
伯爵は特に反駁することもなく殿下の沙汰を受け入れた。
ここまで事が大きくなった以上、当主罷免と貴族籍抹消は彼にとってもおそらく想定内だっただろう。
後は苦役の度合いだが、こちらは法に則ったものが課されるはずだ。
少なくとも十年以上は幽閉もしくは強制労働などの厳しい処遇が待っているものと思われる。
「当然ながら共犯であるジェシカ夫人も貴族籍抹消と苦役を命じる。だが夫人の場合は反省の色もなく、伯爵よりもやり口が悪質であり余罪も多そうだからな……念入りに調査した上で苦役を決めるとしようか」
「っ……! 殿下、ワタクシたちは確かに罪を犯しましたが、貴族籍抹消はあまりにも酷すぎますわ……っ!! だ、旦那様もそう思いますでしょう!?」
少しでも味方が欲しいのか、同意と救いを求めるように伯爵へと顔を向けるジェシカ。
まるで先程の三つの質問などなかったかのように、彼女は夫に嘘を吐いていたことに対して既に悪びれる様子はない。
おそらく彼女の中ではホリーを貶めたことは当然のことであり、そのために最愛の人へ嘘を吐いたとしても赦して貰えている……そんな風に考えているのだろう。
何故なら夫である伯爵は自分を愛しているのだから。
しかしその期待を裏切るように、伯爵は侮蔑と嫌悪を滲ませた表情で淡々と告げた。
「……ジェシカ。私はお前を愛したことを今、心の底から悔いている」
「は? え……? だ、だんな、さま……?」
意味が分からないとでも言わんばかりの表情で目を瞬かせる妻へ、夫はさらに続けた。
「私がホリーに赦される日は二度と来ない。同じように、私がお前を赦す日も永遠に来ないだろう」
「!? そ、そんな……っ! ワタクシは、ただ貴方を愛して――」
「だからこそだ。私はお前を生涯、憎み続ける。命が惜しければ二度と私の前には現れない方がいいだろう」
「っう、いや……いやぁ……ッッ!!!」
聞き分けのない子供のように首をぶんぶんと振りながら、ジェシカはその場で泣き崩れた。騎士が支えていなければ床に倒れ伏していただろう。それほどまでに彼女は絶望の表情のまま呻き涙を流し続ける。
その異様な光景から、愛する伯爵からの拒絶が彼女にとって最大の罰になったのだと、その場にいた者たちは正しく理解した。
おそらく伯爵自身、それを分かった上で敢えてジェシカに引導を渡したのだろう。
それがホリーへのせめてもの贖罪だと信じて。
ほどなくして、身も世もなく泣き続けるジェシカを見かねた殿下が騎士に命じて退出させた。
気まずい空気の中、それでも冷静さを一切失わない殿下が仕切り直すように口を開く。
「最後にジュリア嬢だが……両親による教育の歪みなど情状酌量の余地も考慮して、貴族籍はそのままに修道院送りが妥当なところか」
「!?!? そんな!? 嫌よ!! ワタシは悪くないもん!!!」
「……ほぅ? これでもだいぶ寛大な処置のつもりなのだがな? というか、ジュリア嬢は大人しく修道院に入った方が幸せだと思うぞ? そうでなければパーシヴァルが何をするか分からんからな」
その言葉に、パーシヴァルは心外だと言わんばかりの表情を覗かせる。
「御冗談を、殿下。ただ私としてはジュリア嬢を修道院送りではなく、そのまま社交界に復帰させることを望みますよ」
「……えっ!? もしかしてそれって、ワタシのことは赦してくれるってこと!? そういうことよね!?」
怒りの形相から一転して華やぐような笑みを浮かべながら、ジュリアがパーシヴァルへと擦り寄るようにあからさまな猫撫で声を上げる。
マーガレットも驚いてパーシヴァルを仰ぎ見た。すると、彼は黄金の瞳を柔らかく細めてマーガレットに微笑み掛けてくる。その瞳は言外に「大丈夫だよ」と告げていた。
彼はマーガレットの肩を優しく抱いたまま視線を改めてジュリアへと移した。
その表情こそ笑顔ではあるものの、瞳は一切、笑っていない。
「ああ、夜会でも茶会でも出たければ出ればいいさ。固有魔法の悪用で姉であるマーガレットと入れ替わり、放蕩の限りを尽くした毒婦として笑い者になりたいのであれば、な」
「は!? ど、どういうこと!?」
「どういうことも何も……マーガレットの名誉回復は最優先事項だ。この点においては殿下にも既に協力の確約をいただいている。殿下の御名において伯爵家姉妹入れ替わりの真実を公表するとな」
「はあああああ!?!? 嫌!! そんなことしたらワタシが色んな男と遊んでたって皆にバレちゃうじゃない!! 絶対に嫌よ!!」
「いくら喚いたところで決定は覆らない」
「っ……お、お姉さま!! お姉さまも何とか言ってよ! ていうか助けなさいよ!!」
この期に及んで発せられたジュリアの高圧的な金切り声を聞きながら、マーガレットは目を閉じて小さくため息を吐いた。
瞼の裏に過るのは、伯爵家の人々から受け続けた仕打ちの数々。
(……別に、ジュリア様が憎いわけではない)
けれど、ここで彼女を助けたいとも思わない。
ジュリアは自分のしたことへの責任を取るべきだ。
そうでなければ、きっと彼女はまた過ちをいくらでも積み重ねていくに違いない。
それに、マーガレットが今後パーシヴァルの隣を歩むためにも己の名誉回復は譲れない。もしそれをジュリアが邪魔するのならば戦わざるを得ない。その覚悟は既にある。
目を開けたマーガレットは恐れることなくしっかりとジュリアを見て――そして、ハッキリと告げた。
「――お断りします。私が今後、貴女を助けることは決してありません」
マーガレットのその言葉を最後に、審議の幕は下ろされたのだった。




